散歩する途中には「寺町」という通りもあるくらい多くの寺院がある。宗派にとらわれず門前を通るときは少し頭を下げる。どの寺も山門の横に掲示がある。作りはそれぞれに違いはあるが、ガラス戸越しに見えるのは華美ではないが凛とした姿の花が活けてある。そして短い文章で仏の教えが掲げてある。
これを見る、読むのが好きで、新しい内容に変わっていると立ち止まって読む。そこには、書かれた教えについて、こうしなさいとは書かれていない。そこで、こういうことだろう、なるほどそうすれば世の中は丸く収まるのか、など解釈し、心がけようと掲示の前を離れる。しかし、難解すぎて困ることも多い。
最新のそれは、浄土真宗派の寺で見かけた全文ひらかなで「かめはかめのままでいい うさぎにならなくていいのだよ」。「兎と亀」の話しで、兎が亀をバカにして、途中でひと眠りし亀が勝った話しを思い出す。亀がいくら努力しても走力は兎が絶対勝つ。この話しで「兎は亀を見ていた、亀はゴールを見ていた」、この違いを知らないと、この話しの本質には至れない、こん解説を聞いたことを思い出した。
そうだとしても凡人が日々の生活の中でいつもいつも「人生のゴール」を見て過ごすことは出来ない。兎ほど速く走れなくても、目の前の事に対する努力や研鑽は欠かせない。そんな積み重ねの先にゴールが現れると思う。亀には悪いが、長い経験の貴ぶべき例えとして「亀の甲より年の功」という。コロナ禍、まずは罹患しないことだろう。
(今日の575) ブログでも続けて書けば芽も出よう