鳥取市上町に鎮座される「鳥取東照宮」。御祭神は『東照大権現』。配神として『池田忠継・池田忠雄・池田光仲・池田慶徳』を合祀。
神社創建は慶安3年(1650)、鳥取藩初代藩主『池田光仲』によって造営。光仲はわずか3歳で藩主となり、慶安元年12月(1649)に初のお国入りを果たし、藩主としての威厳を示すため鳥取城下への東照宮勧進を幕府に願い出て許可されました。慶安3年(1650)に因幡東照宮が完成。明治7年(1874)3月、樗谿神社に改称し、池田忠継・忠雄・光仲を合祀、同時に県社に列格。さらに明治11年(1878)、最後の藩主・慶徳を合祀。2011年10月、本来の名称が「因幡東照宮」であったとの理由から鳥取東照宮に改称。
2012年参拝時の鳥居には「樗谿神社」の社号額。おそらくこの後早々に、冒頭の「東照宮」社号額に変えられたものと思われます。私にはよい記念になりました。
切妻、三間一戸、本瓦葺薬医門形式の「神門」は、鳥取城の城下町にあった武家屋敷から移築されたもの。
神門の先に広がるのは樗谿公園となっており、市街地では珍しい「ホタルの里」として知られています。
参道正面に切妻、銅板葺八脚単層門の「随神門」。三間一戸、桁行3間、張間2間、外壁は真壁造り板張り。
2012年の参拝時、「随神門」には社号額は架けられていませんでした。
境内には、「東照宮」を造営した際に、池田藩の重臣たちが寄進した20基の石灯籠が並びます。深い緑の木立を背景に整然と立ち並ぶ燈籠群・・一段高い拝殿から見るその光景は、荘厳ともいえる美しさを見せつけています。
桧皮葺木造平屋建て、入母屋平入の拝殿。桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。後方に入母屋、桧皮葺、桁行1間、梁間2間の幣殿が続きます。
桧皮葺の唐門(中門)は、平唐門、一間一戸。
入母屋、桧皮葺の本殿は、桁行3間、梁間2間、1間向拝付き。扉に施された鷹の彫刻は左甚五郎が手懸けたものと伝えられています。
玉垣左右の石灯籠は池田光仲の子、池田新五郎(2代藩主:池田綱清)の奉納。
慶安3年(1650)建立の樗谿神社の本殿、拝殿、幣殿、唐門は江戸時代初期の神社社殿建築の遺構として大変貴重な存在であるとして、昭和27年(1952)に国指定重要文化財に指定されています。
「池田慶徳顕功碑」
こちらの碑、かすかに文字があるのは見て取れますが、仔細は不明。
神輿庫近くにあった句碑・・残念ながら該当する資料も無くこれも読み取れず。碑を見るのは好きなのに、文字を読み解く才が無い・・これは致命的な欠陥だと自分でも思う (-_-;)
【 とんぼ一つ 風にさからふ 水面なり 】尾崎放哉句碑
境内に咲いていた「八重咲の紅白美人」。艶やかさに見送られて・・
参拝日:2012年4月16日&2016年10月20日
読み取れない碑文、ご存知の方は是非コメント欄にてご教授いただければ幸いです。
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