笠森寺への参道は二通りあり、それぞれに「男坂」、「女坂」と名づけられています。 わたしたちは「女坂」からの参拝を目指しました。 参道は深い森の中へ吸い込まれるように、手摺りの付いた石段が奥へと続いています。
石段に足を置く前に、花筒一杯の花の中に祀られているお地蔵様に「行ってきます」と軽く合掌🙏。 岩をくりぬいた小さな祠ですが瑞々しい空気に満ちています。
ちなみに笠森観音堂への参道石段は100段以上・・・深い緑に包まれた山肌を縫うように続きます。「女坂」という名称なので、きっと比較的登りやすいのだろうと思いますが、それでもこの石段のきつさ・・手摺りとご亭主殿に助けられて一段、一段、さっき右足を出せたんだから、今度は左足を・・・繰り返しながら前に進みます。
喘ぎながらの石段参道ですが、道々に説明のあるものには、けっこう敏感に反応する私😲 こちらの巨大な三本杉は、根元の部分が3本全て繋がっており、日本国内でも珍しいと言われています。 でも肝心の根元部分を写していないので、これでは単なる三本杉と区別が付きません。「私・・やっぱり疲れてるのよ😔」
こちらは子宝の神木「子授け楠」。この穴を夫婦でくぐれば子宝が授かるんだそうです。 子宝を望むお年頃はとっくに卒業した二人😅 代わりにと思う人も身近にいません。
そういう事なので😅 潜るのは無し。穴の向こうを見るだけにしましたが、これが中々に良い眺め。 大きく開いた穴の向こうには、「子授け観音」のお姿があり、何とも神秘的な光景でした。
「子授け観音」の側からから見るとこんな感じ。絡まりあう何本もの木の根に生命力があふれています。
参道の途中に作られた平地には、三基の碑が並んでおり、中央に『芭蕉』さんの句碑。上総国で建立された芭蕉句碑の最古のもので、安永6年(1777)の建立。 【五月雨に 此笠森を さしもぐさ】 さしもぐさはヨモギの異名、仏教用語ではこの世に生きる人すべて、一切衆生のことを指します。
芭蕉句碑の左には、江戸時代前期の俳諧師で蕉門十哲の一人『各務支考(かがみ しこう』の句碑 【片枝に 脈や通ひて 梅の花】
右には、義仲寺無名庵の庵主で、先の『各務支考』の弟子と言われている『渡辺雲裏』の句碑。【すへられて 尻の落着く瓢(ひさご)かな】
芭蕉さんの句碑の右側には、石仏や石碑がいくつかありましたが、特に説明は有りませんでした。
ここまでくると笠森寺の境内まではあと一歩、ゴールが見えてくると不思議と気力が復活します。 ここから先は昨日のブログで紹介したのですが、一箇所だけ書き漏らしていた場所がありました。観音堂の北側の「仁王門」で、一応阿吽の仁王様がひっそりと頑張っておられます😊 仁王門の先は、細い山道が続いているようでしたが、二~三歩進んだだけで引き返しました。
さぁ、参拝も終えたし、見たいと思っていた日本唯一の「四方懸造」の観音堂も拝観しました。 くだりの帰り道は、一歩先の様子が分かっている分、短く感じられるもの、出口はすぐそこです。 車を停めた場所までの道すがら、満開のしだれ梅に見送られて気分は上々。
御詠歌【日はくるる 雨はふる野のみちすがら かかる旅路を たのむかさもり】
参拝日:2019年3月9日
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