岡山市北区首部(こうべ)に鎮座される「首部(こうべ)白山神社」。御祭神は『伊邪那美命・ 菊理姫命』。
御由緒「平安時代初期、仁和年中(885~889)に、石川県の白山比咩神社 から、当地の北にある坊主山の頂上に「白山権現」として勧請したのを創始とします。その後、現在地に遷座され、明治二年に「白山神社」に改称。 崇神天皇の御代に、四道将軍として五十狭斧彦命(後に吉備津彦命)が、備中岩屋に住む鬼とされる温羅(吉備の冠者)を退治し、その首を「首村」に晒したが、怪異により首は吉備津神社の下の地中深くに移した。~後略」境内案内より
何があったのかは不明ですが、随身門はブルーシートですっぽりと覆われており、随身様の様子を窺うことは出来ません。
これはシートの隙間からチラッと見えた天井部分ですが、ぶら下がっているのは「酒林(さかばやし)」と呼ばれる杉玉のようです。何故ここに杉玉が在るのか? もしかして境内のどこかに「酒の神様」が祀られていたのか?すべては謎。
随身門前より神域を守護されるのは明治39年10月、日露戦役を記念して建立された構え方狛犬さん一対。台座から滑り落ちそうな前足と、丈夫そうな歯並びが印象的。
随身門の東側に注連縄で囲われた一画があり、その中央には高く土が盛り上げられています。傍らには「末社:米神」の社名が見えますが、実はこれが温羅の首塚だというのです。
伝承によると吉備津彦命によって討ち取られた温羅の首は、串に刺して晒された後ここに埋められたと云います。その時々の権力者によって悪にも善にもなる敗者。温羅の側に立てば、彼はその地を治める偉大な統治者であったかもしれません。近隣には妄想全開で、恨みを膨らませ優位に立とうとする民族もいるようですが、こうして「米神様」として大切に祀られている姿を見ると、日本人で良かったとしみじみ思うのです。
参拝日:2011年8月16日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます