車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

霊山(りょうぜん)神社 in 福島県伊達市(旧霊山町)

2024年08月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

伊達市霊山町大石古屋舘、霊山の麓に鎮座される「霊山(りょうぜん)神社」

建武中興十五社の一社、建武の新政以降、陸奥の鎮定にあたり、南朝に従った『北畠顯家・北畠親房・北畠顯信・北畠守親』を御祭神とします。

「文化14年(1817)、松平定信がこの地に霊山碑を建立。明治元年(1868)、米沢藩の儒者・中山雪堂と医師・西尾元詢が英霊を祀る神社の創立の運動を起こし、明治9年(1876)の明治天皇の東北巡幸を機会として、陸奥国府があったことにより建武の新政にゆかりのある霊山が選定。明治12年(1879)11月に創立が請願され、明治13年(1880)6月、霊山の西方山麓の北畠氏の支城があった地に社殿が造営。翌年5月11日に鎮座祭が行われ、明治18年(1885)に別格官幣社に列せられた。」

三間社流造の御本殿・幣殿・拝殿・神饌所・瑞垣から成り、御本殿は御神体を奉安する「内陣」および例祭時に供物や幣帛を奉る「外陣」の2部屋から成ります。

拝殿は神職・楽人・舞姫が着座する「内拝殿」と、参拝者が着座する「外拝殿」から成り、祖霊舎歴代神職、氏子、崇敬者の御先祖の御霊祭が執り行なわれます。

西参道入り口に建立された『北畠顕家卿』銅像

白鉢巻きに白だすき、袴姿もりりしい少年たちが、太鼓の音に合わせ太刀を天空にかざして進む、古式ゆかしい舞い「濫觴武楽(らんじょうぶがく)」。北畠顕家が陸奥国府を開くため義良親王を奉じ、多賀城から霊山城に入城した際、一族、郎党の家運隆盛、武運長久を祈って奉納した剣舞が伝わったものといわれ、春の例大祭に奉納されます。

『北畠顯家卿』顔出しパネル

霊山神社参拝には二つのコースがあり、私たちは北畠顯家公像のある参道を車で。中々の山道ですがきちんと舗装されており途中に駐車場も設けられています。

もう一つは鳥居前から続く表参道。傾斜のきつい256段の石段参道。一応後学の為に(笑)、ほんの数段という事で下りて貰ったのですが・・10段でギブアップ💦

参拝日:2015年6月22日

 

コメント (4)
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