山形村上大池・青木沢北に「袖中祝言」と呼ばれる「酒器祝言双体道祖神」他一基。
「嘉永四亥(1851)三月吉日 青木沢中 」の刻
「衣冠束帯の男神は、なみなみと注いでもたった盃を左手にもって立ち、十二単衣の女神は右手に提子を持ち跪いている祝言像です。容貌・着付け等から見て村の長老の印象を受けます。顔には余裕のある笑みを浮かべており、二人は媒酌人でしょうか。この双神に村のまとめ役を祈願したのでしょうか。白くて薄い髪の長老の右腕は女神の左の袖の中に入れ、女神の左腕は男神の袖の中にと、お互いに奥深く差し入れて情熱的な様が面白い道祖神です。」山形村道祖神巡り
隣りの碑には、某漫画に登場した「クリリン」にとってもよく似たお坊様が刻まれています。どなたでしょう??
山形村小坂・山口の辻、桜の下に「山口の丸髷」と呼ばれる、松本平で2番目に古い「双体道祖神」一基。他「御嶽山大権現」「馬頭尊」各一基。
「正徳五乙未年(1715)十月卯日 古見村芦野窪講中拾四人」の刻。「この地には道祖神が無く、どこかから盗もうと話し合い、隣の朝日村古見の芦之窪の住人に頼み込み、寛政七年に盗むと言う名目で嫁入りすることになり、屈強な男2~3人で道祖神を背負い乗越(古見から上大池豆沢に通じる古道)を越えてお運びしました。この時の状況を記した古文章が朝日村に残っており、また、この説を裏付けるものとして朝日村古見芦の窪のバス停の際にある道祖神の裏面に記載されています。現存する記念銘の正徳五年は山形村では最古の道祖神です。」山形村道祖神巡り
山口村上大池・豆沢に「筒井筒上大池」「豆沢のじじばば」と呼ばれる「握手肩抱き双体道祖神」各一基。「文字碑道祖神」、「甲子様」各一基。
「筒井筒上大池」には「寛政七乙卯稔 (1795)」の刻。互いに肩に手をかけ、女神が男神の手を握って体を添い寄せています。女神は恥ずかしさと嬉しさに思わず顔をそらし、そんな女神を愛おしむ様に男神は優しくその姿を見守っています。
「豆沢のじじばば」には「嘉永四亥(1851)二月日 上豆沢中」の刻。「多くの道祖神は女神が男神の手を握っているのに、この双神は男神が女神の親指を握っていることです。また男神の体が女神の方に傾き、女神は押された様に後ろに体を傾け、男神がやや積極的な道祖神です。女神は他の道祖神には見られない変わった模様の角かくし風の冠り物を頭に載せていることです。」山形村道祖神巡り
山形村上、大池コミュニティセンター三叉路脇の鳥居の奥に、木曽御嶽山の信仰に由来する「神像」「文字碑」「線刻像」「仏塔」等が建立されています。
公民館周辺の石仏群」明治時代の初めまでこの地には「桜堂」というお堂が有ったそうで、「名号碑」「庚申塔」などの石仏が多く残されています。
寶庫横の「名号碑」と、明治維新後にお堂を利用して開港された「大池学校跡碑」
山形村の道祖神、ラストは上大池・中耕地東の辻に「大池の頭領」と呼ばれる「握手肩抱き双体道祖神」「蚕玉守護神」「蚕大神」各一基。
「嘉永五子(1852)二月八日 大池上郷」の刻。
「当村南部最大の巨石半肉彫りした抱肩握手の道祖神です。重さは推定で1.5トンはあろうかと思われます。男神が狩衣、女神が小袿で、共に括り袴をきりりと着け、足袋を履いている姿は農民の頭領らしい着付けです。種々の困難を逞しく生き抜いた老夫婦を感じさせる道祖神です。ふくらみをもった曲線、整然とした曲線に加えて端正な直線と細部にわたって美しく彫られています。」山形村道祖神巡り
「蚕玉守護神」と「御柱」
撮影日:2016年4月22日
その場所に道祖神ではないと思うけど
室町時代の阿弥陀如来の石仏と板碑が
あって6枚目の画像に似ています。
今は公園や家々の片隅で見られるようですが
昔は峠や路傍などにあったんでしょうね。
公園のお地蔵様の側の石仏様 どなたでしょうね?
対した知識もないのに
何故か心惹かれてしまう野の仏や石仏、板碑。
是非とも備忘録で紹介して下さいい!!
ワクワクしながら待ってます(⌒∇⌒)