あるみまんの本日の修行

競技者としては引退しましたが、
楽しく完走する為には、
まだまだ修行が足りません、
楽しみのために日々修行です。

ダイアリー1999その1

2005-08-02 | ダイアリー
宮古島が決まった物の、一向に腸腰筋の炎症はよくならず、何年かぶりで
普通の正月を楽しむ、しかし前年と違いあせりは無い、肩の力が抜けていた、
新たなスタートの年である、

1月 エントリーしていた館山若潮は取りやめる、これ以降エントリー(マラソンは)すらしていない、ランニングは1日おきに、k6~7分ペースで10km程度
エアロバイクとスイムはほとんど毎日こなしていた。宮古ツアーもこの年よりJALをやめ、オリジナルツアーにシフト、相鉄観光のM田氏と4日から打ち合わせをする人員把握が大変で、既にMLも存在していたようだが、私はPCを持っていなくて携帯電話が頼りであった、自分では望んでいないのにどんどん手間のかかる方に行ってしまったのは皮肉なことである。

2月  ようやくランニングらしきレベルまで走れるように回復してきた、整形外科での「低周波治療」から「レーザー照射」に変えた効果が出てきたようであった、ランニングもk5~5分半くらいまで上がり、距離も10km~15kmがコンスタントに走れるように、、バイクはまだインナーでのライディングであったが、距離はコンスタンとに150km程度のライドが出来るまで回復、唯一スイムは強度を上げてひたすらインターバルをこなす。

3月 強化期に入る、さしずめ今なら「本日の修行」であろう、順調にこなすが
強度的には高くない、完走レベルの修行であったとおもうが、悲壮感は無く
むしろ毎日練習できる喜びがあった。宮古島への航空券が抑えられないと
松田氏より連絡が入りあせる、どうも、早割りの売り出し時に乗り遅れたようで
金曜発が取れず、苦肉の策で木曜最終便、那覇一泊、朝一宮古着という
ことで落ち着く、修行は楽しかったが、ツアーコンダクターの方は楽しくなかった。

4月 この年の宮古島は最終日曜(25日)の開催であった、22日那覇へ
市内のアネクス・エッカ・ホテルというビジネスホテルの宴会場で1泊して
翌早朝、宮古島へと、朝早かったので宮古に着くと、時間的余裕が大いにあり
例年に無くリラックスした。「おかえり~」とジロー村のおねーさん、いつもの光景がそこに有った。ツアーメンバーはK村氏、S津男お兄さん、A井氏、U田氏
肇君、和恵ちゃん、英さんファミリー、Y田O氏なりすけ君、応援に福岡からN津さんと大人数であったが、唯一すーさんが新妻玲ちゃんの体調不良でキャンセルしたのが残念であった。先に増Gが応援に来ていたのには驚いた、「皆を驚かすつもり」であったとのことである。

この年よりバイクコースが変更になり、池間島も周回するレイアウトになる、
また例年に無く出場者のレベルが上がり、顔ぶれを見るとびわ湖メンバーの名前
がかなり見られた、15回記念大会ということで出場者も1400人と全年より100名多く、またフリーバースのO川先生とN山君が出場していた。うねりのない
前浜ビーチを泳ぎだす、凪なので皆速い、自分もスイムタイム自己ベストでアップ
天気は快晴でバイク時点でサバイバルレースの様相、選手のレベルも高く
バイク集団が途切れないがひたすらマイペースで、あまり順位を上げることはでき
無かったが、程なくバイクゴール、ランニングもペースは上がらず、淡々と距離を
こなす。全年痛めた左腸腰筋が心配であったが、大きな痛みは出ず無事ゴール
順位は全年より下げたが、タイムは前年より大幅に上がり満足できたレースで
あった。ゴール後マサージを受け会場に戻る、この年も細竹(こまたき)集落の
人たちが大勢応援に来てくれていて、先にゴールのK村氏、肇君もそこにいた

まだJOYではなかった、ワコーズT岡君がゴール,さらにY田O氏ゴール、
徳峰さんが800人抜きでゴール、続いてS津男お兄さんもゴール、A井氏、
U田氏も程なくゴール、細竹応援団に合流、U田氏、K村氏、S津男お兄さんは
そのまま細竹集落に打ち上げに行った、私と肇君は、一度宿に戻り荷物お置き
再び会場へ、N津さんと合流して皆の帰りを待つ、知り合いが続々とゴール、
和恵ちゃんはどうも最後尾のようで、野津さんが自転車で応援に走り、
携帯で状況を連絡してくれた。市内には入ったようであるが足が
止まってしまってると連絡が、肇君と二人で祈る気持ちで待つ、先にO川先生と
N山君が帰ってきた、競技場入り口で花束を渡す、程なく最後の花火がなって
ゲートが閉まった。「間に合わなかったか~」肇君とがっくりとなる。
和恵ちゃんは時間内に帰ってこれなかった、、、、場内放送で「まだ走ってる人がいます。ゲートを開けてください」とK代M琴さんが叫んだ。ゲートが開く、会場の応援者は誰も帰らない、皆待っていてくれる、肇君とふたりで道に出て待つ、
帰ってきた、N津さん自転車で伴走していた、肇君が花束を渡した、私はゴール
まで走りゲートの下で待つ、もうゴールテープは無い、テープの代わりに
両手を広げてまった、和恵ちゃんは一生懸命走ってきた、足を引きずりながら
も懸命に走ってきた、そしてゴールした、彼女を両手で受け止めた。

