前年の勢いのまま、年頭より練習する。自分自身に気負いがあった!
何かを暗示しているような世紀末の始まりであった。
前年暮れよりJOY内で内紛が勃発する、私個人的には個人同士の諍いを
JOYのチーム問題に摩り替えて、いい大人が引くに引けなくなってこじれて
しまったのだと思った、ある意味いい戒めになったことは確かである。
1月 宮古島に向けて年頭から早くも始動、前年暮れより歯の治療に通い
はじめたため、練習時間のやりくりに苦労した、やれるときにはいつでもやろう
と決めて修行に入る、正月休みはいい練習日になった。5日に宮古ツアーの
打ち合わせに相鉄観光のM田氏の下へ、こちらも早くから始動する。
2月 肇君と信ちゃんの結婚披露宴に招かれた、新郎自ら歌って入場という
前代未聞の披露宴であったが、肇君らしくて良いと思った。新婚旅行は2ヶ月
後の宮古ツアーにからめて石垣島とのこと、ついでにこちらも相鉄観光の
M田氏に以来する、益々ツアコン化する自分がいた、、、、、、、
3月 本格的に修行に入る ランニング強化のメニューを設定、月走を
300km以上を目標にする、毎日10km以上をノルマにして。週一はハーフ
マラソン以上の距離を走るが、2週目に腰痛背筋痛に襲われ2日間完全
オフに、メニューの変更を余儀なくされる。強度を下げて頻度は変えず
距離のノルマだけを追うメニューに、何とか距離のノルマは達成、週一の
ハーフ以上のランニングも6週連続できた、これが出来ると自信も付くし
走力も上がる、スピードに関しては自身が無い、、、、、、、、
月末に3年近く伸ばした髪を、なりすけ君の嫁さん(当時は彼女)の
直ちゃんに切ってもらう、びっくりする位、躊躇無くばっさりと切るので、
切られた後少し悲しかった、、、、
4月 いよいよ宮古島まで3週間となる、本来ならば歯の治療が終わっている
はずなのだが、前歯の治療に行ったのに結局全部することになり、前歯は
仮歯のままであった。ボトルを咥えると取れそうになるので少し心配、、、
シズオ兄にしっかりと付けてもらう、前月のランニングの疲れを取るためと
バイクの距離を稼ぐ為に何年かブリで通勤バイクを20日間する、ランニングは
一日おきに、スイムは週2回、100m×30本のインターバル(2分サイクル)だけ
修行時間は半分に、体の疲労が抜けていくのが実感できた、本番2週間前に
最後のロングライドで網代まで、180kmを6:25、AVS28kmでまずまずの
仕上がりである。
21日、宮古島行き、早朝鵠沼へダンディーK林さんを迎えに、次に鴨居の
歯科医院でシズオ兄をピックアップして、一路羽田空港へ向かう。
空港で、直P、K村氏、なりすけ君、I原君とフィアンセのS村M沙さん
(お二人とはこのとき初対面)、現在英国支部へ赴任中のN川さんファミリー
肇君、信ちゃんの熱々新婚カップルと合流、Y田O君が見送りに来てくれた
さあいよいよ宮古島だ!!20世紀最後の宮古島TAである。
前歯が少し気になる、、、、、気にしないことにしよう
選手登録、説明会、カーボパーティーと、いつもと変わらず坦々と宮古時間
が過ぎて行き、完全にレースモードに入り、目元が緩み、口元に締りがない
付き合いの古い人なら解る、私の現地における特徴が出ている。
I原君の自転車がまだ届いてないとのことで少し心配していたが、JOYの他の
メンバーは言いたい放題で、「間に合わないな~」「出場できないジャン」
「日ごろの行いが、、、、」私以外誰もフォローしない?(なりすけ君が友人
の為彼が一番辛らつ?)翌日(土)の朝に届いたので一安心した。
初日から波乱含みの兆し、、、
翌日、自転車預託の為、東急リゾートへ、あいにく天候は曇りで風も
強い、水温は低くなくて一安心、大きなうねりが少し気になったが
試泳もそこそこに引き上げる、ジロー村に戻り、サンエーに買出しに
夕食は「えびす」(今はもう無い、、、)のバイキングでこれがまた大変
好評、色々楽しめて良かったのに残念です。
いよいよ明日は20世紀最後の宮古島TAである。
