丹波市春日町黒井にある曹洞宗別格地「大梅山:興禅寺(こうぜんじ)」。仏師:春日作による『釈迦如来』を本尊とします。
「戦国時代の山城「黒井城」の下館跡。戦国の城主は、合戦のとき山城にたてこもり、平時はふもとの下館で政務を行いました。水をたたえた七間濠、高石垣と白いぬり塀をめぐらせた興禅寺は、当時の館の風情をよく今に残しています。天正7年、明智光秀の重臣斉藤利三が城主となり、娘のお福(春日局)がここで生まれ3歳まで育ちました。」丹波市観光協会HPより
石垣の高さは約5m程度で、黒井城と同様の「野面積み」となっており、山上の黒井城とともに「黒井城跡」として国の史跡に指定。
七間濠に架かる石橋を渡った先に聳える、朱塗りの楼門
楼門は三間一戸の二層造で観音像が安置されています。宮津市にある智源寺からの移築で、創建年代は不明ですが元禄年間改修の記録が残されています。楼門の前には「春日局出生地」の碑が建立されています。
楼門内において『釈迦如来』を守護されるのは、「広目天」と「毘沙門天(びしゃもんてん)」
興禅寺の前身は、丹波国で勢力を誇った豪族『赤井直正』が開基したとする「誓願寺」で、黒井城落城50年後の寛永3年1626)に、少し離れたこの場所へ移転。真言宗から曹洞宗に、寺号も興禅寺としました。
「心字池」を中心とした庭は、足利将軍の従兄弟である『近衛前久』の設計と云われています。
参拝日:2014年11月19日
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