山陽小野田市大字小野田(若生町)、「太平洋マテリアル(株)小野田工場」。正面に見える建物は昭和3年に事業所の建物として建築。今は事務所本館として使われており・・・可能であれば、じっくり拝見したいと思う美しい建物。
その敷地内に現存する「旧小野田セメント製造株式会社竪窯」・通称「徳利窯(とっくりがま)」。山陽小野田市訪問で一番のお目当てだった名所です。
「旧小野田セメント株式会社が明治16年(1883)に建造した最初のセメント焼成用の竪窯のひとつで、明治30年頃に焼成容量増加を目的として一部改造された。焼成部分と煙突部分からなる煉瓦構造物で、高さは、焚口底部より約18m。」山陽小野田市公式HPより
焚口部分
わが国に完存する唯一のセメント焼成用竪窯。近代窯業史上、高い価値があり、西日本における建設事業の近代化を支えた旧小野田セメント製造株式会社の中心的施設として重要である事から、竪窯周辺は、昭和44年2月4日に県指定文化財に。竪窯は、2004年12月10日に国重要文化財に、また2017年には未来技術遺産に登録されました。
遠心調速機(ガバナー)
現役の工場風景を背景に、今は役目を終えたセメント容器の木製樽を製造する「樽造機」。
「小野田セメント製造会社」は、笠井順八が明治14年(1881)5月に創立した日本で最初の民間セメント製造会社。セメント製造に必要な原料については、石灰石を豊後恒見、無煙炭を紀州天草、粘土は有帆川と厚狭川河口のものを採用。小野田新開作に工場を建設し、明治16年(1883)9月からセメントの製造を開始しました。モニュメントの碑は徳利窯につかわれていた煉瓦。銘板は六基の徳利窯が並ぶ全盛当時の写真です。
帰り際の橋の上から見る徳利窯、右に見える芝生部分は1986年2月に廃止された専用線の跡だそうです。
徳利窯を後にして向かった先は山陽小野田市大字小野田(東住吉)に所在する「小野田セメント山手倶楽部」。
旧小野田セメント株式会社第四代社長:笠井真三氏が、ヨーロッパ遊学の帰途、イギリスからコンクリートブロックの型枠を持ち帰り、ブロックを製造。ブロック外面の仕上げは江戸切り、車寄せと西面ベランダにトスカナ式の柱を配した古典的なデザインを取り入れた造りで大正3年(1914)6月に完成。大正時代のブロック建築は大変珍しいものであり、建築史上貴重な建物として2000年12月4日登録に国登録有形文化財に制定されました。
外観のみ自由に見学可と言う事で、見事に手入れされた庭も含めて、外観を存分に堪能してきました😊
隣接地には笠井真三氏の旧宅もありますが、こちらは当然、外観を仰ぎ見るだけ。
訪問日:2012年11月17日
今朝も寒いですねエ。
本日いよいよ、ももちゃんが公立高校受験に行って来ます、なんだか僕までドキドキしちゃいますねエ。
遠方からですが「ガンバレ!」
早春の寒さは 合格発表の為の予備段階
嬉しいお知らせと一緒に
暖かな春のお日様が微笑んでくれますね!!