萩市椿東(ちんとう)に現存する「萩反射炉(はぎはんしゃろ)」。大正13年(1924)に国史跡に指定。2015年7月には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録されました。
「当時は鉄製大砲を建造するには、衝撃に弱い硬い鉄を粘り気のある軟らかい鉄に溶解する必要があり、その装置として反射炉が用いられていました。 鉄を溶かす溶解室の天井が浅いドーム状になっており、そこに熱を反射させて炉内の温度を千数百度の高温にして鉄を溶かす事から反射炉とよばれました。」現地案内より
江戸時代末期、萩藩は外国からの脅威に備え軍事力の強化をはかるために、鉄製大砲の鋳造に必要な反射炉の導入を試みました。安政2年(1855)、反射炉の操業に成功していた佐賀藩に藩士を派遣し、鉄製大砲の鋳造法伝授を申し入れますが、拒絶され、反射炉のスケッチのみを許されます。このスケッチをもとに萩反射炉を建設。
現存している遺構は反射炉の煙突部で、高さは10.5m。上部の約5メートルほどが二股に分かれていますが、実際はそれぞれ独立した2本の煙突となっています。
上部の一部が煉瓦積み、その下が安山岩と赤土で造られた石積みで、往時は漆喰で塗られていたと思われます。炉床と思われる遺構も煙突に対応して2つ発掘されており、その内の西側の炉床が主に使用されたと考えられています。
萩藩の記録で確認できるのは、安政3年(1856)の一時期に試験的に操業され金属の溶解実験が行われたということだけであることから、萩反射炉は試作的に築造されたと考えられています。2011年に訪ねた静岡県伊豆の国市にある「韮山反射炉」から見れば決して上々ではない萩反射炉ですが、それでもこれだけのものが残されていた事に感動。
静岡県伊豆の国市にある「韮山反射炉」
まるで見計らったかのように電車の近づく音。そういえばここは山陰本線のすぐ横だったっけ。こんな景色の中で見るせいか、何でもない一両電車も何故か特別に見えるから不思議だね。
そうか・・・ここは高台だから萩港が見えるんだ。沈みかけた夕日の中で見る海の色は、漁師町で育った私にはとても懐かしい景色に見えて・・柄にもなく故郷のことなど思い出してしまう。
「急がないと陽が沈むよ。明るいうちに今夜の車泊地に行かなきゃね。」御亭主殿の声に慌てて追いかける私。萩の一日目はここで終了です😊
訪問日:2012年11月12日
🌸明日は萩市内巡りの二日目、萩城下町の散策からです。
赤土で造られた石積み
くり抜かれた空間が
タケノコ見たいで面白いですね
タケノコ!ですか?
・・・う~~~~ん
その発想は無かったです(笑)
言われてみれば・・なるほど。
反射炉の説明に、聞き惚れました。硬い鉄と柔らかい鉄を溶融する機能、石積み、煉瓦積みに、漆喰の技法など、感心して拝読しました。
私が知る限りでは、反射炉があるのは静岡県の韮山、鹿児島、佐賀、大分県と、貴方が紹介されている山口県です。
耳学問なので、tibinekoさんの写真で実物を初めて見ました。維新の雄藩だった山口、鹿児島、佐賀は、さすがに先進国の技術への目覚めが早かったのですね。もしかすると、土佐にもあったのかもしれませんね。
と、ここでtononeko殿の声が入ります。
「急がないと陽が沈むよ。明るいうちに今夜の車泊地に行かなきゃね。」
だから私も、慌ててコメントを終わります。
佐賀県も佐賀市内の小学校の敷地内に
模型があるのみ
鹿児島県は未踏の地ですが、同じく跡地が「旧集成館反射炉跡」として残されているのみと聞いています。
現存するのは静岡県の韮山反射炉と
この萩の反射炉だけということで
その両方を見ることが出来ました。
日本が、国内ではなく国外からの驚異を経験する事となる幕末期
人々の「この国を」の心意気が伝わってくるような気がします