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金陵山西大寺と会陽:裸祭り in 岡山県岡山市東区

2021年08月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

中世から近世にかけて金岡湊の港町、および「西大寺(さいだいじ)」の門前町として発展してきた西大寺地区。ことに、天正年間(1504~1521)から続く「西大寺の会陽(裸祭り)」は、日本三大奇祭として全国的にも有名です。

町の玄関口に当たる西大寺駅には「会陽賛歌」と題された臨場感溢れる銅像が、 褌一本の男たちによって繰り広げられる壮絶な「裸祭り」をアピールしています。それでは「裸祭り」の進行と共に西大寺の境内を紹介して行きましょう。

裸祭りの舞台となるのは、岡山市東区西大寺中に境内を構える「高野山真言宗別格本山・金陵山西大寺(観音院)」。

『千手観世音菩薩』を本尊とし、中国三十三観音霊場第一番札所、百八観音霊場(中国観音霊場、四国三十三観音霊場、九州西国霊場の3霊場の連携体)では本堂を第一番、境内の南海観音を第二番の札所とします。

寺伝によれば「今から約1200年昔、天平勝宝3年(75)に周防の国玖珂庄に住む「藤原皆足(ふじわらのみなたる)姫」が金岡の郷に草庵を開基し、千手観音を安置したのが創まりとし、宝亀8年(777)「安隆(あんりゅう)上人」が現在地に堂宇を建立したとされる。元々は犀の角を戴き鎮めた地に建立したことから、「犀戴寺(さいだいじ)」と称したが、後に後鳥羽上皇の祈願文から「西大寺」に改称したとされる。」

元文5年(1740)に再建された仁王門。国登録登録有形文化財の楼門は、高欄に回縁をめぐらした雄壮な構えで、男たちを迎えます。

一直線に本堂へ駆け込む裸の大集団に向かって御福窓より宝木が投下。その瞬間に男たちの戦いは頂点に達し激しい争奪戦が繰り広げられます。

本堂は文久3年(1863)の再建。正面12間に側面14間の巨大な構築は県下随一を誇り、御福窓などの特異な建築様式を今に伝えるとして、市指定重要文化財となっています。

熱い男たちの戦いを見守るのは、天井近くの貫から見下ろす阿吽の象。

あふれかえる熱気に身を任せるかのように満足げにうずくまるのは、屋根の龍。

貴婦人らしき人が手にしているのは、争奪戦の最中に飛び散った宝木の精霊でしょうか?

二月の真夜中、会陽の裸群が熱気で火照った体を浄めるのは、水の張られた境内の垢離取場(こりとりば)。想像しただけで気絶しそうですが、男たちの熱気は真っ白い湯気となって視界を奪います。

垢離取場鳥居の正面に静かに佇むのは「身代わり水垢離観音」。悩みや苦しみを観音様が代わりに水垢りをして流し清めてくれると云われています。

垢離取場の正面に立つ登録有形文化財の石門は、文政2年(1819)に完成した竜鐘楼。下の構えが石、上に木材が使われる造りの門は、古建築史上でも国内では数例しか確認されておらず、それらの中でも文化財的価値は、最高位に位置づけられています。

男たちの熱い戦いを見守るのは、普陀山仏教教会の交流10周年を記念して普陀山から贈呈を受け、大一番札所の西大寺にお祀りされた「南海観音像」

西大寺本坊の客殿にいたる門は、延宝頃(1673~80年)の建立と推測される鐘楼門。鐘楼の左右には、会陽の祝主・福男の名が記された行灯が掲示されています。

500年以上続く郷土の伝統行事であり、国の重要無形民俗文化財である 西大寺会陽。その熱い熱気が去った後に備前の国には春が訪れるといわれて来ました。しかし世界中に猛威を振るったコロナによって「宝木」の争奪は中止、「福男定めの儀」はくじ引き・・・。

ニュースを見た時の何とも切ない気持ちを思い返すとき、武漢ウイルスなんぞ跳ね返し、来年こそは!あの熱気がこの境内に蘇るようにと、郷土を愛する者として願わずにはいられません。

参拝日:2009年9月22日&2019年7月17日

まだまだ見所が沢山の西大寺境内、この続きは明日の「金陵山西大寺」で


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