愛知県安城市東栄町に鎮座される「明治川神社」。御祭神は用水守護のための三柱『大水上祖神(みくまりのおやのかみ)、水分神(みくまりのかみ)、高龗神(たかをかみのかみ)』。さらに昭和にかけて、明治用水開削の功労者『都築弥厚命、伊豫田与八郎命、岡本兵松命、西沢真蔵命』を合祀。
由緒 「当社は、明治用水の守護神として、水にかかわりの深い神様、及び明治用水の敷設に功労のあった方たちが祀られている。社伝によれば、文化5年(1808年)頃、都築弥厚なる翁が碧海台地の開発を計画されてから70余年の歳月を経た明治13年(1880年)4月18日、松方正義内務卿参列のもとに用水路竣工の式(水源)という宿願を迎えたという。長年にわたる用水の欠乏により農村は疲弊していたが、用水路の開通によつて一大飛躍に至り、水に由縁の深い神、三柱を同年12月に現在の境内地に勧請し奉った。その後、明治17年10月に社号を明治川神社とし、翌18年10月10日本社落成。大正4年11月、この計画者、都築弥厚大人を合祀。つづいて昭和17年5月、伊豫田与八郎命、昭和26年5月、岡本兵松命がそれぞれ伊佐雄社より、又、昭和31年3月には、西沢真蔵大人「枝下用水」が共に合祀されて用水の守護神として厚く奉斎された。」
二の鳥居を経て、昭和二年十月建立の神橋が架かる神池へ
神明造の拝殿
拝殿前左右より神域を守護されるのは『石匠:酒井孫兵衛』によって作られた「岡崎狛犬」一対。
八代続いた『酒井孫兵衛』ですが、実は、正式に孫兵衛を名乗ったのは三代目(弘化三年1846没)からだそうで、奉納年の記載がないこちらの狛犬さんが何代目の孫兵衛さんによって生み出されたのかは不明。ともあれ、昨今巷にあふれる大量生産の岡崎型とは確かに一線を画しています。
「境内社:伊佐雄社」・御祭神は『田中勘七郎命、本多寛三郎命、加藤太兵衛命、黒宮許三郎命、中根祐命、木藤八三郎命、黒川治愿命、本多又左衛門命(北野用水)、小原権太夫命(北野用水)、天野金右衛門命(鹿乗川)、加藤吉右衛門命(鹿乗川)』。
由緒「用水開拓に功労のあった十三柱の方々は、何れも存命中に神として奉祀せられた「生祠」。もとは、明治14年上倉池の小島の上に発起者並に出資者を奉祀し、開拓小作のため移住した人々と共に鎮守の神として崇敬の誠を捧げていましたが、この上倉池も開拓し盡されたので、明治18年明治川神社の公認認可を機会に現在の地に遷座。昭和47年8月鹿乗川沿岸用排水土地改良区が明治用水土地改良区に合併したため、北野用水、鹿乗川の開さく改修に功労のあった各二柱が翌48年10月合祀された。」
境内社「伊佐雄社」の神域を守護されるのは大正9年(1920)1月。『石工:本多吉郎』作の岡崎狛犬さん一対。岡崎型ですが個性的な顔立ちです(笑)
神楽殿
神池と神橋
豊かな水が蓄えられた神池には、笠をかぶって田植えをする人を象ったモニュメント。
御神馬
「教化史跡 明治用水」碑。「教化とは、教え導き、よい方向に向かわせること。ついでに史跡とは、遺跡のなかで重要なもの」という意味だそうです。
参拝日:2011年9月18日
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