車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

神宮徴古館・神宮農業館・宇治山田駅 in 三重県伊勢市

2021年04月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・三重県

神都の異名を持つ伊勢市に残された歴史的建造物。最初の紹介は伊勢市神田久志本町にあるルネッサンス様式の「神宮徴古館(ちょうこかん)」

第二次世界大戦末期の1945年7月、アメリカ軍の空襲により外壁を残すのみとなりましたが、1953年の第59回神宮式年遷宮を記念して修復。現在は、神宮崇敬の歴史や日本の文化を展示する「歴史と文化の総合博物館」となっています。

「設計は片山東熊・高山幸次郎で、煉瓦造に石貼仕上げとする端正な意匠の建物。平面は、中央ホ-ルとその奥の貴賓室、左右の翼屋を廊で繋ぐ構成になる。戦災後大改修されたが、外壁廻りは保存されている。」 ~文化遺産オンラインより

社殿建築の模型、式年遷宮の御神宝類等々、神宮を知る為には必見の博物館、できれば内部も拝見したかったのですが・・・・やっぱり時間が😔

1998年に国の登録有形文化財に指定された「徴古館」と同時期に、文化財に指定された「神宮農業館」。平等院鳳凰堂をモデルとした和洋折衷の建物はどこか懐かしく美しい佇まいを見せています。

「農業館」では、神宮と農業の係りを示すものとして、神嘗祭に奉納された皇居御田で作られた稲穂。香淳皇后ゆかりの生糸、繭などを展示。人間と自然の産物との関わりをテーマとした、日本最初の産業博物館となっています。

「元はロの字型の平面であったが,近年の移築で中央部の宝形屋根の望楼の左右に翼屋を配し、廊で繋ぐ前半部のみに縮小。外観は和風で,内部架構は洋風にまとめる優れた技量がうかがえる。設計は片山東熊。」~文化遺産オンラインより

同敷地内の「神宮美術館」は、1993年・第61回神宮式年遷宮を記念して建てられました。日本の伝統的な建築様式を踏襲しており、緩やかな勾配の銅板葺の屋根に、内装は素木を活かした現代建築。各分野の方々から神宮に奉納された作品を所蔵、展示しています。

御幸道路沿いに一際目を引くケヤキ造の大門。かっては徳川将軍家の祈祷師を務めた御師邸の門でしたが、1935年に神宮文庫の門として倉田山へ移築。『御師邸門』として1958年に伊勢市の有形文化財に指定。通称「神宮文庫の黒門」と呼ばれています。

参宮急行電鉄の終着駅として昭和6年(1931)に建設された「宇治山田駅」。間口120m、鉄筋コンクリート3階建ての外部壁面は、クリーム色のテラコッタ・タイルで装飾。スパニッシュ様式に仕上げられた駅舎は、2001年、国の登録有形文化財に指定されています。

お伊勢参りの玄関口として多くの観光客を迎える駅舎内には、そのものズバリ「お伊勢参り顔出し」。右は遷宮の際に新しい御正殿の敷地に敷き詰める「お白石」を奉献する「お白石持行事」の奉曳車。

いずれの地でも同じですが、文化財に指定された建物だけが素晴らしいわけではありません。長い歴史を生き抜いてきた建物は、その存在自体が既に素晴らしいものなのです。神宮外宮近くにあるレトロな木造三層楼「山田館」。深川の宮大工が最高の技術と感性で創り上げた建物は、今風の建物の中にあって、思わず足を止めさせる風格を備えています。

外宮参道の角に建つのは、明治創業の打刃物店「菊一文字金近本店」。「菊一文字」と聞くと、鎌倉時代初期の刀工、菊一文字則宗が鍛えた「沖田総司」の刀を思い出すあたり・・マニアックです😅。

伊勢・せきやの「参宮あわび」の大看板に思わず立ち止まって見上げ、改めてこうした諸々によって参道の景観が作り上げられている事を実感させられます。

訪問日:2010年4月3日


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