小野市浄谷町にある高野山真言宗寺院「極楽山・浄土寺」。新西国三十三箇所客番札所、『薬師如来・阿弥陀如来』を本尊とします。
浄土寺の前身は、現在地より西側約2kmの場所にあった広渡寺で、聖武天皇の頃、行基菩薩によって創建されたと伝えられています。その後、広渡寺は兵火により荒廃しましたが、建久5年(1194)、鎌倉時代の僧で、東大寺の復興に尽力した重源上人によって現在地に移転。寺名を浄土寺へ改め、建久8年(1197)に本堂の薬師堂と浄土堂が大仏様で建立されました。(ここに言う「大仏様」とは鎌倉時代に宋から伝来し東大寺に用いられた建築の様式。天竺様とも言う)
重厚な造りの山門、その屋根の上には羽衣をまとった飛天が、それぞれに横笛・ばちを手にし裳裾を風になびかせています。耳を澄ませば妙なる楽の音が聞こえてくるような‥美しい飾瓦です。
石段参道の先に見えるのは国宝指定の「浄土堂(阿弥陀堂)」。天竺様の建築様式を持つ建物は、他に東大寺の南大門だけといわれており、天竺様の建築様式を持つ堂としては、この「浄土堂」が日本で唯一のものとなります。
何故か画像が行方不明の為、「浄土堂」の画像は義姉からの差し入れですが・・私が写した筈の画像はどこに消えたのでせう(^^;)
重要文化財で浄土寺の本堂である「薬師堂」。もとは浄土堂と同じ大仏様であったとされますが、明応7年(1498)に焼失。その後、永正14年(1517)に再建されました。
宝形造、本瓦葺。和様・唐様・大仏様の折衷形式の「薬師堂」。
経蔵
漆喰壁に作られた木鼻の獅子。獅子というよりも幼い子供のような表情。
伽藍の中央正面に鎮座されるのは、浄土寺鎮守の「八幡神社」。社号標の「郷社八幡神社」の文字は、関東軍司令官であった『陸軍大将:本庄繁』によるもの。
「浄土寺縁起」によれば 八幡神社は嘉禎元年(1235)に建てられており、現在の拝殿はその遺構と思われる。幾多の改変の後 桁行七間・梁間三間・寄棟造の割拝殿となっている。ゆるやかな屋根の勾配、繊細な繁垂木、木鼻、蟇股などの意匠から、室町時代に多い和・唐・天竺様の折衷形式の原型ともいえる。」現地駒札より
「本殿は室町時代中期の代表的な檜皮葺・三間社流造である。手挟みの絵様彫刻や蟇股内の花鳥や透彫りなどのその特徴をよく表している。」現地駒札より
八幡神社の「拝殿」「本殿」は、共に国の重要文化財に指定されています。
拝殿前の左右より神域を守護されるのは、何故か切なそうな表情で口元を震わせる狛犬さん一対。〆の子の注連縄と共に掛けられた短い赤の前垂れは、まるで首元の飾りのよう。
境内は池を中心にして、西に重源上人開山当時の建築である「阿弥陀堂」。東方には室町時代の「薬師堂」が並び、この配置は東方浄瑠璃世界の教主である『薬師如来』と西方極楽浄土の教主である『阿弥陀如来』のおわす場所を意味していると言われています。
御詠歌【もうずれば この世ながらの 浄土寺(じょうどてら) るり安養(あんにょう)の 極楽のさと】
参拝日:2010年5月4日
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