縁結びで有名な「八重垣神社」。その社殿の後方「佐久佐女の森」には謂れの元となった「奥の院」が鎮座します。 社殿周辺とは空気の色まで異なったような・・・一帯は深い緑に包まれており、独特の雰囲気に思わず背筋が伸びるような不思議な感覚・・・
その一画に若いカップルには特に人気の縁結びのパワースポット「鏡の池」があります。中心地は結界に守られており、さして深くない池の底は、白くもやった状態・・・、お世辞にも清浄とは言えませんが、理由は縁を占う水占いの半紙。この白いもやっとした数だけの願いが沈んでいるのだと思うと、見る目も変わってきます。
鏡の池は、『櫛稲田姫命』が大蛇から身を隠している間、日々の飲料水として、また姿を映す鏡として伝えられています。今も変わらず湧き出る湧水は往時を偲ばせ「縁結び占いの池」として信仰されています。池の向こう正面には『櫛稲田姫命』をご祭神とする「天鏡神社」が静かに座し、恋人たちの願いの行く先を見守っています。
奥の院の更に奥には「夫婦杉」があり、近くには『稲田姫』を匿ったとされる大杉の跡もあります。『素盞嗚』は「佐久佐女の森」の大杉を中心に八重垣を造り、その内に『稲田姫』の身を隠されました。
日本神話では、『素盞嗚』は『稲田姫』を小さな櫛に変え、それを髪に挿して大蛇退治をしたと云います。 であれば、杉の八重垣も、鏡の池も不要となりますが・・・私が思うに(笑)、素盞嗚は、稲田姫の実体を八重垣の内に匿まい、魂魄を櫛に籠めて大蛇と戦ったのではないかと・・・
鏡池の近くにある「神秘 夫婦椿(子宝椿)」。背丈ほどの高さで2本の木が抱き合うように密着した姿は、自然の神秘を垣間見せると共に、何とも面映ゆい気分に(〃∇〃)。また境内社:「山神神社」の近くには「神秘 夫婦椿(乙女椿)」。
奥の院を出て境内の裏手、乙女椿の横に鎮座される「山神神社」。御祭神は『大山祇命(おおやまづみのみこと)・石長姫命(いわながひめのみこと)』。『石長姫命』と言えば、顔立ちこそ岩のようと云われていますが、永遠の命の象徴とされる女神。
縁を結ぶとは、すなわち子孫を繁栄させ連綿と命脈を繋ぐ・・という原始の観点から見れば、この風景も納得。 とはいえ、流石に一つ一つにカメラを向けるのは気恥ずかしく、つい誰にとも無く照れ笑い(^_^;)。
「山神神社」の裏手に当たる参道の「子宝の御神木」。それはまさに縁結びの原点。神代の昔より連綿と受け継がれてきた人々の営み、子孫を残せなければその命はそこで終わります。 幾世紀にも渡って受け継がれてゆく命こそが、国生みのもっとも重要な鍵だったのです。
境内社「社日神社」。御祭神は『天照大神』。
石祠の左右より神域を守護されるのは、すでに顔の形もおぼろげになった小さな出雲丹後の狛犬さん一対。真っ直ぐに背筋を伸ばしたお姿がとても健気。
『松尾芭蕉』句碑【 和歌の跡 とふや出雲の 八重霞 】
松江藩七代藩主、松平治郷(不昧)の弟『松平雪川公』献碑【 木枯や 神のみゆきの 山の跡 】
画像左【 笹鳴や 縁占ひの 神の池(前田圭史) 】:画像右【 そうこうの 妻に悔なき 初鏡(前田圭史の妻) 】 裏面に昭和四十九年金婚記念とあり、その時に建立したと思われますが前田夫妻の句碑がこの地に立つ所以の経緯は不明です。(公式HPより)
二座の御祭神が鎮まられる本殿の後ろには、姫の両親である『脚摩乳(あしなづち)・手摩乳(てなづち)』が鎮まられる境内社が鎮座されます。ああ、そうそう、駐車場の近くでこんな碑を見つけました「古代結婚式発祥の地」。
『素盞鳴』の読んだ和歌に出てくる「八重垣」ですが、「大垣・中垣・万垣・西垣・万定垣・北垣・袖垣・秘弥垣」・・実際の地名に残った垣もありますね。
参拝日:2011年5月18日
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