大和高田市(やまとたかだし)は奈良県中西部に位置し、中和・葛城地域の中核都市です。橿原市、御所市、香芝市、葛城市、広陵町に隣接。奈良盆地中西部の一角を占め、小さい面積の市域の大半は平坦地で、市の西北部は馬見丘陵の南端部に位置します。この一帯には五世紀の大型前方後円墳や築山古墳、領家山古墳が存在し馬見古墳群の南端を形成。また日本書紀に見える百済意多郎(おたら)墓は築山古墳の南に位置する岡崎に比定。近年、この付近で池田遺跡が発見され、大型の鶏、盾持ち人、巫女、盛装した男子など多数の形象埴輪が出土しています。「市の木:サザンカ」「市の花:コスモス」を制定。
キャッチフレーズは「元気な高田 誇れる高田」
大和高田駅前モニュメント「コスモス」
明治22年(1889)、町村制の施行により葛下郡高田町・浮孔村・土庫村・松塚村・磐園村・陵西村、高市郡天満村が発足。
1896年、葛下郡が北葛城郡に変更。
1901年、北葛城郡浮孔村大字三倉堂を編入。
1927年、北葛城郡土庫村・松塚村を編入。
1941年、北葛城郡浮孔村・磐園村を編入。
1948年、北葛城郡高田町が市制を施行、大和高田市となる。
1956年、北葛城郡陵西村を編入。
1957年、高市郡天満村を編入。北葛城郡広陵町大字池尻・藤森の一部を編入。
マンホールには周囲の網目に市章を散らし、中央に「市の木:山茶花」がデザインされています。(山茶花ホール、駅前の商店街等に設置)
マンホールのデザインに使われているのは、市制50周年を記念して誕生した『未来(みく)ちゃん』。山茶花の花冠をつけ、大和高田市が未来へはばたきますようにという願いを籠めて、市の魅力や情報を発信しています。
昭和7年4月1日制定の市章は「「タ・カ・ダ」を図案化したもの。」公式HPより
下の二枚は自治体名が「高田市」と記載されています。高田町が1948年に市制施行の際、既に新潟県高田市が存在し、市名の重複を避けるために、旧国名の「大和」を冠称しました。と言う事はこの二枚は市名を変更する前に作られていたものでしょうか?とすればかなり貴重な二枚と言う事になりますね。
「近鉄高田駅周辺整備事業竣工記念碑」
撮影日:2009年6月27日
奈良県内では最も面積が小さい市にも関らず、鉄道がが3路線も走っています。
そして面白いのは近鉄大阪線は「大和高田駅」、近鉄南大阪線は「高田市駅」、JRは「高田駅」と近接する駅名がみな違っているんです。
すごい!カッコいい!!
tibinekoさんの記事はいつも詳細で、
事典のようですね😊
昨日は(昨日も)丁寧なお言葉を、
ありがとうございました。
tibinekoさんに懸念を聞いていただけただけで、
少し気持ちが落ち着きました。
それと応援のお言葉を・・
ありがとうございました🙏
しみじみと嬉しかったです。✨
tibinekoさんもお身体労ってください。🌸
う~~~~~ん、物凄く惜しい事をした感じ。
この当時って、兎に角マンホールを探して下ばかり向いていた気がします。
今から思えば、絶対に挙動不審者だと思われてたかも(^^;)
大和高田はマンホールだけの為に立ち寄った感が否めません(^^;)
それでも何かしらを見つけて「カッコいい!!」と言って下さるまかろんさん
本当に感謝です(*^^*)
しばらくはご当地マンホールの記事が続きます。
タイトルに免じてお付き合いくださいね(^-^)