「記録には無いゴールと翌日新聞」に載る、、、、、

翌日、N津さんをなりすけ君と空港まで見送りにそのあとアワードパーティーへ
15回記念大会ということで盛大であった、ボランティアフェスティバルには
伝説のロックバンド「紫」と「カッちゃんバンド」のコンサートがあり大いに、盛り上がる、さらに翌日肇君、U田氏、和恵ちゃんと、島内観光に行き、東平安名崎
ジロー楽園へ(ダチョウも、ガチョウも、シャチョウもいるよ~)島内観光は4回目にして初めて行くことが出来た、楽しかった。心からそう思った。

5月 宮古島で佐渡の申し込み用紙を貰っていたので申し込む、例年だと
連休明けに出場許可が下りていたのに、この年より申し込み時期が延長
されたようだ、当初、なりすけ君とS津男お兄さんと行く予定であった。
連休後「いせや旅館」に電話する、4年ぶりであったが、前回佐渡行きのとき
に予約してもらったハートー・ビューのチームメイトK松夫妻に事前に連絡して
貰っていたので程なく話は通り一安心、この頃、佐渡のゴール付近の旅館は
絶対数が少ないと言うこともあり、連休明けには全て予約済みになってしまい
確保が大変であった。自分の意思とは反対にどんどんツアーコンダクター化
していく自分がいた。なぜだろうと考えると、S津男お兄さんの存在であった。
「佐渡の宿どうする?」と先に言われてしまうと、「一緒に行きますか?」と答えざる得ない、、、、、、うまくやられていたのだろうか?開き直ってやることにした。JOYからK嶋さん、加藤Q、Y田O氏の参加要請を受ける、宿だけなので楽ではあった。ついでに「釜石のT 洋氏」にも連絡した、氏も佐渡に出場とのことで同宿に誘うと一つ返事で「よろしくお願いします」とのこと、1997のびわ湖以来2年ぶりに再会ができる、楽しみがふえた。

JOYトライアスロンがはじまり、第一戦はニッーキーズの若ちゃんが足の差で
ハート・ヴューのI出K範氏に辛勝する、正直驚く、I出氏はハート・ヴューでの
チームメイトであり、若ちゃんはJOYのチームメイトで有った為どちらも応援
していたが、複雑な心境であった。I出氏は学生時代、箱根駅伝の選手で
ディアスロンで1時代を築いた強豪選手である、ランラップはケン・スーザより
早い、その人に足一つの差で勝った若ちゃんを素直にほめたいと思った。
ちなみに3位は肇君で,TAバイクが調子悪く、MTBでの出場であったがバイクラップは1位であった、こちらにも驚いた、着実に世代交代が始まっていたと思う、

6月 スクータ通勤途中、右側通行して右折してきた車と衝突、スクータ全損
私は空中遊泳、肩から落ちて、肩鎖関節亜脱臼となる、翌日日産大会のボラ
ンティアで追浜へ、天候大荒れで1名死亡者が出てしまった、(溺れたわけでは
なく、心臓麻痺)大会は途中中止となる、

7月 幸いランニングは出来たが、肩は痛い、修行の日は半分に、少しあせって
来たが、5月6月と量的には十分こなしていたので、8月に強化すれば十分佐渡に
は間に合うと思った、逆に宮古島以降の疲れが取れたように思う、月末、師匠の
I田氏と供に巣鴨のウエスティーへ、H山店長を紹介してもらい、4年ぶりにウエッ
ト・スーツを新調する、確か4年前も佐渡出場の前にスーツを新調して(前回は
エイド・ステーションでQR製)スイムが中止になったなぁと悪夢がよぎる、、、、、

8月 都留、秋山、道志4峠を初制覇、現在のツールド・JOYへと発展していく
当時の記録は、DST 190km TM 7:53 AVS 24km MXS 88・7km 自宅から自走で行った、高度計がまだ無く、現在の記録と重ねると登坂累計2000m以上はあったと思われる、佐渡のバイクコース攻略の為と、そのあと3回の峠行きを慣行する、バイクとランニングの不安はないスイムはやや不安。、S津男お兄さん、足低筋を痛め佐渡を取りやめた、遠征用にデリカのワゴン車まで買っていたのに、、なりすけ君タウンエースで行くことに、「フェリー代出すぞ」といってくれたが、そのときは遠慮した。あとで「貰っておけばよかった」と少し後悔、、、、左肩に少し不安があったがウェスティーのスーツ頼りで何とかなるだろう(先の宮古島で、ウェスティースーツを着たなりすけ君が前年より10分スイムタイムを短縮していた)と思った、前回はスイムが中止でトライアスロンではなかったため、思い入れは強かった、いよいよ佐渡である。


追記 >この年の宮古島よりなりすけ君が、JOYの正式メンバーとなり56位で
ゴール、見事JOYチャンピオンになる、2位は66位でK村氏、3位は初出場
95位で肇君、以上三名シード獲得する。

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