豊岡市法花寺に鎮座される「酒垂(さかたれ)神社」。御祭神は『酒美津男命(さかみずおのみこと)・酒美津女命(さかみずめのみこと)』。御祭神が酒の神である事から、「酒樽」に掛けて「さかたるさん」とも呼ばれます。
社伝によれば「白鳳3年(675)の夏に当地を治めていた物部韓国連久々比命という郡司が贄田(神田)に酒造所を造り、酒解子神、大解子神、子解子神の酒造3神を祀って神酒を醸造。これを祖神に供えて五穀豊穣を祈願したのが創祀であるとする」
中近世に「大蔵大明神」と称された事を示す拝殿額。隣に「酒垂神社」の拝殿額も並びます。
割拝殿から見る本殿
本殿覆屋は宝永の大改造の際の新設で、文政6年(1823)の造替。その後、昭和の修理に際しても改築されており、それ自体も貴重な建築物です。
覆屋の内、本殿前左右より神域を守護されるのは、建立年代不明の出雲丹後系の狛犬さん一対。
「社蔵の棟札によると永享10年(1438)釿始・嘉吉元年(1441)柱立・文安元年(1444)遷宮・造営の大工は伴大夫大伴久清で蟇股にはこの時の墨書も誌されている。建物は一間社流造こけら葺で、木割の太い柱に三ツ斗組をのせ、中備えは半肉彫の蟇股を飾り、妻組は虹梁大瓶束を組む。これらの建築細部技法は当時の建築様式の特徴を示す優れたもので、殊に建立年代や工匠名が明確であり、建築史上価値の高い神社建築遺構として昭和33年5月に国の重要文化財指定をうけ、棟札も附指定された。」境内案内より
向拝中備えの蟇股の横に、転法輪の周囲に亀甲形を配した透彫の琵琶板という珍しい彫刻。中央の二人は、多分囲碁をしていると思われますが詳細は不明。
貫彫刻は阿吽の像。綺麗な歯がちょっと羨ましい(^^;)
いかにもお酒の神様を奉る神社らしい奉納絵馬。
境内入り口・鳥居の左右に、玉垣に守られた「瓶(かめ)石」。酒をくみ入れる瓶を指すもので、一方は大杉を切った跡から見つかったとか。
左(上)の「甕石」は少し丸く、右(下)の「甕石」は長く尖った形をしています。実際に瓶として使えたとも思えないこの二つの石が表す物が本当は何なのか・・気になります。
「境内社:稲荷神社」「境内社:八幡神社」
かつて鳥居の西側に樹齢600年を数えた神木の杉が2本聳えていましたが、枯死のおそれがあるため昭和59年に伐採。跡地に氏子中による「大杉追憶ノ碑」が建てられました。
参拝日:2011年3月30日
それも何かの小説で読んだ中に出てきた話で、史実かどうかもあやふや。
それは置いて、半島との交易が行われた形跡は、但馬の国の様々なところで散見しており、これも突き詰めれば壮大で面白い話に行き当たるのかもしれませんね。
韓国連ということは半島南部を賜っていたと解するのが妥当でしょうか?
ちょっと調べると但馬は式内社の数が116社もありこれは大和、伊勢、出雲、近江に次ぐ多さ。
但馬は大陸と都を結ぶ軍事・交易ルート上にありこれが社の多さにつながっているという説があり、当地を治めた人物が韓国連であったことを考えれば頷けるお話。
半島や日本にまだ国家という概念がなかった時代、海を挟んだ交易がおこなわれる中、但馬は半島南部と一種の社会圏を形成した名残なのかもしれません。