相楽郡笠置町(かさぎちょう)は京都府の最南端に位置する町です。木津川市、和束町、南山城村に。また県を跨いで 奈良県奈良市に隣接。府内で一番小さな町で、全面積の八割が山林で占められています。町のシンボルでもある笠置山は古くから信仰の対象とされ、山頂の笠置寺には日本一といわれる弥勒大磨崖仏があり、また後醍醐天皇の行在所としても知られ、当時をしのぶ史跡も数多く残されています。「町の木:染井吉野」「町の花:美山つつじ」「町の鳥:ウグイス」を制定。
キャッチフレーズは「わかさぎのはばたくまち 美しい自然と史跡に恵まれた心ふれあう町」
白砂川の大手橋に、千載和歌集を撰進した『藤原俊成』の和歌。
【 五月雨は 水上まさる いづみ川 笠置の山も 雲がくれつつ 】
明治22年(1889)、町村制の施行により、相楽郡笠置村が発足。
1934年、 笠置村が町制を施行、相楽郡笠置町となる。
マンホールには、デザイン系の物はなく上水道関連の規格蓋のみでそれにも自治体を表す知章は皆無。町役場から消防署と聞きまわってそれでも見つけられず、知人から頂いた「笠置消防の防火水槽」画像が唯一のご当地ものとなりました。
昭和45年(1970)3月18日制定の町章は「全体で笠置町の頭文字である「笠」を表しています。」
以下はいずれも完全な汎用規格蓋です。
2009年は笠置大橋のこちら側、国道163沿いから集落の中までかなりの時間を費やして探し回りましたが、完全な規格蓋しか見つけられず、2015年は橋の向こう、笠置駅から集落を歩いて蓋探し・・流石に諦めました😩
笠置の由来「天智天皇の皇子の大海人皇子がこの地で狩りを楽しんでいると一匹の鹿があらわれ、夢中になって追いかけ危うく馬ごと岸壁から落ちそうになってしまいました。困り果てた皇子は「山の神よ、お助けください。そうしてくだされば、岸壁に弥勒仏の像を彫りましょう。」と祈願し、窮地を脱することができました。皇子は、祈願した場所を忘れないために笠をそこに置いて帰り、あくる日に約束どおり弥勒仏を彫ろうと再び山を訪れました。笠を探していると、白鷺があらわれ皇子をその場所まで導きました。皇子が笠を置いた石を「笠置石」、山を「鹿鷺山(しかさぎさん)」と称し、それが今日の「かさぎ」の由来となりました。」公式HPより
撮影日:2009年4月11日&2015年9月5日
この町もお山も初耳でしたが、そうなのですね、
ここでもお山は信仰の対象となってきたのですね😊
日本の信仰を考えるとき、
(詳しくはないです。あくまで詩人としての感慨です)
私はいつも熊野本宮大社が頭に浮かびます。
いや、本当は出雲大社や伊勢神宮や高千穂峰を
考えるべきなのでしょうけど、
私の頭には、大きな山や自然を素朴にあがめた、
日本全国の古代の素朴な人々の心が、日本の信仰の原点のように思えてならないのです。
神は遠くにいるのではなく、
人を超えてはいても、“そこ” にいる。
そう信じた日本の人々の心が、
そこから生まれた文化が、愛おしいと思います。
・・と感激のあまり、ここまで書きましたが、
>「山の神よ、お助けください。そうしてくだされば、岸壁に弥勒仏の像を彫りましょう。」
いや、なんでやねん。😅
なんで神さまへのお礼が仏様の像になるん??
これも日本人ですね😅
1400年前から日本人は日本人だったのだな、と思いました。
今でも仏様でもなんでも、ひとくくりに神様と言ったりしますし・・。
京都奈良はこういうゆかしい話が多くて、
うらやましいです。
どうぞ明日も日本の息吹につつまれた、
なごやかな日をお過ごしくださいね😊(まかろん)
私はこれを見た時
仏像がお供え物扱いされてるって
思わず笑ってしまいました(笑)
目に見えない神への供物に
目に見える仏像を捧げる
いかにも「神仏の別なく崇め奉る日本人」らしいなって。
一神教には絶対に無い融通性
あらゆるものに「神」の存在を見出してきた
失って欲しくない大らかさだと思います(⌒∇⌒)