昨日のブログは3週間ぶりの投稿でした。
実は8月の後半に白内障の手術を受けて、しばらくおとなしくしていました。
8月18日に左目、25日に右の手術です。
白内障というとお年寄りというイメージがあるのですが、自分もその領域に入ってきたということでしょうか、職場では病名を勝手に「若年性の白内障」だと言い、見栄を張っていましたが。
その白内障のパンフレット
使われているお年寄りのイラストに抵抗があったのですが、他人から見れば私もこのイラストの人と大差ないのかも知れません。
さて、白内障の手術ですが、身近なところで耳にするのでたいしたことないと思っていました。ところが、いざ自分が受けてみるとそれはそれは大変でした。
眼球は麻酔をしているので痛くはないのですが、あまりの眩しさに苦しみました。目薬で散瞳(瞳が開き光がマックスに入る状態)した上に、まばたきができないようにテープやら器具で固定され、目の真上でライトが点灯するのです。
思わず声を上げました、「この状態でですか?」と。
執刀医の「そうです」の答えに、おののきました。
麻酔をしているのは眼球だけ、意識はしっかりしているので、それはそれは恐怖の時間でした。
逃げることのできない眩いばかりの光の中で、ぐるぐる回る銀河のようなものが現れては消え、そしてまた別の銀河が現れるのでした。目の中で大変なことが行われているのが自覚できるのです。手術が終わったときには汗びっしょりでした。
3日入院しました。
ベッドで安静です。入院生活の楽しみといえば食事です。
味付けは薄めですが、おやつ付きで充実していました。
入院初日の夜にお刺身が出たのですが…
刺身を見ると条件反射的にお酒が欲しくなるのですがお酒はつきません。このとき改めて入院しているということを実感しました。目にメスを入れているので、血管が開くアルコールは厳禁です。
刺身をおかずにご飯を食べて、しみじみと病人である事実をかみしめました。
翌日に眼帯が外れました。
恐る恐る目を開くと、眼鏡なしで見えることに驚きました。しかも世の中が明るいのです。
困ったことといえば、3日間、入浴はもちろん、顔洗いや洗髪ができないことでした。夏場に風呂に入らない、入れないというのは常念山脈縦走以来のことでした。
1週間が無事に過ぎて、8月25日。
今度は右目の手術です。
2回目なので要領は分かっているのですが、要領が分かっている分あの気持ち悪い手術をするのかと思うと気が滅入ります。早めの昼食を終え、手術までの時間を紛らわせてくれたのが甲子園(高校野球)でした。ちょうどこの日は地元の長崎商業の3回戦が午後1時20分プレイボールでした。一進一退の緊張したゲーム展開に手術のことも忘れて見入っていました。
5回の攻防が終わったときに病室のドアがノックされ、手術の順番になったことを宣告されました。
ついにきたか…
試合の続きが気になったのですが、結果はニュースで聞けばいいやと気持ちを切り替えて手術室へと向かいました。
あの眩しさは何度やっても慣れるものではありません。動物は眩しいものを見ると思わずまばたきをします。反射的に瞳孔をすぼめ目に入る光を減少させます。その2つの防衛機能を強制的に奪われた白内障手術はある意味拷問です。
「終わりました」のドクターの声で解放され病室に戻りました。
テレビをつけると甲子園の続きがあっていました。しかもまだ6回の裏でした。
ああ、長い時間眩い宇宙空間をさまよっていたと思っていたら、わずかの時間しか経過していなかったのです。
この後はベッドに横になり、耳で試合を観戦、いや聴戦しました。
激戦でした。
終盤に2点取られ勝負あったかと思ったら取り返し、9回裏には1アウト満塁の絶体絶命のピンチを乗り越え、延長10回に1点勝ち越すもその裏に逆転サヨナラという熱闘でした。
地元の長崎商業は敗れはしましたが、すがすがしさが残るいい試合でした。
例によって、翌日眼帯が外れ、両眼で見られるようになりました。
退院し、デスクワークも再開しました。
1週間後の検査も順調で、もう少しすれば軽い運動もできるようになります。
この後久しぶりに、実に久しぶりの上山を歩きに行きます。
実は8月の後半に白内障の手術を受けて、しばらくおとなしくしていました。
8月18日に左目、25日に右の手術です。
白内障というとお年寄りというイメージがあるのですが、自分もその領域に入ってきたということでしょうか、職場では病名を勝手に「若年性の白内障」だと言い、見栄を張っていましたが。
その白内障のパンフレット
使われているお年寄りのイラストに抵抗があったのですが、他人から見れば私もこのイラストの人と大差ないのかも知れません。
さて、白内障の手術ですが、身近なところで耳にするのでたいしたことないと思っていました。ところが、いざ自分が受けてみるとそれはそれは大変でした。
眼球は麻酔をしているので痛くはないのですが、あまりの眩しさに苦しみました。目薬で散瞳(瞳が開き光がマックスに入る状態)した上に、まばたきができないようにテープやら器具で固定され、目の真上でライトが点灯するのです。
思わず声を上げました、「この状態でですか?」と。
執刀医の「そうです」の答えに、おののきました。
麻酔をしているのは眼球だけ、意識はしっかりしているので、それはそれは恐怖の時間でした。
逃げることのできない眩いばかりの光の中で、ぐるぐる回る銀河のようなものが現れては消え、そしてまた別の銀河が現れるのでした。目の中で大変なことが行われているのが自覚できるのです。手術が終わったときには汗びっしょりでした。
3日入院しました。
ベッドで安静です。入院生活の楽しみといえば食事です。
味付けは薄めですが、おやつ付きで充実していました。
入院初日の夜にお刺身が出たのですが…
刺身を見ると条件反射的にお酒が欲しくなるのですがお酒はつきません。このとき改めて入院しているということを実感しました。目にメスを入れているので、血管が開くアルコールは厳禁です。
刺身をおかずにご飯を食べて、しみじみと病人である事実をかみしめました。
翌日に眼帯が外れました。
恐る恐る目を開くと、眼鏡なしで見えることに驚きました。しかも世の中が明るいのです。
困ったことといえば、3日間、入浴はもちろん、顔洗いや洗髪ができないことでした。夏場に風呂に入らない、入れないというのは常念山脈縦走以来のことでした。
1週間が無事に過ぎて、8月25日。
今度は右目の手術です。
2回目なので要領は分かっているのですが、要領が分かっている分あの気持ち悪い手術をするのかと思うと気が滅入ります。早めの昼食を終え、手術までの時間を紛らわせてくれたのが甲子園(高校野球)でした。ちょうどこの日は地元の長崎商業の3回戦が午後1時20分プレイボールでした。一進一退の緊張したゲーム展開に手術のことも忘れて見入っていました。
5回の攻防が終わったときに病室のドアがノックされ、手術の順番になったことを宣告されました。
ついにきたか…
試合の続きが気になったのですが、結果はニュースで聞けばいいやと気持ちを切り替えて手術室へと向かいました。
あの眩しさは何度やっても慣れるものではありません。動物は眩しいものを見ると思わずまばたきをします。反射的に瞳孔をすぼめ目に入る光を減少させます。その2つの防衛機能を強制的に奪われた白内障手術はある意味拷問です。
「終わりました」のドクターの声で解放され病室に戻りました。
テレビをつけると甲子園の続きがあっていました。しかもまだ6回の裏でした。
ああ、長い時間眩い宇宙空間をさまよっていたと思っていたら、わずかの時間しか経過していなかったのです。
この後はベッドに横になり、耳で試合を観戦、いや聴戦しました。
激戦でした。
終盤に2点取られ勝負あったかと思ったら取り返し、9回裏には1アウト満塁の絶体絶命のピンチを乗り越え、延長10回に1点勝ち越すもその裏に逆転サヨナラという熱闘でした。
地元の長崎商業は敗れはしましたが、すがすがしさが残るいい試合でした。
例によって、翌日眼帯が外れ、両眼で見られるようになりました。
退院し、デスクワークも再開しました。
1週間後の検査も順調で、もう少しすれば軽い運動もできるようになります。
この後久しぶりに、実に久しぶりの上山を歩きに行きます。
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