車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

猿田彦神社 in 三重県伊勢市

2021年04月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

宇治浦田に鎮座される「猿田彦神社」。御祭神は『猿田彦大神・大田命(おおたのみこと)』

「天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたられました。そして、神宮第一の古典『皇大神宮儀式帳』等にあるように、宇治土公(うじのつちぎみ)宮司家の祖先で猿田彦大神の裔である大田命が、倭姫命の御巡幸に際して、猿田彦大神が聖地として開拓された五十鈴の川上にある宇遅(宇治)の地をお勧めし、そこに皇大神宮(内宮)が造営されました。そのため宇治土公家はその後、神宮において代々「玉串大内人(たまぐしおおうちんど)」という特別な職に任ぜられ、式年遷宮で心御柱と御船代を造り奉るなど、重要な役割を果たしてきました。」HPより

一の鳥居近くより神域を守護されるのは護国タイプ鈴昭和の狛犬さん一対。

「五瓜梅鉢」の御神紋を染め抜いた拝殿幕。後方には「さだひこ造り」と呼ばれる特殊な妻入造の本殿が続きます。

拝殿正面には昔の神殿跡を印し、方角を刻んだ八角の石柱があります。この場所は、昭和11年(1936)の御造営まで永く御神座のあった最も神聖な場所です。

猿田彦神社の本殿に向かい合うように鎮座される「境内社:佐瑠女(さるめ)神社」。御祭神は『天宇受売命』。天照大御神が天岩窟にこもられたときに神楽をされたことから、俳優(わざおぎ)、神楽、技芸、鎮魂の祖神とされます。

絵馬に描かれた「みちびきの舞」は、明治天皇の皇女・北白川房子様御参拝の時にお詠みになった御歌に作曲、振付をした猿田彦神社独自の舞いです。「さだひこの 御名いと高し 天くだり神代の昔 しぬびまつれば」

拝殿の後方に広がる「御神田(おみた)」では、毎年5月5日に豊作を祈って早苗を植えるお祭りが行われます。桃山時代の衣装をつけた植方が、のどかな田楽に合わせて早苗を植える優雅な「御田植祭」は、三重県の無形文化財に指定されています。

赤と土の色で構成された小さな祠は「猿田彦土中神社」とありましたが、説明では、神社ではなく美術品だとの事。中に入って戸を閉めると「土中絵画」なるものが見られます・・・が、凡人故なのか、良くわかりません😔

鳥居の手前にある池は、宇治土公家の産霊神がお宿りになるとされ、子宝に恵まれるという言い伝えから「子宝池」と呼ばれています。

子宝池の近くにある赤門は『宇治土公』家の正門として江戸時代初期に建築され、昭和46年に現在地に移築されたそうです。

この留蓋を飾る獅子が何と言うか非常に手が込んでいるのです。小さくて見え難いかも知れませんが、何と阿吽共に仔獅子を連れているのです。

これまでにも細工瓦の留蓋獅子は色々と見てきましたが、こうした仔連れというのは滅多に見かけることが無く、それだけにご亭主殿も大喜び。

参拝休憩所横に建立された『本居宣長』歌碑は、寛政11年(1799年)に本居参宮の時、宇治土公家に逗留し、定津神主に贈ったもの。

【神世より 神の御末とつたへ来て 名くはし宇治乃 土公わが勢】

裏参道入り口より神域を守護されるのは、昭和36年建之の浪速型の狛犬さん一対。それほど古いものではありませんが、強面すぎるきらいはあるものの、良いお顔をしておいでです。

参拝日:2010年4月4日


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