夜半から大雨が降り出し、風の音で何度も目が覚めた。
暴風雨の中起床、「味平」で朝食、皆の口が重い、いつもと違う雰囲気
私一人だけ完全にレースモードで一人浮いていた。
5時、ジロー村前より大会バスで東急へ、雨の中、バイクのセッテイング、
ナンバーリング、トラ袋預け入れ等、坦々と時間はながれた。
7:30分、スイムスタート!昨日のうねりはあまり気にならなかった。
「あと半分」の海底の応援ボードを見つけ、「まだ半分かよ」とつぶやく
見なければ良かった、、、、 55分でスイムをクリア、バイクトランジットへ
雨はまだやまないが、バイクスタート。スタート直後は下りで寒かったが
沖縄製糖前を過ぎるころには気にならなくなり、雨の中を快調にペダル
が回る、雨用のチェーンオイルとコルサCXのチョイスはばっちりであった。
程なく一周目をクリア、平良港へ下る道でK村さんに追いつく、一言二言
言葉を交わして先行する「、先嶋シャッター前」の上り手前で、トイレに駆け込
むなりすけ君を発見、彼も気づいたようで、「どうした~」と声を掛けると
「○〇〇〇~ンで~す。」と返事が帰ってきた。私もしたかったが我慢した。
後ろには「ミスターJOY」がいるのだ、、、2周目の池間島をクリア、宮古工業
高校のバイクフィニッシュへ、雨はやんでいた。軽快とはいかないが、重くも
ないランニングスタート、「JA平良支所」を過ぎるとペースが上がり始める
空港脇の道で、当時佐世保にいた湘南ハーフ仲間のT野S一君が追いつ
いてきた。バイクフィニッシュ手前で抜かれて、必死で追ってきたとのこと
「今日は負けませんよ」と言われた。「勝手に勝ってくれ」と私。この後15km
並走、意地の張り合いであった。20km付近で彼は根負けしてペースダウン
そのあとすぐ、前から肇君が折り返してきた、すれ違いざまハイタッチ、タッチの
前に「何で?」という顔をされた、最初に私と会うことが不思議なのか?失礼
な奴である!まあ、最初はなりすけ君かK村さんと思うのが順当ではあるが、
ゴール後、その件でおもいっきり突っ込みを入れたのは言うまでもない。
折り返してすぐ肇君のアドベンチャー仲間のT見沢T君とすれ違う、水平タッチ
で答えてくれた。しばらくしてK村さん、さらになりすけ君とタッチ、K村さんは
辛そうであったが、ちゃんと走っていた、なりすけ君は怒涛のランがあるので
直に抜かれるだろうと思った。30km付近で突然失速、「グウ」のチョコレート
味をあわてて食べる、この年は26kmのスペシャルを置かずにいたので
「グウ」を持って走ったが、食べ忘れていたのである、「グウ」がエネルギー
に変わるまでは我慢のランニング、32km付近でなりすけ君に追いつかれ
一気に抜かれた。35km手前でようやく少しペースが上がる、「JA平良支所」を
過ぎ、いよいよ平良市内へ、声援が「お帰り~」に変わった。
何度聞いて胸が熱くなる、宮古の人々に感謝のラスト3kmである、市民
病院手前で、女子1位のマーシー・エイケン選手に追いつく、久々に女子
1位より先にゴールが出来そうである。平良競技場に入った、「お帰り~」
の声がより高くなった、テープ手前でいつものパフォーマンス、そして万歳
ゴール、9:18:53 104位 シード権は取れなかったがベストタイムで
フィニッシュ。ベストリザルトの97’の86位よりタイムが良かったのには
驚いた。マッサージを受けに体育館へ、マッサージ後、肇君と合流、早速
に突っ込みを入れた。「最初がオレじゃ不服なのか?」「あれ~と思ったん
だけど」「失礼な奴だ!!」「ごめ~ん」、、チームメイトは良いものである。
K村さんとも合流して宿に戻り、再び競技場へ、N川英国支部長は私たちが
宿に戻っている間にゴールした模様、K林さん、シズオ兄、直Pとゴール
直Pは皆で出迎えたら、「ないちゃいそうだよ~」と感激の完走であった。
バイクが届かなかったI原君、現地で合流したT峰さんも早い時間での
ゴールで全員無事完走、世紀末のストロングマンになった。
全員ヘロヘロであったが、シズオ兄が交流していた細竹(こまたき)集落の
