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笠森(かさもり)観音~其の一 in 千葉県長南町

2019年07月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

長南町笠森に建つ「大悲山:楠光院:笠森寺(だいひざん:なんこういん:かさもりじ)」。坂東三十三箇所の第三十一番札所で天台宗の別格大本山。『十一面観音』を本尊とする事から「笠森観音」とも呼ばれます。

大岩の上に建つ観音堂は、61本の柱で支えられた「四方懸造(しほうかけづくり)」と呼ばれるもの。日本で唯一の特異な建築様式として国の重要文化財に指定されています。

寺伝によれば【延暦3年(784)に『最澄』が楠の霊木で「十一面観音菩薩」を刻み安置し開基したのがはじめとされる。長元元年(1028)『後一條天皇』の勅願により「観音堂」を建立。古来より巡礼の霊場として知られ「笠森観音」と通称される。】 建立当初の建物はその後焼失、現在の建物は、解体修理の際発見された墨書銘から、文禄年間(1592~1595)の再建とされています。

唐破風付きの観音堂入り口から、75段の急な階段を上がって回廊へ。 向背には見事な龍の彫刻が施されており、何人かの人が入り口近くを陣取ってカメラを向けていました。

また木鼻には、阿吽の唐獅子彫刻が施されており参拝者たちを見守っています。透かし彫りの鞠を手にして得意げに見せびらかしているのは阿形の唐獅子。

吽形の唐獅子は、花開く前の蕾の牡丹を口にくわえて、楽しそうにこちらを振り向いています。 宮彫師の名前が無いのが不思議なくらい、阿吽共に、手の込んだ素晴らしい細工。

階段を何段か登ると、61本の柱で支えられているという観音堂の構造が垣間見えてきました。 その瞬間、唐突に足と階段の板とがくっついてしまってその先一歩も踏み出せません😱

我が家では「困った時のご亭主頼み」なる鉄則があって😅、ここでバトンタッチ。 身を乗り出すようにして写してくれた柱の様子は、何と形容してよいのか分からない凄さ。

観音堂を支える柱を見ていると、その構造の学術的な意味は分からずとも心底、圧倒されます。 無理してあの長い石段を登ってきた甲斐があったと・・・心のそこから感動しました。

ちなみに、岩の上に建てられた観音堂の回廊から見わたす展望は、とても雄大だそうです。 でも子供にも笑われる位の高所恐怖症の私、そんな所から下の景色なぞ見られる筈もありません。それに目的は、「四方懸造」の観音堂を見る事だったので、特に残念感はありません。決して!負け惜しみではありません!!😡

後先になりましたが、町指定文化財の「二天門」は元禄10年(1697)の建造と言われる四脚門。 「二天門」には「風神と雷神」が立ち、それぞれの後ろには「閻魔大王と奪衣婆(だつえば)」が座しています。

一般的には、こうした門の中には仁王像がいるものですが、何故かここでは「風神」。

「風神」の後ろに座っているのは、これも何故なのか「閻魔大王」。まるで何かの謎掛けみたいな配置😓

反対側の門の中には、今まさに雷鳴をとどろかさんとして足を踏ん張る「雷神」。

その「雷神」の後ろには、死者の衣類を剥いでその重さで罪を測り、行く先を決めると言う「奪衣婆」の姿。 なんとも救いの無いメンバーですが、もしも何らかの慈悲があるとするなら、「奪衣婆」の隣で静かに座している仏様の姿でしょうか。

「二天門」を入って右手の奥の一段高い場所に、『子育地蔵尊』を祀る「六角堂」

「六角堂」の前には、優しいお顔の観音様に見守られるように、「沖縄塚」があります。 説明には、太平洋戦争で犠牲となった沖縄の人々20余万人の霊を弔う為と書かれています。 昭和36年(1961)に、現地の岩石をここに埋めて供養塔を建立したそうですが、何故、千葉のこの地に沖縄なのかは不明です。

「笠森観音」への参道はかなりの負担となりましたが、ご亭主殿がしっかり手を貸してくれて達成できました。明日は参道入り口からの心に残った風景、それに大好きな芭蕉の句碑などを。

参拝日:2019年3月9日


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