車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

『石工・ 川六』 志加奴(しかぬ)神社 in 鳥取市気高町

2017年05月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市気高町宿に鎮座される「志加奴(しかぬ)神社」。御祭神は『大己貴命・素盞嗚尊・少彦名命・保食神』

「創祀年代は不詳。「延喜式(927神名帳」に所載される古社で、気多郡内式内社五座のうちの一社。古くから山の宮と里の宮があり、山の宮を「志加奴神社鷲峰大明神」、里の宮を「志加奴神社勝島大明神」と称した。明治元年、社号を「志加奴神社」に改め、境内末社・稲荷神を合祀。明治五年郷社に列し、大正五年、小林神社、樽間神社、山崎神社の三社を合祀して上坂神社とし、次いで、青木神社を本殿に合祀。」境内由緒等より

木漏れ日の中に続く石段・・・長いがそれほど急ではないのが救い(^^;)

一の鳥居には「明治二十六年(1893)癸巳一月吉日」「鳥取市 石工 曻一」の刻。

鳥居の内より神域を守護されるのは、川六最後の作品となった出雲構えの狛犬:吽形。

「元治元年(1864)甲子五月 北河原村 川六作」の刻。

翌:元治二年(1865)十二月十一日、『尾崎六郎兵衛』没す。生年不明。戒名「鑿巌良巧信士」。

心より哀悼の意を込めて、優しくもキュートな後ろ姿~💗

阿形さんは居ないのかと驚かせしまいましたが・・・阿形さん、「明治廿四年(1891)九月暴風之為破損 三十三年(1900)九月再築寄進 土居村中」、「再刻 曻一」の刻。お名前から、鳥居を建立された石工さんと同一人物と思われます。

川六さんの特徴が見事に再現された顔貌。二人とも帰宅して改めて刻字を見るまで全く気が付きませんでした(悔)。

鳥居の先に隋神門。

随身門の内より神域を守護されるのは、比較的新しいと思われる鮮やかな狩衣姿の随身様一対。

石段の先に境内、正面に入母屋造平入、唐破風向拝の拝殿

拝殿前拝所に奉納された扇形拝み石二基。左「大正六年(1917)十一月」、右「明治廿九年(1896)丙申三月吉日」の刻。

流造、唐破風向拝の御本殿。亀腹には「天明八(1788)戊申二月日」の刻。

境内右の小高い場所に大切に置かれた『石工 川六』の阿形さん。折からの木漏れ日の下で驚くほど鮮明に残された貴重な一枚。

流造の境内社 

石段参道を下って帰路に。鳥居の側の鐘楼は、かってこの地に寺院があったのか、それとも本来ここに置かれていたものか・・戦時中に供出された梵鐘は、奇跡的に無事神社へ戻ったことから「開運の鐘」と呼ばれています。

鳥居の下、巨木の根元に置かれた手水鉢には「天保四年(1833)癸巳九月日」の刻。上から見ると八角形なのがよくわかる。

境内入り口、〆柱の前に置かれた自然石の手水鉢

参拝日:2012年4月18日

 

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『石工・ 川六』 姫路神社 in 鳥取市気高町

2017年05月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市気高町八束水に鎮座される「姫路(ひめじ)神社」。御祭神は『素盞雄尊・大日霎尊・稲田姫尊・事代主尊・保食神』。「文政八年(1825)乙酉五月上旬」刻の鳥居。

神社明細帳より「勧請年月詳かならずと言えども宝亀二年(771)と古書に記載あり」と記せり、往古より姫路、船磯の氏神にして三所牛頭天王と称した。寛永十年(1633)旧藩主より信仰暑く社領外高一石八升寄進せらる。明治元年境内に御鎮座の「稲生大明神」を合祀し、姫路神社と改称、同五年村社に列格、翌六年七月本殿を再建。大正九年七月神饌幣帛料供進神社に列せられる。昭和32年12月、百手神事が県無形民族文化財に指定。」