応援団に呼ばれていたので、何人かでご挨拶に伺う、新婚の肇君と信ちゃんは
大歓迎をうけた。この年限りでこの集落の方々と交流が途絶えてしまったが、
忙しい刈り入れ(タバコだそうです)時期に作業を休んで応援してもらうのも
心苦しかったのも事実であった。
翌朝、なりすけ君は早々と朝の散歩及び徘徊に出かける、目は覚めていたが
体が言うことを聴いてくれない、何とか起きだして私もコンビニへ、新聞を
何紙か購入、朝食後、バイクを引き取りパッキングする、月曜帰りの
なりすけ君、I原君は急がしそうである。宿が一緒であった、湘南ハーフ
仲間のF田君と談笑、「このレースでしばらく引退です。」「転勤で山梨の
税務署勤務になるんですよ」「嫁さんも貰うのでしばらくは生活の基礎作り
です。」とのこと、少しさびしそうであった。湘南ハーフ、びわ湖、磐田、
宮古島と競い合った、一回り以上若いライバルの引退は一時とはいえ
やはり寂しい、、、、
アワードパーティーへ、相変わらずお預けで、待ちきれない輩がパスタに
群がる、JOYはお行儀がよい、乾杯後は???である。
オリンピックイヤーとのことで表彰式に国旗の掲揚があり、優勝した
クロプコさんの目には涙がキラリと光っていた、3位なった、T村嘉規プロ
と談笑、いつでもいやな顔せずカメラに収まってくれるナイスガイである。
途中、N川英国支部長の次男、凌君が行方不明になり、あせったが無事
ステージ前で保護した。雨が降ったのでボランティアフェステバルは
体育館の庇の下で、T見沢夫婦も交えて大いに盛り上がる。T見沢婦人は
なんと臨月間直であった。最後は古代真琴さんと「 トライ・ユァー・ベスト」
の大合唱?(アンコールもあったような?)で終演する。
20世紀最後の宮古島ストロングマン、全日本宮古島トライアスロン大会
は、色々なエピソードの中、終わる。良い仲間がいて、新しい仲間も増え
再会もあり、別れもあった、私にとっても特別な大会の一つになった
何かを暗示しているような世紀末の始まりであった。
前年暮れよりJOY内で内紛が勃発する、私個人的には個人同士の諍いを
JOYのチーム問題に摩り替えて、いい大人が引くに引けなくなってこじれて
しまったのだと思った、ある意味いい戒めになったことは確かである。
1月 宮古島に向けて年頭から早くも始動、前年暮れより歯の治療に通い
はじめたため、練習時間のやりくりに苦労した、やれるときにはいつでもやろう
と決めて修行に入る、正月休みはいい練習日になった。5日に宮古ツアーの
打ち合わせに相鉄観光のM田氏の下へ、こちらも早くから始動する。
2月 肇君と信ちゃんの結婚披露宴に招かれた、新郎自ら歌って入場という
前代未聞の披露宴であったが、肇君らしくて良いと思った。新婚旅行は2ヶ月
後の宮古ツアーにからめて石垣島とのこと、ついでにこちらも相鉄観光の
M田氏に以来する、益々ツアコン化する自分がいた、、、、、、、
3月 本格的に修行に入る ランニング強化のメニューを設定、月走を
300km以上を目標にする、毎日10km以上をノルマにして。週一はハーフ
マラソン以上の距離を走るが、2週目に腰痛背筋痛に襲われ2日間完全
オフに、メニューの変更を余儀なくされる。強度を下げて頻度は変えず
距離のノルマだけを追うメニューに、何とか距離のノルマは達成、週一の
ハーフ以上のランニングも6週連続できた、これが出来ると自信も付くし
走力も上がる、スピードに関しては自身が無い、、、、、、、、
月末に3年近く伸ばした髪を、なりすけ君の嫁さん(当時は彼女)の
直ちゃんに切ってもらう、びっくりする位、躊躇無くばっさりと切るので、
切られた後少し悲しかった、、、、
4月 いよいよ宮古島まで3週間となる、本来ならば歯の治療が終わっている
はずなのだが、前歯の治療に行ったのに結局全部することになり、前歯は
仮歯のままであった。ボトルを咥えると取れそうになるので少し心配、、、
シズオ兄にしっかりと付けてもらう、前月のランニングの疲れを取るためと
