萩市川島地区、萩を流れる阿武川の分岐にあたる川島樋門を起点に、幅1.5m、延長約2.6kmの人工用水「藍場川」。
長州藩六代藩主・毛利宗広は、農業用の細い水路を川舟が通れるように大きく開削し、元文四年(1739)に新堀川まで開削。大川(松本川)より水を引いたので、それに対して溝川と呼ばれ、農業用水をはじめ防火用水、川舟による物資の運搬や水害時の水はけに利用されました。
後の明和年間(1764~1771)、藩営の藍玉座が設営され、そのため川が藍色に染まり、いつの間にか藍場川と呼ばれるようになったといわれています。今では川には錦鯉も泳ぎ、城下町らしい風情を感じる風景として、観光客の目を楽しませてくれます。人の気配を察して近寄ってくる鯉の大きさにビックリ(^^;)
川沿いにある小さな階段のような足場は「ハトバ」と呼ばれ、日々の暮らしの中で洗い場などに利用されてきました。建物の下、石垣の間に設けられた「竹の柵」の内側は個人用の台所として活用されています。
同じく石垣の間に設けられた板囲いの内側には風呂場があり、専用の「ハトバ 」も設けられ、洗濯などが出来るようになっています。
藍場川にはたくさんの石橋がかかっており、現在も生活の一部として使われています。御亭主殿が立っている旧湯川家への石橋は、一段高くゆるいアーチ状になっており、かつて物資を運ぶ船がその下をくぐっていました。
「旧湯川家屋敷」から歩いてすぐのところに「桂太郎旧宅」。御亭主殿はこの名前を聞いて「第2代台湾総督を勤めた人物で、あんた(私)の嫌いな日韓併合を主導した人物だよ。」と教えてくれました😅
弘化4年(1847)、萩城下平安古に生まれ3歳の時にここへ移り住み、長じて
藩校明倫館に学び、戊辰戦争では参謀として活躍。明治維新後は陸軍に入り、明治31年(1898)に陸軍大臣となり、明治34年以来、3度にわたって首相を務め、国事多難な時期に手腕を発揮。大正2年(1913)に67歳で没しました。
「内閣総理大臣通算在職日数:2886日」の記録保持者だそうで、その後100年以上に渡り日本の憲政史上最長記録として名を残したそうですが・・第90代・96~98代の内閣総理大臣:安倍晋三氏により、在職記録は「3188日」に塗り替えられました。
藍場川をたどり、市街地に移ると、物資を運搬した舟が方向を変える為の舟まわし場があるのですが、流石にこれ以上行ってしまうと帰路が辛いので、私たちはこれにて回れ右(笑) 無事に萩市のカラーマンホールもGETできました。
大きなアオサギの姿を捉える事も出来ました。
昭和48年1月25日藍場川沿いの一帯は、城下町の生活の情緒を良く伝え残しているとして『 歴史的景観保存地区』に指定されました。
訪問日:2012年11月13日
🌸明日は鉄道開通時のままの姿を残す、美しい萩駅舎の紹介です。
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