旧宇陀郡菟田野町(うたのちょう)は奈良県の東北部、大和高原の山中に位置した町です。町の東部から流れる芳野川(ほうのがわ)流域の谷間に集落が点在し、榛原町、大宇陀町、吉野町、東吉野村町に隣接。菟田野古市場地区には崇徳天皇七年の創建と伝えられる「宇太水分神社」が鎮座され、本殿3棟は国宝に指定されています。「町の木:杉」「町の花:紫陽花」「町の鳥:めじろ」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、宇陀郡宇太村・宇賀志村が発足。
1935年、宇太村が町制を施行し、宇陀郡宇太町となる。
1956年、宇陀郡宇太町・宇賀志村が合併、宇陀郡菟田野町が発足。
2006年、宇陀郡大宇陀町・榛原町・室生村と合併、宇陀市が発足。
マンホールには「町の木:杉」「町の花:紫陽花」「町の鳥:メジロ」がベルのように組み合わされています。
昭和35年5月10日制定の町章は、回りの円で菟田野町の頭文字「ウ」を、真ん中に「田」を表しています。
撮影日:2009年7月11日
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旧宇陀郡室生村(むろうむら)は奈良県北東部に位置し、山林が村の面積のほとんど(81.7%)を占める山村です。奈良市、山添村、榛原町、曽爾村、東吉野村と県境を挟んで三重県名張市に隣接。「村の木:松」「村の花:スズラン」を制定。
宇陀川の支流・室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔を持つ「室生寺」は「女人高野」の別称をもち、今も多くの人が参拝に訪れています。
明治22年(1889)、 町村制の施行により、宇陀郡室生村・三本松村、山辺郡東里村が発足。
1954年、宇陀郡室生村大字山粕が曽爾村に編入。
1955年、宇陀郡室生村、三本松村・山辺郡東里村が合併、改めて宇陀郡室生村が発足。
2006年、宇陀郡大宇陀町・菟田野町・榛原町と合併、宇陀市が発足。
昭和39年5月制定の村章は、全体で「ムロウ」を図案化したものです。
室生村に関しては室生寺近辺、滝谷花しょうぶ園の集落近辺も探してみましたが、ご当地マンホールの類は見つけられませんでした。
撮影日:2006年6月17日&2009年4月29日
お小言はすっかり書き尽くしてしまったので・・
我が家の紫陽花たちのお話を
雨は天からの恵みの水
恵みを受けて一面を埋め尽くすように咲く大輪の花
あるいはひっそりと咲く蝶のような花
みんな一括りに紫陽花と呼ばれていますが
それぞれが全く別の顔を持っています
でも実はその元となったのは
日本固有種の山あじさいから。
人の手によって、華麗な花へと変身していきましたが
実は・・ふっとした時に元の原種に戻ってしまう事があるのです。
そういった事も含めて、心惹かれるモチーフですね。
うす水色の優しい紫陽花の花が
まかろんさんの心をしっかりと癒してくれますように!
まっちさんのコメントで知ることができて
有難いです。
全国には雨乞いの神社が多々あるのですか。
言われてみれば当然ですが、
考えたこともなかったので、おお…!と思いました。
日本の神秘をまたひとつ知りました。
治水の水分神社、そして町の花は紫陽花。
私ごとですが以前、梅雨を題材に物語を書こうとして、テーマの重さに挫折しました。
9年も経ったのだから
今なら書けるかと実は取り組みはじめてたのですが…
体調崩したのはそのせいもあるように思います😅
なーんにも思いつかない💦💦
でも、その挫折以来、
水や雨や紫陽花がずっと私の中で
特別なものとして、まとわりついています。
マンホールのコメントになってないですが、
奈良の歴史の豊かさを想いながら、
今日は休もうと思います🙏
緑豊かな日本の懐深さが今宵のtibinekoさんと
旦那さまの心身をうるおしてくれますように😊
こちらの水分神社は鳥居を横目で見ただけ・・
古の時代・・
時には甚大な災害を引き起こす天からの水は、また人の営みにとって決して欠かせないもの。
それを祭神として祀って来た人々の想いが伝わってくるような気がします。
全国には多々雨乞い神社がありますが、水分神社はただの雨乞いではなく、『水を配る』つまり渇水時には雨を乞い、洪水時にはその鎮静を願う希少なお社です。
年間降水量3500ミリ超の日本屈指の多雨地帯である紀伊山地と年間降水量僅か1100ミリの少雨地帯である奈良盆地。
この間の地域ならではの信仰なんだと思います。