バイクの距離を稼ぐ為に何年かブリで通勤バイクを20日間する、ランニングは
一日おきに、スイムは週2回、100m×30本のインターバル(2分サイクル)だけ
修行時間は半分に、体の疲労が抜けていくのが実感できた、本番2週間前に
最後のロングライドで網代まで、180kmを6:25、AVS28kmでまずまずの
仕上がりである。
21日、宮古島行き、早朝鵠沼へダンディーK林さんを迎えに、次に鴨居の
歯科医院でシズオ兄をピックアップして、一路羽田空港へ向かう。
空港で、直P、K村氏、なりすけ君、I原君とフィアンセのS村M沙さん
(お二人とはこのとき初対面)、現在英国支部へ赴任中のN川さんファミリー
肇君、信ちゃんの熱々新婚カップルと合流、Y田O君が見送りに来てくれた
さあいよいよ宮古島だ!!20世紀最後の宮古島TAである。
前歯が少し気になる、、、、、気にしないことにしよう
選手登録、説明会、カーボパーティーと、いつもと変わらず坦々と宮古時間
が過ぎて行き、完全にレースモードに入り、目元が緩み、口元に締りがない
付き合いの古い人なら解る、私の現地における特徴が出ている。
I原君の自転車がまだ届いてないとのことで少し心配していたが、JOYの他の
メンバーは言いたい放題で、「間に合わないな~」「出場できないジャン」
「日ごろの行いが、、、、」私以外誰もフォローしない?(なりすけ君が友人
の為彼が一番辛らつ?)翌日(土)の朝に届いたので一安心した。
初日から波乱含みの兆し、、、
翌日、自転車預託の為、東急リゾートへ、あいにく天候は曇りで風も
強い、水温は低くなくて一安心、大きなうねりが少し気になったが
試泳もそこそこに引き上げる、ジロー村に戻り、サンエーに買出しに
夕食は「えびす」(今はもう無い、、、)のバイキングでこれがまた大変
好評、色々楽しめて良かったのに残念です。
いよいよ明日は20世紀最後の宮古島TAである。
夜半から大雨が降り出し、風の音で何度も目が覚めた。
暴風雨の中起床、「味平」で朝食、皆の口が重い、いつもと違う雰囲気
私一人だけ完全にレースモードで一人浮いていた。
5時、ジロー村前より大会バスで東急へ、雨の中、バイクのセッテイング、
ナンバーリング、トラ袋預け入れ等、坦々と時間はながれた。
7:30分、スイムスタート!昨日のうねりはあまり気にならなかった。
「あと半分」の海底の応援ボードを見つけ、「まだ半分かよ」とつぶやく
見なければ良かった、、、、 55分でスイムをクリア、バイクトランジットへ
雨はまだやまないが、バイクスタート。スタート直後は下りで寒かったが
沖縄製糖前を過ぎるころには気にならなくなり、雨の中を快調にペダル
が回る、雨用のチェーンオイルとコルサCXのチョイスはばっちりであった。
程なく一周目をクリア、平良港へ下る道でK村さんに追いつく、一言二言
言葉を交わして先行する「、先嶋シャッター前」の上り手前で、トイレに駆け込
むなりすけ君を発見、彼も気づいたようで、「どうした~」と声を掛けると
「○〇〇〇~ンで~す。」と返事が帰ってきた。私もしたかったが我慢した。
後ろには「ミスターJOY」がいるのだ、、、2周目の池間島をクリア、宮古工業
高校のバイクフィニッシュへ、雨はやんでいた。軽快とはいかないが、重くも
ないランニングスタート、「JA平良支所」を過ぎるとペースが上がり始める
空港脇の道で、当時佐世保にいた湘南ハーフ仲間のT野S一君が追いつ
いてきた。バイクフィニッシュ手前で抜かれて、必死で追ってきたとのこと
「今日は負けませんよ」と言われた。「勝手に勝ってくれ」と私。この後15km
並走、意地の張り合いであった。20km付近で彼は根負けしてペースダウン
そのあとすぐ、前から肇君が折り返してきた、すれ違いざまハイタッチ、タッチの
前に「何で?」という顔をされた、最初に私と会うことが不思議なのか?失礼
な奴である!まあ、最初はなりすけ君かK村さんと思うのが順当ではあるが、
ゴール後、その件でおもいっきり突っ込みを入れたのは言うまでもない。