緑が美しい境内 敷石で作られた参道。

明治6年再建:流造りの御本殿

艶やかな社殿彫刻の数々

本殿木鼻の獅子

「大瓶束(たいへいづか)」を包むのは雲流

昭和61年4月に全面改築された拝殿。その左右より神域を守護されるのは大小二対の狛犬さん。

「嘉永貳年(1849)酉二月日」「石工川六」の刻。最初は胸の前に大きな賽銭箱が括り付けられていたのですが、ちょうど出てこられた宮司さんにお伺いし、外す許可を頂きました(感謝)。

仔狛を連れる阿形さん、優しげな顔で見守る吽形さん。

三角の口元が河童みたい・・と言ったら、ご亭主殿から「失礼な!」と抗議(笑) その後「言われてみれば・・・」って (ー"ー;)

阿吽ともに穏やかで優しい顔立ち。横で顔を覗かせる仔狛のいっちょ前の姿勢も良い!!

精一杯お尻を高く上げてますが、体は親狛さんにぴったりと張り付いています(笑)

好例の仔狛の頭付き後ろ姿・・・見てると何故か・・ソフトクリームが食べたい(笑)

そして・・拝殿近くより神域を守護される狛犬さん一対、「嘉永元年(1848)申六月日」の刻。

もう何だろう、この可愛らしさ。でもって何だろうこの多彩さ。一人の石工が生み出した狛犬さんなのに、まるで別の人格が宿ったみたいに多彩な表情を生み出している。

拝殿前拝所の「扇形拝み石」

本殿の後方に大切に置かれていた、出雲構えの先代さん一体。

県無形民族文化財指定の「百手の神事」を説明して下さる宮司さん。「光仁天皇の御代の宝亀二年(771)、諸国に疫病が大流行した時、疫神を鎮める為に始められたと伝えられる神事。その昔、二本を一手として百手二百本を放ったと伝えられ、これが「百手の神事」の語源であると考えられている。
宮司は二夜三日の間社殿で潔斎して、家族とは別のなま火を使わない料理を食べ、神の権化となって「百手の神事」にのぞみ、行列三順目に荒ゴモに垂れ下がる「的」に向かって十二本の矢を放つ。」残しておきたい ふるさと気高の宝より

参拝日:2012年4月18日

 

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『石工・ 川六』 八幡(やわた)神社 in 鳥取市気高町

2017年05月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市気高町八幡に鎮座される「八幡(やわた)神社」。御祭神は『応神天皇・玉依姫命・誉田別命・神功皇后・倉稻魂命・素盞雄尊・罔象女命・建御名方命』。鳥居には「昭和二十九年十一月建之」「石工:宝木村 三谷久雄」の刻。

「勧請記によると弘安四年(1281)元弘襲来の後に応神天皇を祀った社と云う。古くから八幡村、下原村、姉泊村の氏神であり、鳥取藩主・池田家の崇拝も篤く社領四石一斗二升が寄進されていた。明治元年(1867)八幡字上土居の「稲荷神社」。大正六年(1917)姉泊りの「鶴見神社」「諏訪神社」の祭神を合祀した。」境内・気高町教育委員会案内より

隋神門

入母屋造平入、軒向拝の拝殿前左右より神域を守護される狛犬さん二対。

手前より出雲構えの狛犬さん一対。「明治三十一年(1898)旧五月日」の刻。頑丈さに欠ける来待石の為、阿形さんは顔面が殆ど欠けた状態。

吽形さんは尾が欠けています。

拝殿前尾左右より神域を守護されるのは自然石の台座に両手をかけ、低く構える獅子一対。「文久二年(1862)壬戌三月日 北河原住 川六作」の刻。

岩に前足をかけて前方を見据える阿吽の一対。大きく開いた口の付近に僅かに朱の跡が見えます。

正面から見るとしっかりと振り向いているのが良く分かる。

吽形さんの目線の先には何が?

