アンデスの山麓、高い山の尾根に存在する、15世紀のインカ帝国の遺跡「マチュ・ピチュ」。
新居浜市の山深くにある別子銅山・・その坑道から運び出された鉱石を山麓まで下ろすのに使われた索道基地跡。鉱石の貯蔵庫跡は、過去の栄光を深い霧のヴェールで覆い隠し、静かに、ひたすら静かにそこに存在しています。誰が言い出したのか「四国のマチュピチュ」と呼ばれながら・・・
などと書くといかにも現地に行ったみたいですが、実はこの画像、バスの車体で見た写真😄
国領川に架かる「端出場(はでば)大橋」を渡ると、「道の駅・マイントピア別子」の建物が見えてきます。深い緑に囲まれた道の駅は、まるで別世界のような雰囲気で、初めて足を踏み入れた私たちに不思議な期待感を抱かせます。
道の駅のある端出場地区は、別子銅山最後の採鉱本部が置かれていた所と言うことで、今も当時を偲ばせる物や場所が幾つか残されています。マイントピア別子の案内に寄れば、その範囲はかなり広大で、お手軽に見学は無理。
それでも6月の夕方はまだまだ明るさを残しており、敷地内に限ればそれなりに見学も出来そう。
灰色の・・まるで異世界のような建物は、大正8年(1919)完成の「端出場貯鉱庫跡」。鉱石を貯めていた施設だそうですが、近未来のSF映画に登場しても違和感ありません。
木々の向こうに僅かに見えているレンガの建物は、大正4年(1915)完成の「第四通洞」入口。行ってみたいような・・迂闊に近寄ってはいけないような・・。
敷地内の一画には「仲持(なかもち)」の様子を再現したモニュメント。「仲持」とは、奥深い銅山で精錬した粗銅や山中での生活物資(男性は45キロ、女性は30キロ)を背負って、険しい山道を運搬した人の呼び名。明治13年(1880)に牛車道が開設されるまで、すべて人力に頼られてきました
実際には非常な重労働であった「仲持」さんですが、時代が過ぎてしまうとこんな優しい顔出し看板になって訪問客を出迎えてくれます。
敷地内には本物の「銅鉱石」や「からみレンガ」なども展示されています。実際に手で触れてみて、改めてその質感、重さに驚ろかされます。
トロッコに積み込まれた銅鉱石は、ここに運ばれ貯蔵庫に入れられて・・・そうして今は役目を終えて、ここでひっそりと赤く錆をまとい始めています。
水の音に誘われてそぞろ歩けば、まるで一枚の絵のような足谷川が見えてきました。それほど大きな川ではありませんが、場所によっては深い水の色を見せており、全くの金づちの私にはかすかな恐怖さえ感じさせます。
対岸に目をやれば、ひっそりと緑に隠れるようにレンガの建物・・あれは明治45年(1912)に創業を開始した「旧端出場水力発電所」。
急峻な山の南を流れる銅山川の水を利用し、当時日本一を誇った597mの落差の水圧鉄管を使用。また、当時世界一と言われた20キロメートルの海底ケーブルにより四阪島製錬所まで送電を行っていたとか・・歴史的な事実を知れば尚更に、その「凄さ」に圧倒されます。
赤煉瓦造りの建物は、愛媛県を代表する西洋建築のひとつで、マイントピア本館のモデルとなりました。館内には、ドイツのシーメンス社製発電機、フォイト社製のペルトン水車などが、当時の姿のまま残されています。
気がつけばあたりは薄っすらと夕闇の気配を漂わせて始めています。まだまだ散策したいけれどデジカメも役に立たなくなり始めた事だし・・明日も早いし・・
訪問日:2011年6月14日
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マイントピア別子は、別子銅山施設跡を利用したテーマパークを併設した道の駅です。施設内には温泉も有り、この日はこちらで車中泊をさせて頂きました。周囲には同じような車も何台かあり、温かい温泉でゆったりと手足を伸ばして寛ぎ、ぐっすりと眠ることが出来ました。車で旅する者にとってこうした施設は本当に有り難く大切な場所です。
改めて・・その節には本当に有難うございました🙏🙏
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