伊勢市宇治館町に鎮座される「伊勢神宮」、正式には「神宮」とのみ称されますが、他の神宮と区別するために伊勢神宮と通称されています。「伊勢の神宮」、また親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称され、神社本庁の本宗(ほんそう)であり、二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社の一つであり、古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされました。
お伊勢さん参りは、外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされています。伊勢市豊川町に鎮座される「豊受大神宮(外宮)」。衣食住の守り神である『豊受大御神』を祀ります。相殿神に「御伴神(みとものかみ)三座(東に一座、西に二座)」を祀ります。
延暦23年(804)に編纂された社伝「止由気宮儀式帳」によれば、雄略天皇の夢に天照大御神(内宮祭神)が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」と神託。この神託を受け雄略天皇22年7月7日 (旧暦)、内宮に近い「伊勢国度会の郡、沼木の郷、山田の原」の地に豊受大御神を迎えて祀ったのが始まりとされます。
ご本殿は外側から板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重垣に囲まれ、南北の門に宿衛屋(しゅくえいや)が置かれていますが、拝所からは直接見ることはできません。
20年に一度の式年遷宮で知られる神宮には、正宮の隣に次の神宮式年遷宮の際に正宮が建てられる「御敷地(みしきち)」があります。この御敷地は、前回の式年遷宮の時に正宮が置かれていた土地であることから「古殿地」とも称されています。
正宮前の池の横にある「亀石」は、高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられています。最初は何故に亀?と不思議だったのですが、なるほど!!見る角度で確かに「亀」に見えます。
亀石を渡った先、石段の左に鎮座される「風宮(かぜのみや)」。御祭神は『級長津彦命(しなつひこのみこと)・級長戸辺命(しなとべのみこと)』、風雨を司る神とされます。
「風宮」の右に鎮座される「土宮(つちのみや)」。御祭神は『大土乃御祖神』。山田の原の地主の神とされます。
土宮と風宮の間にある石段を98段登った丘の上に鎮座される「多賀宮(たかのみや)」。『豊受大御神荒魂』を御祭神とし、四つの別宮の中では最高位とされています。
参道の途中にある銅板葺、入母屋造りの建物は「外宮神楽殿」。御朱印などはこちらで授与されます。
入口に架かる「火除橋」は、火事の際に使用される神宮の神域の堀川に架けられたことから「火除橋」と呼ばれており、外宮には二つの橋があります。
私たちが参拝した折には、もう一方の「火除橋」は新たに工事の最中だったようで、滅多に見られない光景に遭遇できました。
神路通りにあった「お木曳きひき行事と山田」と題された案内板。お木曳きとは、遷宮の為に木曽の山から切り出された御用材を、宮川より外宮の北御門まで神領民と呼ばれる地元の人々によって運ばれる民俗行事の名称。この案内の最後に芭蕉の句が添えられています。
【たふとさに みなおしあひぬ 御遷宮】
またこれと並ぶように、「昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱」が大切に保存されています。案内板には「昭和三年に昭和天皇ご即位の大典が京都でとり行われ、同年十一月には、両陛下が伊勢神宮にご参拝されました。これにあわせて、皇大神宮(内宮)宇治橋付近から宇治浦田町交差点付近までの間(通称おはらい町通り)約六百mに、通信ケーブル架渉用にコンクリート電柱二十三本が建設されました。~後略」
参拝日:2010年4月3日
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