世界の変動は、国民国家が軍事力をちらつかせて互いを威嚇するだけでなく、イスラム世界では国民国家の枠組みそのものを無力化する動きが加速していく。欧米は、これをテロのグローバル化と非難するが、ムスリムから見れば正しい道への一歩。
— masanorinaitoさん (@masanorinaito) 2013年2月3日
やはり内藤先生の考え方には違和感を感じざるを得ない。ムスリムかつナショナリストな人って世界中に山ほどいると思うが。
— ソマリア・ヲチャさん (@somalia_watcher) 2013年2月3日
私は私市先生の見解を自分流に解釈しなおしたヴァージョンを主張するが,いまやイスラム世界は各個独自の,ある種の国民国家化を成し遂げつつある―或いは,その方向に進みつつあると考える。それこそが,あの衝撃的なジャスミン革命以来,不可逆的に世界の潮流なのだと主張するだろう。
―まあ,ジャスミン革命・アラブの春をメルクマールにするのは,なんというか,ある種のファンタジーである,またはある種の見解を示唆するものだとも思うが。
というのは,私なら,イラクを先行例に挙げるからだ。
思い起こしてみればよい。
あそこは,かなーりアレな独裁者に支配されていた。
どのくらいアレかといえば,アメリカに『私たちは大量破壊兵器を持っていないって建前です!』って吹かしかましてアメリカに攻め滅ぼされるくらい。彼らはもっと空気を読むとよかったと思う。個人的な見解だが。
でまあ,”世界の被抑圧民族集団の不倶戴天の敵”たるアメリカに占領されて,イラク人民は果敢に立ち上がった―建前である。それはもう,世界の諸被抑圧集団の連帯とともに。
そうしてどうなったかと言うと,一応スンニ系統ではまああるではあろうアルカイダ系統のひとたちの「闘争」が大規模に展開されたりしたわけである。スンニ系統の民兵集団とか,それらに対抗するシーア派民兵集団とか,まあいろいろ頑張っちゃったりしたわけである。
そこで困ったことなのだが,
・スンニ派を狙ってしかけた爆弾はしばしばシーア派住民をも殺害する。
・シーア派住民を狙ってしかけた爆弾はしばしばスンニ派住民をも殺害する。
・アメリカ人を殺害するためにしかけた爆弾はしばしばスンニ派住民もシーア派住民も殺害する。
残念ながら?アメリカ人だけを殺害する爆弾・シーア派だけを殺害する毒ガス・スンニ派だけを殺害する劣化ウラン弾等々は開発されたことがない。いや私が寡聞にして知らないだけかもしれないが。
で,ひとは気付くのである,『あれなんかアメ公一匹殺すために俺の身内三人くらい死んでるんじゃね?』。
そして世界的なネットワークを背後にする人々は言うのである,『おお! わが兄弟よ,全世界の敵,米帝と戦うのだ!』,まあ付随被害でイラク人が毎日何十人か死んでるけど宇宙全体の絶対神・われらがアラーの栄光のためだから永遠の前には大したことないよね!
で,ひとは思うのである,『よそでやれ』。
結果,イラクでは,以前はアメリカ軍とガチでやりあってたスンニ派の人たちが”スンニ覚醒同盟”なんて感じの同盟をあっちこっちで結んで,アルカイダと”うちらの部族は最後の一人になっても戦う。この9歳の,あいつらに殺された部族長の末息子,この一人になろうともだッ!!”とやって―
―そうして,サダムの支配下ではない,アメリカとも違う(なお可能な限り早期にイラクからお引き取り願うことでは合意できる),また”国際的”な勢力(この場合,アルカイダと呼ばれるであろう勢力)とも違う,そーいう”私たち”が形成される―
さあ,これは紆余曲折を経たが,ある種の新しい「イラク国」意識に連なるものではあるまいか。或いはそれは,クルド地域・スンニ地域・シーア地域を分立させるかもしれないが,それはそれで一種の国民国家の姿ではあるまいか。シーア地域にしたって,あんまりにもイランの影響を受けすぎるのは,それはそれでヤだなあという感覚があったのではないか。
同じようなことはソマリアでも起こったのではなかったか。
Hawiye出身のグループと,ソマリランド出身のGodane一派との温度差は繰り返し報じられたではないか。
al Shababは支配下住民に”なんか肌の色の違う外国人”を外国人と考えるのはよくないぞ,彼らはイスラムの兄弟なのだと教えたが―”そぅ”言わざるを得ないこと自体,ソマリ人の民族意識の存在を前提としようし,そうした国際的戦闘集団のやり方がアレだと思われれば,それはソマリ民族の纏まりを促進することだろう。
同じようなことはマリでも起こりつつあるのではないだろうか。
Azawad勢力がAnsar Dineから脱した際,”あ,僕たち,マリ人だけからなってますから。Tuareg族ですから。フランス軍は協調してくれるといいと思う”とやったのではなかったか―
―つまり,北アフリカ・イスラミックマグレブ勢力との手切れを宣言したのではなかったか。そうなら,彼らには,国際的どころかイスラム世界どころか,”たかが”北アフリカ的連帯さえ成立しきれなかったのだ。
「そもそもチュニジアから広がったアラブ政変がなぜ起こったのか,いかにして独裁政権を倒したのか。その背景と理由を正しく分析すれば,上述のような理解と解釈にはいたらないはずである」
―私市正年『原理主義の終焉か ポスト・イスラーム主義論』p.3.
