車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

猪名部(いなべ)神社 in 三重県東員町

2018年02月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

三重県東員町北大社、全国的にも珍しい前方後円墳の上に鎮座される「式内社:猪名部(いなべ)神社」。御祭神は『伊香我色男命(いかがしこおのみこと)・春澄善縄卿(はるずみよしただきょう)』

「伊香我色男命は、猪名部氏の祖神で、天孫瓊々杵尊の兄、饒速日命の六世の孫と記されている。創建年代は不詳。貞観元年(859年)に神階従五位下、同8年(867年)従四位を下賜。貞観15年(873年)9月9日、『三代実録』に、天皇に仕えていた掌侍、春澄朝臣洽子が旅費として官稲千五百束を賜って氏神猪名部神社に奉納したとある。以来神社の諸祭儀は何れも9日と定められた。延喜5年(905年)、式内社に列されている。」由緒碑より

前方後円墳の上、神明造の御本殿に鎮まる『伊香我色男命(いかがしこおのみこと)

北摂地方(現在の伊丹市、尼崎市、宝塚市、池田市付近)には、かつてヤマト王権時代に猪名県が置かれ、『為那都比古(いなつひこ)』を長とする一族が支配していたとされています。由緒には「猪名部氏は、元々の現住豪族と攝津国(兵庫県)の猪名川周辺から大和(奈良県)を経て、移住してきた豪族との融合豪族といわれる。第43代元明天皇の和銅6年(713)勅命により、猪名部の族名が転じて「員弁」とされた。」と記されています。

ご本殿の向かって右隣には『春澄善縄郷(はるずみよしただきょう)・他十座』が鎮まられる「瑞穂神社」が鎮座します。 続日本後記を編纂された『春澄善縄郷』は、学問の神としても篤く崇敬されています。

「祖霊殿」はかって拝殿として使われていましたが、明治の初めに現在地に移り、祖霊殿として立て替えられました。 瓦は建築当時(安土桃山以前)のままで、唐草の模様は一枚一枚全て異なるといわれ、大変貴重な建物です。

「神楽殿」の内外には「上げ馬神事」に関する馬霊碑や大絵馬、神馬像などが奉納されています。 馬の祭事は全国で239ヶ所あるとされており、特に「上げ馬」はここ「猪名部社」が発祥とされています。

100mの馬場を駆け、高さ2.5mの土塁を駆け上がり豊凶を占う「上げ馬神事」。 建久3年(1192年)12月、大木城主で郡司の『員弁三郎行綱』『源頼朝』から騎射・巻狩の上意が伝えられたのを機に、青少年の士気向上を図って追野原で創始したと云います。県内の多度大社のものより160年ほど遡り、三重県無形民俗文化財に指定されています。御神馬の腹掛け「五瓜に花菱」の社紋が鮮やか。

境内の一画に建立される「閻魔堂・薬師堂」「薬師如来は北山田村にあった三百坊を有する員弁寺の大徳法住上人の作で同寺に安置されていたが、織田信長の兵乱がおこる前、尊信厚かった北大社村の早川忠右衛門がお告げを受けて早川家に安置供養した事から、難を逃れた。その後移転を繰り返し、昭和十年頃現在の場所に移ったとされる。歯痛の子供がよくお参りしたという。また千年ほど昔より「えんまさん」の話が北大社に伝わったとされ、閻魔大王と役人が隣のお堂にまつられている。」現地案内より

境内の外れ・社務所の近くには「神農宮」が祀られています。

一般的には「五輪塔」と呼ばれたものだと思うのですが、様々な事情により「三輪塔」となってしまった碑。謂れや祭神についても一切不明。一般的に「神農さん」=「少名彦命」=「医薬の神」ですが、それが正しいのかどうかも不明。

塔の左右に奉納された鍾馗像と弁財天像、更に謎(笑)

全国的にも古墳の多い神社として知られる「猪名部神社」。この「高塚古墳」は『猪名部氏』の墓とされ、散在した17基の内の最大のものと言われています。元は円墳でしたが、明治41年に氏子が石を持ち寄って石垣を積み、現在の六角墳になりました。

脇にそびえる白樫は古墳時代のものとされ、その樹齢およそ1500年・・・その数字が意味するものに改めて感動を覚え、手を合わせる二人。

境内の一画にあった釜場。湯釜神事でもあるのかと思ったのですが、HPにもそうした記載はなく、今もって謎のまま(^^;) 何だったんだろう??

「第45代聖武天皇の天平17年(745)8月から建立され、猪名部氏の猪名部百世が大工(棟梁)、飛騨の匠の益田縄手が少工(副棟梁)として完成させた「東大寺」。この世界最大の木工建築物は技術の粋を集めて建立され、その総指揮をとった猪名部氏が建築技術に優れ、宮中に仕えた名工として日本書紀にも登場し、実に著名であったことが判る。更に尚、世界最古の木造建築物「法隆寺」・「石山寺」・「興福寺」の建立にも携わった歴史がある。又、古墳の出土品から「飛鳥寺」建立にも携わっていることも伺える。」公式HPより
 

参拝日:2017年3月25日

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御神名一口メモ

『伊香我色男命(いかがしこおのみこと)』、古墳時代の豪族で、物部氏の祖。崇神天皇7年に大物主神を祀る「神班物者(かみのものあかつひと)」に任じられたと伝えられている。

『春澄善縄卿(はるずみよしただきょう)』、平安前期「在朝の通儒」(万事に通じた学者)と賞された学者。猪名部造豊雄の子。『続日本後紀』を編纂した人物。


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