鳥取市東町2丁目、鳥取城址:久松公園内に佇む白亜の洋館「仁風閣(じんぷうかく)」。
「仁風閣がこの位置に建てられたのは、明治40年(1907)5月。池田家14代当主池田仲博侯爵が、宮内省匠頭であった 『片山東熊(とうくま)』に池田家の別邸として設計を依頼。鳥取市出身の『橋本平蔵』の監督で建てられました。」公式HPより
「フレンチ・ルネッサンス様式を基調とした白亜の木造瓦葺2階建て。正面はセグメンタルぺディメント(櫛形(くしがた)破風)の棟飾りを主要モチーフとしたつくりになっており、建物の随所にはスクロール(巻軸模様)を配しています。寄棟造りの瓦屋根には、ルネッサンス様式にみられるクラウン(王冠)型の棟飾りと6つの煙突、円形の換気窓が変化を与えています。さらにゴシック風の八角尖塔(階段室)が建物全体に安定感を与え洋風の印象を強める効果となっています。」
あの悲嘆にくれた日から四年と半年。2016年10月のこの日、私たちは門の内側に立ってこの美しい建物を見ています(〃∇〃) 今回はいつもの車泊友達Jさんも一緒。
中国屈指の明治洋風建築として名高く、国の重要文化財に指定されている「仁風閣」。ああ、この日をどんなに待ち望んでいた事か。敷地内から見上げる鳥取城址の石垣の何と整然と美しい事。もう立ち位置が変わると何でも絶賛の対象になってしまいます(笑)
「仁風閣」の館名は、当時皇太子であった『大正天皇』の、山陰行啓時の宿泊施設とされたおり、行啓に随行した元帥海軍大将『東郷平八郎』が命したもので、館内には直筆の額も残されています。
再び公式HPより引用「各室は、「御座所」「謁見所」など、皇太子が宿舎として使われた当時の名称で呼ばれています。室内の構造・装飾にも意が払われ素晴らしい技術の結集を見ることができます。各部屋のマントルピース(暖炉飾り)、カーテンボックスには和洋折衷の技術が見られ、職人達のすぐれた工夫と技術が見られます。」
全てが洋風のしつらえの中で、このお部屋だけが畳敷き。きっと和服で過ごされる方のために用意されたのだろう。壁に取り付けられた暖炉は鳥取の寒い冬には欠かせない調度だったに違いない。
和洋折衷の技術が駆使されたカーテンボックス
カーテンボックス
さらに、「そのなかでも仁風閣の奥に鎮座している「らせん階段」の構造・職人技には息をのみます。階段には支柱が無く、硬いケヤキを彫った厚板(ささらげた)で支えています。高さ4mの曲線美はまさに芸術品です。」
何もかもが上品で美しく、ドが付く庶民の私たちにはまるで夢の世界。上を見てはため息・・
壁を見ては溜息、調度を見ては溜息・・・
ついでにこんなものを発見して・・(ノ∇≦、)ノ彡☆ ・・・・・
白い格子の二階窓から見る鳥取城址・・
池田家の美しい四姉妹もこの景色を見ていたのだろうか?
建物を出て裏手に。背面は、1・2階ともベランダが設けられており、宝隆院庭園が一望できるようになっています。
この位置からだと「八角尖塔(階段室)」もはっきりと見える。
芝生に置かれたチェアーで優雅に寛ぐ二人・・ご亭主殿カメラを向けながら一言「似合わん・・・・」(´-`)
久松山を背景とする山裾の台地に設けられた「宝隆院庭園」は、第12代鳥取藩主『池田慶徳』が、若くして未亡人となった先代夫人『宝隆院(ほうりゅういん)』を慰めるために「扇御殿」と共に文久3年(1863)に造営した池泉回遊式の庭園。
濃い緑の中に映り込む空の白さが、秋の日の短さをそっと告げている。
立ち去りがたい思いを抱いて私たちは次の目的地に向かうべくここを後にする。いつかまたこの美しい景色に出会える事があるだろうか・・だって何時だって私たちの旅は貪欲で、同じ場所を巡る余裕なんて無いのだもの・・
訪問日:2016年10月20日