阿・・「はぁ~~~ 今日も何かひまじゃがねぇ~(溜息)」 吽・・「お前、いっつもそがいな事言っとるね~(呆)」

離してなるものかとばかり、しっかりと抱え込む岩。よほど気に入ったのか、それとも何か大切なものを隠しているのか。ともあれラストは恒例のキュートな後ろ姿~💗

拝殿後方、唐破風の弊殿に続く御本殿。柱部の亀腹には「文政八年(1825)酉九月日」、「石工 カウケ 久」の刻。カウケは郡家のことかな?

向拝木鼻には獅子と鳳凰。

手水舎

境内入り口、道路側ブロック塀を背にして建つ奉納歌碑

【水しぶき 上げて逆まく激流を 戦う鯉の如く生き貫く 】「昭和六十一年五月吉日 下原 森活吉作 八十二才」

 

参拝日:2012年4月18日

 

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貝がら節の里・浜村温泉 in 鳥取市気高町

2017年05月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

「夕陽と漁火が美しい!海岸線が一望できる展望台」

昔イワシの大群が押し寄せて来た時、老漁師が大声で知らせていた事から名付けられた「魚見台」

気高町の西境に位置する高台から見る日本海は美しく、眼下には浜村海岸が一望できます。

私が生まれ育った漁村は、こんなに広い海に面していなくて、だから高台から見る景色も箱庭のように穏やかでこじんまりとしていた。海を見るといつも思い出すあの懐かしい景色。だからこんな風に海を見るのが好き。

高台の一画には民謡「貝がら節」の歌碑。

~何の因果(いんが)で 貝殻(かいがら)漕(こ)ぎなろうたカワイヤノ~ カワイヤノ~ 色は黒うなる 身はやせる ヤサホーエヤ~ホーエヤ~エー ヨイヤサノサッサ~

砂丘大橋の親柱には、貝殻節の歌詞が一番から四番まで刻まれています。

濱村沖から貝殻が招く 嬶(かか)よ 飯炊け出にゃならぬ

戻る船路にゃ櫓櫂がいさむ いとし妻子が待つほどに

忘れられよか情けもあつい あの娘浜村お湯育ち

浜村川の流れを見ていると自然と口を突いて出る貝殻節、何の因果で~ぇ~♪・・って、何で私、こういうの良く知ってるんだろう(-"-)

「日本大百科全書」によれば、「気高町の沖合いでは、かつて10年または20年、30年に一度、大量のホタテガイが発生する年があり、沿岸の漁師たちが、ジョレンとよばれる漁具を海底に沈め、数人が底引漁でジョレンを引き上げ、中の貝をとっていた。その際、船をこぐ漁師たちの歌った唄が「貝殻節」である。その作業は重労働だったので、歌詞にも「何の因果で……」と歌われている。この民謡はのちに近くの浜村温泉で歌謡曲調としても歌われるようになった。」

町のチョットした施設、「歓迎・浜村温泉」のウエルカムゲート、温泉街のポスター、何でもないチラシ、そこかしこに貝殻節を踊る「踊り子さんとイタヤ貝」のイラスト。

絵で見ると楽しそうですが、実際の貝がら漕ぎは並大抵の重労働では無かったといいます。何の因果で・・と自嘲気味に呟かざるを得ない作業は・・・他にも沢山ありました。

「貝がら節の里」「浜村温泉」の顔出しに出迎えられる「JR西日本:浜村駅」

暖かそうな湯気に誘われて近づけば、そこは「いたや貝の足湯」。モニュメントは巨大な「いたや貝」を頭上高く抱え上げる坊ちゃん二人(〃∇〃)。坊ちゃんに見守られて今回の車泊旅では初の足湯。

駅構内の一隅に『松本穣葉子』作詞「浜村小唄」の歌碑【いで湯浜村 浜から夜明け なびく湯けむり 花ぐもり】

眼鏡の紳士は、浜村温泉でラジウム泉の開発に成功した実業家『奥村元治翁』

駅を離れて「貝がら節の里 ヤサホーパーク」へ。そしてここでも足湯(笑) そのうち足がふやけるかも等と言いつつ、機嫌よくイン(⌒∇⌒) 歩き回るか、車の助手席で大人しく座っている・・が基本の車泊旅。温泉の足湯って、足の疲れを癒す効果が絶大!!

足湯だぁ~~~と子供のようにはしゃぐ観光客を出迎えてくれるのは、貝殻の上で天使のように微笑む「モ・ア・イ!」ヾ(≧▽≦)ノ

2012年 2016年と二度の訪問になった「ヤサホーパーク」ですが、二度目の訪問で実に不思議な像を発見!お姿から見て観音様っぽい・・・光背の部分が「いたや貝」で・・頭上にも同じ姿のミニ観音様・・・一体あれは何だったのだろう?

訪問日:2012年4月18日&2016年10月21日

 

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月守(つきもり)神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町蔵内に鎮座される「月守(つきもり)神社」。御祭神は『月続命・保食神・伊邪那美命・菊理姫命』

「古来より蔵内の氏神「月守大明神」と称した。 明治元年(1868)年、境内社「稲生大明神」を合祀し「月守神社」と改称。 大正二年(1913)、養郷字岩手の「岩手神社(伊邪那美命,菊理姫命,保食神)」を合祀。 最も古い灯篭には安永五年(1776)の文字がある。」青谷町誌より

鳥居の先に続く石段・・集落に鎮座される神社の常として「石段参道」は、もはや宿命と言っても過言ではない試練(^^;) ここでめげる様では神社巡りなんて諦めろと言われそう!!

石段参道の先、左右より神域を守護されるのは、出雲丹後系の狛犬さん一対。くっきりと彫り上げられた牡丹の台座の上から、大きな目を見開いて参拝者を迎えてくれる阿形さん。我関せずの吽形さん。

「吽ちゃんよ~。お前何でいつもそんな風にジジ臭いんだ?」「いやいや、おいら阿ちゃんみたいに野次馬根性無いからね~」・・と、勝手に脳内変換(笑)

これだけの狛犬さん、石工さんが気になるところですが・・何と無銘。狛犬巡りをしているとこういうケースは珍しくありませんが、顎下の毛並みとか、ユニークで大きな鼻とか、綺麗にセットされた尾とか・・個人的には好きなタイプ。

御祭神が鎮まられる流造りの御本殿、随所に龍などの彫刻が施されていますが、うまく捉えきれない・・。

向拝でまどろむ龍

入母屋造妻入、軒向拝の拝殿。赤っぽい瓦が春の日差しを浴びていかにも暖かそうで、石段の薄暗さからは想像できない開放的な境内。

御本殿左側に鎮座される境内社。小規模ですが彫刻などは随分と凝ったもの。拝所前には扇型拝み石も奉納されています。

境内入口で見かけた建物。漆喰壁に鏝で描かれた「丸に五三桐」の神紋。

参拝日:2012年4月18日

 

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『石工・ 川六』 長和瀬(なごうせ)神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町長和瀬に鎮座される「長和瀬(なごうせ)神社」。御祭神は『須佐之男命』

青谷町誌によれば「創祀不明、棟札によると青谷町絹見の「幡井(はたい)大明神」の氏子だった長和瀬の住民が、元禄十五年(1702)に「幡井大明神」から分離し、青谷町長和瀬に「八大荒神玉社」を建立。大正4年に「幡井神社」に合祀されたが昭和21年に再び分離し「長和瀬神社」として今に至る。」

両部鳥居の左右より神域を守護されるのは明治31年建立の出雲構え狛犬さん一対。「明治丗一年旧三月吉日」「平田 石工 長谷川?」の刻。

精一杯肩ひじ張って参拝者を迎える姿は、結構な迫力。尾の形状や切れ上がった後姿など、川六の狛犬を踏まえて制作されたと思われ、それなりに力量のあった石工さんと想像します。

