その昔、武家地の大名町と、町人地の本町との間には女鳥羽川が流れており、その川には「千歳橋」と呼ばれる橋が架かっていました。むろん、町人が武家地に入る事は許されませんでしたが、お侍の時代が消えた今は自由に行き来できるようになりました。その「千歳橋」の袂:武家地側に「縄手通」りと名付けられた新しいスポットが誕生しました。
縄手とは、城の南総堀と女鳥羽川の間にある「縄のように長い土手」から由来したものだそうで、細長い路地の両側には見るだけでお腹一杯になる楽しいお店が一杯。いえいえ、そもそも路地に入る以前に、いきなりこんなのに出迎えられます(笑)
こんなのって失礼な!ちゃんと「ガマ侍」という名前のお神輿なんですよ。神輿。じつはこの楽しいお神輿、東京藝術大学の学生が、2004年の学園祭のために作った神輿だったのです。学園祭が終わったあと引き取り手を探し、「カエルの町」をキャッチフレーズにしている縄手通り商店街に寄贈されたという次第。青い目の方々が盛んにシャッターを押していたりで、大人気です(笑)
ところで「カエルの町」ってなんだ??と疑問に思われた方、私たちも最初は何で、こんなにカエルに置きものとか顔出しが有るんだろうって思ったのですが・・・
答えはすぐ目の前、「カエル大明神」の横にありました。「その昔、女鳥羽川には清流にしか生息しない「カジカガエル」が、一杯棲息していました。現在はその姿を見る事はできませんが、その復活と街おこしをかけて「カエルの街」としました。ナワテ通り商業組合設立の翌年、昭和47年に「カエル大明神」がここに祀られたのです。」現地看板より
こちらが「カエル大明神」様
ちなみに「蛙」提灯と並んでいるカエルさんじゃないですよ。その奥の祠に祀られているのが大明神さんですよ!
そんなわけで、この小さな商店街には、そこかしこにカエルが潜んでいます(*^^*)この子たちは、ナワテの東西の入り口にいるイメージキャラクターの『ゴウ太』と『メトバ』。勤勉で無口な『ゴウ太』はさしずめカエル界の二宮金次郎(笑)。『メトバ』が肩に担いでいるのは何だろう?
訪問日:2010年10月16日&2016年4月21日
縄手通りを抜けてほんの少し歩くと、白と黒のコントラストがシックな「蔵のある町:中町」です。
「松本市の中町通りは西から東へ抜ける善光寺街道沿いにあり、主に酒造業や呉服などの問屋が集まり繁盛してきました。しかし江戸末期や明治に南深志一帯が大火に見舞われ主要な施設や町家が多数失われました。再三にわたる火災から守るため、商人たちの知恵で「なまこ壁の土蔵」が造られ、その白と黒との簡潔なデザインの土蔵造りの家が中町付近には今なお多く残っており、古き松本の雰囲気を漂わせています。」公式HPより
「蔵シック館」は、元酒蔵の土蔵作りや、豪快な吹き抜けの木組みを楽しめる多目的スペース。中町近くの宮村町にあった「大禮(たいれい)酒造」の母屋、蔵、離れの3棟を移築、改修したものです。
明治21年に建築されたと伝えられる「大禮酒造」母屋、内部の見学ができるという事で早速中に。
「土蔵造り」の壁の展示
窓越しに見るお庭の景色・・う~~~ん、まさに別世界(笑)
ほんの少し、昔のお金持ちの気分を味わって再び町中に。どの佇まいも旅の気分を満喫させてくれるのに十分過ぎて、離れがたく通りから中々抜け出せない・・
目にする建物はどれも美しく、客を招く小さな看板キャラクターはどれも可愛らしく、それでなくても立ち去りがたい足をしっかりと引き留めてくれます(^^;)
蔵づくりの町並みの中で異彩を放つ「ミドリ薬局」は、大正14年(1925)から昭和2年(1927)にかけて建てられた木造2階建ての看板建築。
「松本商工会議所発祥の地」碑、そろそろこの素晴らしい街歩きも終わりの時間が来たようです。何しろこの先も予定はびっしりと詰め込まれています。時間を贅沢に使うには、まだまだ私たちは貧乏性過ぎるのです(笑)
訪問日:2016年4月21日
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