「この過程でイスラーム主義運動とそれに対するムスリム(イスラーム教徒)の認識に根本的に変化が起こったのではないのか。「アラブの春」は,それを象徴する政変ではないのか。中東政治の専門家やイスラーム研究者が今政変を予想できなかったのはこの変化に気づかなかったためではないのか」
―私市正年『原理主義の終焉か ポスト・イスラーム主義論』p.4
尤も,どこに焦点を合わせるかによって,分析は様々に変わってこよう。
上に述べたのは,テロとその損害とその社会的受容についてだけ語ってる感だが,ほかにも教育の普遍化とかまあいろいろ要素はあるかと思われ,なので私は要点拾うのに便利っぽいので私市を読んでしまえと簡単に済ます。
1対3なら超優秀な成績の気がします。やー,あの当時はひどかったですねえ。
というか,たぶん,第二次世界大戦の結果とその総括の中で”与えられた”恰好の彼らの国家を,自分たちで納得できる形に組み替える作業なんじゃないかなーと思う。
だから,その点,私は我らがアジアの同胞たちが豊かになったようであることにともに喜ぼうと思うのであるが,あんまり面倒なことにならないといいなーとも思うのである(意味深)。
米軍去ってからシーア派強権支配強まって、対イラン傾斜も始まって、
スンニ派内でアルカイダへのゆりもどしもあったりして今後二、三年で運命決まるんじゃね?的な危うさがちらほらと……
まー分かりやすい敵=アメリカ軍の影がなくなって,重しが無くなった分の揺り戻しがきたわけなんでしょうねえ。
でもまあ,穏健に分裂するにせよ,内戦のぐだぐだに突入するにせよ,いずれにせよ彼らなりの“国民”形成に向かうだろうなとは思うのです。
少なくとも「ムスリムの家」には落ち着かない,だろうなと。
理屈を練り上げて,それを広報周知し運用するマンパワーをどこから調達するかも課題のはず。
…たぶん,もうしくじった。
イラクの場合,”既存の国民国家”を解体するかもしんない。
でも,それは国民国家という枠組みそのものの無力化を意味しないだろう。
そんな意図ですね。
つまりアレだ,Islamist Movementは(おそらく)レーニンやトロツキーやあたり相当の人を欠いたのだ。
組織を作り上げ,鬼のような統率をし,かつ理論闘争もばりばりこなし,インターナショナルを作り上げるような人材を。
あるいはローザ・ルクセンブルクを。
少なくとも,私は世界が,世界的に一つの夢,理想を共有できたらというファンタジーを持つ。
マルクス主義は,少なくとも一時期は,『世界人民平等平和の夢』を見させてはくれた。しかもわりと長い時間で。新しい時代の夜明けを告げてくれた―と,信じることができた。
では,Islamist Movementのほうはどうだろう。
ムスリム世界を統合したろうか。
全体的には,それをし切れず,個別の過激武装闘争とそれに繋がるとされた穏健派への政権側の弾圧とで擦り減っていってしまった。それがここ最近の流れのように私にはみえる。
いや当人たちは『イスラームの根本に帰るッ! 素晴らしい夢ではないか!』というだろうけど。
薔薇色の未来の夢を見せてくれなきゃ,そりゃあひとはついていかない…と思う。
ほら,我々があんまり暗いことをいうから,若者が研究者を目指さないじゃないか(自虐ネタ),それと同じだよ。
…ごめん,後輩。不景気な先輩だったよ,僕は。