山肌を背にして立つ社殿。参道の横に広がるのは耕されず草地となった畑。

入母屋造妻入に入母屋向拝の拝殿。その左右より神域を守護されるのは「『石工・ 川六』嘉永五年(1852)壬子五月日」の刻。岩場を足掛かりにして立つ構え狛犬さん一対。

一段高くなった岩場に前足をかけ、しっかりと足を踏ん張る姿。目線の先に有る「モノ」を思わず探してみたくなる迫力。

吽形さんの後方に僅かに見えているのは、合祀された「水無瀬神社」。『石工・ 川六』さんの狛犬さんは、時代ごとに手法を変えて新たな形で表現されてゆきます。その発想の豊かさは、これまで多くの狛犬さんたちを見てきた二人にとっては、新鮮な驚きの連続。

という事で、阿吽揃って仲良くキュートな後ろ姿~💗

拝殿前に奉納された「扇形拝み石」。「『石工・ 川六』弘化四年(1847)未 九月吉日」」の刻。扇の「骨木」や「根元部分」も丁寧に彫り込まれており、まさに「扇」そのもの。

眼前に広がるのは、のどかで穏やかな風景、じっと見ていると遠い昔の自分の姿が見えてくる・・・

一の鳥居の後方に見えるのは「青谷羽合道路」。多分私たち、あの道、走ったよね。

神社に向かう道は「JR山陰本線のトンネル」の向こう。流石にここを車で通り抜ける度胸は皆無(ーー゛); という事で車はこのトンネル手前の空き地に駐車して徒歩で参拝しました。

実はこの神社、地図を頼りに走ってもそれらしい場所に辿り着けず、半分諦めかけた時にやっと人影を見つけて、道を尋ねたのですが・・その方が言うには「なごうせ神社」なら在るけれど、「ながわせ神社」は知らないとの事。改めて、『川六』の狛犬がある神社と言うと、それなら間違いなく「なごうせ神社」にありますよ・・・・おかげさまで無事参拝できました。

車を停めた近くの草むらに咲いていた素朴で清楚な白い花。その花茎の先に花を一輪咲かせることから付けられた「一輪草(イチリンソウ)」。日本の固有種でその花言葉は「 追憶、久遠の美」

参拝日:2012年4月18日

 

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神前(かんざき)神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町鳴瀧に鎮座される「神前神社」。御祭神は『猿田彦命・天宇受売命』

社伝・青谷町誌に「慶長四年(707)、鳴滝村美古峯に鎮座。貞観十七年(875)、因幡国正六位上神前大明神に従五位下を授与。至徳二(1385)年鳴滝村亀山(現在地宮坂)に奉還。往古より武将の崇敬厚く、近隣城主からも寄進を受ける。元弘三年(1333)後醍醐天皇、船上山に還幸の際、帝位復興の代参祈願をする。明治元年境内末社「稲生神」を合祀。明治四十年神饌幣帛料供進社に指定。大正元年、山田字富貴谷の子守神社(猿田比古神,天宇受売神)。北河原字二本平の糟〇神社(保食神,倉稲魂命,天津羽原命,天津浦命)。吉川字屋敷廻りの菅田神社(大山祇命)。亀尻字下モ家ノ空の亀尻神社(与田別尊,倉稲魂命,竹内大臣,天照大神,保食神)。を合祀。」

境内まっすぐ、隋神門の右手・玉垣の中に「御神木・神前神社のケヤキ」。樹高・15m、目通り幹囲・5.6m、推定樹齢・300年以上。

大欅の前に建立された大灯籠。「文政十丁亥年九月吉祥日」「石工 靑屋 徳三郎」の刻。隋神門の左右より神域を守護されるのは構えタイプの狛犬さん一対。

「昭和天皇御大典記念」「昭和三年三月吉日」「平田 石義作」の刻。川六の狛犬に影響を受けながらも独自のスタイルを作り上げた『石工:石田義治』。こんな風に阿吽で並べると会話が聞こえてきそうな・・・

ここでは苔の生育がかなりはやいようで、時としてその表情を朧にしていますが、それでもじっと見ていると、やはり何やら楽しげな話し声が聞こえてくるのです。

巨大なエリンギを思い出させてくれた素敵な後姿に👏

三間社流造の本殿は文政六年(1823)、前本殿の部材を用いて建て替えられたもの。

入母屋造平入、軒向拝の拝殿前左右より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。「文政十丁亥年九月吉祥日」の刻。

通り過ぎてきた時代の長さが出雲丹後のきつい表情を消し去って、まるで道に迷った子供のようなあどけない表情・・

と思ったけど、横顔はやっぱり出雲丹後のお顔(^^;)

社殿の左に鎮座される「境内社:御霊の宮」

石段を登った奥に境内社

境内へ至る参道の右手に「天保十五甲辰三月吉旦」「石工 川六」と刻のある句碑。【 元日に 田毎の日こそ 恋しけれ 芭蕉 】訪問先リストのメモ欄からすっぽりと抜け落ちていた貴重な芭蕉さんの、しかも川六さんが制作した句碑!! 《  川六は 残せぬ物こそ こひしけれ  》です(T^T)

参拝日:2012年4月18日

 

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『石工・ 川六』 建山(たけやま)神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町田原谷、標高140mの建山山頂に鎮座にされる「建山(たけやま)神社」。御祭神は『須佐之男命・彦火火山見命・正勝山祇命(まさかやまつみのみこと)』

由緒では、推古天皇12年(604)現社地に勧請したと伝え、妙見社と称した。明治元年に「摂社・山ノ神」を合祀し「建山神社」と改称。大正5年「勝部紙屋神社」を合祀。

参道石段左右より神域を守護されるのは「石工・川六 嘉永六年(1853)五月吉日建立」の出雲構え狛犬さん一対。首から流れる鬣(たてがみ)は前足を伝い、台座の上まではみ出しています。これは、狛犬と台座が同じ一つの石から彫り出されたという証。

吽形さんドアップ!

阿形さんドアップ!

何度見ても見飽きないキュートな後ろ姿~💗

それにしても改めて見上げる狛犬さんの全体像。一体幾つの台石を重ね合わせたのか・・ご亭主殿が狛犬さんをカメラに収める間中、グラっといきはしないかと心臓がバクバク・・・

鳥居の建つ入口から続く171段の急勾配の石段・・軽く眩暈を通り越して深いため息(◎_◎;) 一応チャレンジを試みたものの、参道脇に仲良く並んだ御神木を前にあえなく挫折。

さすがにこれを強行するには気力も体力も不足、二人揃って、石段下からの拝礼で失礼させて頂きました。 御神木・・根元部分だけですが(笑)、樹高:40m、目通り幹囲:5.5m、推定樹齢:300年以上だそうです。

台座の横に蕾を付ける「浦島草(ウラシマソウ)」。我が家の庭にも一株あったけれど、いつの間にか消滅していた(-"-)

茂みの中で開花を待つ「宝鐸草(ホウチャクソウ)の一群れ。お寺の堂四隅の軒に下げた宝鐸(ホウチャク)に似た花を咲かせる事かつけられたとか。

ご本殿が鎮座される「建山」は、【鷲峰山と大山の背比べ】の伝説から出来た山だと云います。「それは、遠~~い神代の昔のこと、全国の神様たちが出雲での行事が終わった帰り道、鷲峰(じゅうぶ)山と大山の神様が、互いに自分の方が高いと言い争い、背を比べ合いました。結果は鷲峰山の勝。悔しがった大山の神は、杓子で鷲峰山の頭を掬い取ってしまいました。それを知った鷲峰山の神は怒って追いかけ、驚いた大山の神は慌てて逃げようとし、その時、杓子についていた土がこぼれ落ちて、それが青谷町の「建山」になりました。鷲峰山の神が「土はもうないのか」と怒鳴ると、大山の神は「もうない」と袖を振って見せました。そのとき、土がどさっと落ち、北栄町の「袖振山」になりました。」鳥取県観光情報より
と、最後まで書いたところで、しょう~~もない疑問が(笑)「鷲峰山(921m)、大山(1729m)、その差808mで、建山(140m)」・・残り668mに相当する山は北栄町には見当たりません(^^;) というか・・袖振山が無い。

昔話とは無関係だけど、道路向こうに見えた山。何かの採掘場だろうか?

参拝日:2012年4月18日

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御神名一口メモ

『正勝山祇命(まさかやまつみのみこと)』、記紀神話に登場する神。神産み神話で『伊邪那岐命』によって殺された『火之迦具土神』の屍体から生まれた山津見神:八神の一人。古事記では火之迦具土神の頭から成ったとされ、日本書紀では腰から成ったとする。

 

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『石工・ 川六』 紙屋神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町紙屋に鎮座される「紙屋神社」。御祭神は『彦火々出見命・正勝山祇命』

鳥居も社号標も無く、何度も行ったり来たりを繰り返し、ちょうど公民館から出てこられた方に訪ねてやっと見つける事が出来た参道。勝部川沿いの県道51号線、畑の間に延びる細い道の突き当りに見えてきた長い石段。

創建は文政十年(1860)頃と伝えられ、地域の人々からは「三宮さん」と呼び親しまれています。昨日紹介した「建山神社」に合祀された「紙屋神社」とは、おそらくこの神社と思われます。

お小さいながらも美しい佇まいの社殿。きちんと扇形拝み石も奉納されています。

社殿木鼻には「獅子と獏」

社殿目貫彫刻の「龍」

飛翔する鶴

つがいの鳥それとも親子?

社殿左右より神域を守護されるのは「北河原村住・川六作 万延元年(1860)十二月建立」の出雲タイプの狛犬さん一対。

吽形さんは少し首を斜めに、阿形さんは胸の前に仔狛を遊ばせています。

左足の下に小石を置き、そこに足をかけて斜に構える姿は、もうすでに一人前の川六の狛犬 (*´꒳`*ノノ゙

首元まで届いた尾はまるで編み込みヘヤーみたいで、やっぱりキュートな後ろ姿~💗

邪魔になっては心配していましたが、何とか何方の邪魔にもならずに済んだようです。これからバックで県道まで・・私は臨時交通監視員(笑)

参拝日:2012年4月18日

 

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『石工・ 川六』 山口神社 in 鳥取市青谷町

2017年04月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取市青谷町小畑に鎮座される「山口神社」。御祭神は『大山津見命・保食神・豊受神』

県道を隔てて上手に随身門。珍しく随身様が神域を守護されています。

創祀は不詳、最古の棟札に「元禄六年(1693)神殿一宇建立」と記される。

隋神門からすぐに、入母屋造妻入、軒向拝の拝殿。

向拝虹梁上の龍の彫刻・・・こんなにやる気のない寝顔(に見える)龍は珍しい(((((^_^;)、

拝殿前左右より神域を守護されるのは出雲丹後風の狛犬さん一対。「萬延元年庚申九月吉辰」・「北河原住 川六作」の刻。彫刻の龍に匹敵する可愛らしさ(笑)

台座の牡丹がとても綺麗に撮れていたので(〃∇〃)

そしてラストは正座しててもキュートな後ろ姿~💗

参拝したいずれの神社にも置かれていた拝殿前の扇形拝み石。珍しくご亭主殿が画像に納めていたので。「安政七年申四月吉日」の刻。

「境内社」

拝殿から道路を隔てた小高い緑の茂み。小畑地区急傾斜危険地崩壊危険区域の標識近く、石段参道の上に鎮座されていたお社。仔細は不明。

参拝日:2012年4月18日

 

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