折り返してすぐ肇君のアドベンチャー仲間のT見沢T君とすれ違う、水平タッチ
で答えてくれた。しばらくしてK村さん、さらになりすけ君とタッチ、K村さんは
辛そうであったが、ちゃんと走っていた、なりすけ君は怒涛のランがあるので
直に抜かれるだろうと思った。30km付近で突然失速、「グウ」のチョコレート
味をあわてて食べる、この年は26kmのスペシャルを置かずにいたので
「グウ」を持って走ったが、食べ忘れていたのである、「グウ」がエネルギー
に変わるまでは我慢のランニング、32km付近でなりすけ君に追いつかれ
一気に抜かれた。35km手前でようやく少しペースが上がる、「JA平良支所」を
過ぎ、いよいよ平良市内へ、声援が「お帰り~」に変わった。
何度聞いて胸が熱くなる、宮古の人々に感謝のラスト3kmである、市民
病院手前で、女子1位のマーシー・エイケン選手に追いつく、久々に女子
1位より先にゴールが出来そうである。平良競技場に入った、「お帰り~」
の声がより高くなった、テープ手前でいつものパフォーマンス、そして万歳
ゴール、9:18:53 104位 シード権は取れなかったがベストタイムで
フィニッシュ。ベストリザルトの97’の86位よりタイムが良かったのには
驚いた。マッサージを受けに体育館へ、マッサージ後、肇君と合流、早速
に突っ込みを入れた。「最初がオレじゃ不服なのか?」「あれ~と思ったん
だけど」「失礼な奴だ!!」「ごめ~ん」、、チームメイトは良いものである。
K村さんとも合流して宿に戻り、再び競技場へ、N川英国支部長は私たちが
宿に戻っている間にゴールした模様、K林さん、シズオ兄、直Pとゴール
直Pは皆で出迎えたら、「ないちゃいそうだよ~」と感激の完走であった。
バイクが届かなかったI原君、現地で合流したT峰さんも早い時間での
ゴールで全員無事完走、世紀末のストロングマンになった。
全員ヘロヘロであったが、シズオ兄が交流していた細竹(こまたき)集落の
応援団に呼ばれていたので、何人かでご挨拶に伺う、新婚の肇君と信ちゃんは
大歓迎をうけた。この年限りでこの集落の方々と交流が途絶えてしまったが、
忙しい刈り入れ(タバコだそうです)時期に作業を休んで応援してもらうのも
心苦しかったのも事実であった。
翌朝、なりすけ君は早々と朝の散歩及び徘徊に出かける、目は覚めていたが
体が言うことを聴いてくれない、何とか起きだして私もコンビニへ、新聞を
何紙か購入、朝食後、バイクを引き取りパッキングする、月曜帰りの
なりすけ君、I原君は急がしそうである。宿が一緒であった、湘南ハーフ
仲間のF田君と談笑、「このレースでしばらく引退です。」「転勤で山梨の
税務署勤務になるんですよ」「嫁さんも貰うのでしばらくは生活の基礎作り
です。」とのこと、少しさびしそうであった。湘南ハーフ、びわ湖、磐田、
宮古島と競い合った、一回り以上若いライバルの引退は一時とはいえ
やはり寂しい、、、、
アワードパーティーへ、相変わらずお預けで、待ちきれない輩がパスタに
群がる、JOYはお行儀がよい、乾杯後は???である。
オリンピックイヤーとのことで表彰式に国旗の掲揚があり、優勝した
クロプコさんの目には涙がキラリと光っていた、3位なった、T村嘉規プロ
と談笑、いつでもいやな顔せずカメラに収まってくれるナイスガイである。
途中、N川英国支部長の次男、凌君が行方不明になり、あせったが無事
ステージ前で保護した。雨が降ったのでボランティアフェステバルは
体育館の庇の下で、T見沢夫婦も交えて大いに盛り上がる。T見沢婦人は
なんと臨月間直であった。最後は古代真琴さんと「 トライ・ユァー・ベスト」
の大合唱?(アンコールもあったような?)で終演する。
20世紀最後の宮古島ストロングマン、全日本宮古島トライアスロン大会
は、色々なエピソードの中、終わる。良い仲間がいて、新しい仲間も増え
再会もあり、別れもあった、私にとっても特別な大会の一つになった
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます