あるみまんの本日の修行

競技者としては引退しましたが、
楽しく完走する為には、
まだまだ修行が足りません、
楽しみのために日々修行です。

ダイアリー1998

2005-07-31 | ダイアリー
この年の冬は寒かった、1月に大雪が2回も降った、
波乱含みの年明けである、降雪の翌日スクータ通勤途中に大転倒
腰を強打して、10日間ランニングで出来ず、先行き不安な日々を送る。
先に色々と、試練となるべく様な出来事が多々起こる年であった。

1月  例年だと館山若潮マラソンであったが、この年より参加せず、もっとも
13日の転倒で練習もしていなかった。意外と怪我は長引く、宮古に黄色信号
が点灯、、、、

2月 一月遅れで宮古に向けての修行を始める、前年では強化期に入ってる
はずであったが、、、とりあえずバイクロングライド中心にLSD系のメニュー
をこなす予定であったが、天候不良と寒さを理由にバイクの距離が伸びない
自分自身に言い訳ばかりの日々、、、、


3月 とうとう尻に火が付く感じ、幸いにも気温の上昇と供にバイクの距離も
伸び始める、朝練バイク、通勤バイクなどで距離を稼ぐ、しかしながら付け焼刃の
感は否めず、山を作らず、ピークをレース当日に持っていく練習にシフトした。
月末、JOY閉店となる。

4月 宮古島行き、なりすけ君が初めて参加した、ツアーメンバーもずいぶん
と変わり、福岡よりN津夫妻、K村氏、S津男お兄さん、N川英国支部長
U田氏、と初出場者5名とフレッシュ?な人員であった、この年は、前年S津男
兄さんが知り合いになった、細竹(こまたき)集落の人たちの大歓迎(空港まで
迎えに来てくれた)をうけ、大いに盛り上がると供に面食らう、、、
私的には前年知り合いになった、宮古高校放送部の2人の女子高校生に再会
したことの方が嬉しかった。レースのほうはシードゼッケンをつけて頑張るつもりであったが、やはり付け焼刃の修行で頑張れるほどストロングマンは甘くなく、
完走はするものの、納得できるタイム順位ではなかった。唯一K村氏がエージ
2位を取り表彰台へ、一人気を吐く、ご立派!!H塚さんも初完走する。

5月 義母が脳梗塞で倒れる、練習どころで無くなり、介護に行く妻の変わりに
主夫となる、5時起きで高一の息子と自分の弁当を詰め、朝食の支度、帰ると
洗濯、その他、主婦の大変さが良く解った。佐渡はあきらめる、

6月 介護付き老人フォームが見つかり、義母に入所して貰う手続きをとる
思うところもあったが、妻の妹夫婦とも、良く相談して最良の選択をしたと思う、
練習再開するも、モチベーションが上がらず、ただしていると言う事実だけ。

7月、サンライズ・磐田を申し込む、この年よりハーフタイプとなる、ようやく
モチベーションを上げる為の理由ができたが、調子は今ひとつ上がらず。

8月 お盆休み中のロングライドの途中、(ヤビツの帰り)バイクジャージ
胸元よりスズメ蜂が侵入、パニックになりあわててバイクを降り、ジャージを
脱ぐが、、、、右胸を刺されてしまった。この世のものとは思えぬ、40年生きて
きたなかで最悪の痛みに襲われる。おそらくこの時点では最高の痛みであった
と思う、2日間熱が出て寝込んでしまう。

9月 サンライズ磐田行き、同行者は横浜鉄人会のE藤S氏、中井パーキング
でなりすけ君達と合流、磐田へ、「具瑠芽」というレストラン(デカネタ寿司の前
はここが定番)で昼食、いま思えばこのとき既にグルメツアーは始まっていたの
である、登録会場で肇君とS水N子さん(現在奥様)とも合流、肇君たちは
福田荘、私たちは磐田グランドホテルへ宿泊、
翌朝、レース会場へ、天気は良かった。肝心のレースは今ひとつパットせず
ランの15km付近でE藤S氏に追いつかれてしまい、初めてE藤氏に負ける
なりすけ君8位入賞、(佐渡B、波崎、磐田と3週連続出場とトラ馬鹿の面目
躍如)肇君18位、E藤氏40代エージ優勝、私は29位エージ2位を獲得
うまく調整が出来なかったので、この結果には大満足する。
154位にマーちゃん、307位にH塚さん、無事完走をはたす。

10月 すーさんと玲ちゃんの結婚式が10月3日に上智大学の聖イグナチオ
教会で、荘厳な雰囲気の中で行われた。ステンドグラスが立派な教会であった
披露宴は代官山のレストラン「SYMPOSION」とまぁ~お洒落な事、二人にはお似合いであった、N津さんの浴衣姿での軽妙な司会ぶりも良かった。
私は謎のペルー系日本人を演じていたが、すぐにばれてしまう。肇君がやたら
パンの御代わりをしてK嶋さんにしかられた。「持って帰って、明日の朝飯に」
と肇君、「カーボパーティの残りじゃないんだから!」とK嶋さん、聞いてて
面白かった。私は余興で歌を歌うが間違えてしまった、、、、

11月 館山若潮マラソンに1年ぶりにエントリーすると同時に走り込みを
開始、この年の中盤のダレを払拭すべく修行するも、3週目に左足付け根に
痛みが、、やがて激痛に変わり走ることが出来なくなる。整形外科へ通院
腸腰筋が炎症を起こしてるとの診断で、痛みが引くまで運動禁止になる、
唯一水中ウオークだけ許可を貰い1日おきに、悪いことは重なり、作業中に
足場より転落寸前に、辛うじて左手でぶら下がるが,反動で胸を強打、肋骨
2本骨折、このあと1ヶ月エアロバイクしか乗れなくなる。それでも宮古島は
申し込んだ。

12月 嬉しい知らせが宮古島より届いた、出場決定通知。練習できず落ち込ん
でいたが、これが届いたのでじっと直るまで我慢する。館山は辞退することに
決めた。

4月 全日本トライアスロン宮古島 9:39:54 126位完走
9月 サンライズ・イワタ・イン竜洋 4:56:46 29位(エージ2位)完走

1998年練習合計

スイム    212735m
バイク    5519km 
ランニング 1854km 

波乱万丈の年であったが、試練として受け止める。ハワイオンリーのトライアスロンからの脱却ができた。現在のスタンスに移行すべく、別のスタートラインに付いた年である。
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