旧北安曇郡八坂村(やさかむら)は長野県北西部、安曇野の中東部に位置した村です。長野市、大町市、池田町、美麻村、生坂村、信州新町に隣接。山村留学発祥の地として知られる町域は、犀川擾乱(さいがわじょうらん)帯と呼ばれる褶曲(しゅうきょく)地帯にあり、村の中心を北から南へ金熊川が流下、その両側には1,000m級の山々が南北に連なっています。
1889年、町村制の施行により、北安曇郡八坂村・広津村が発足。
1957年、北安曇郡広津村北山の菖蒲地区を編入。
1959年、八坂村左右地区が上水内郡信州新町に編入される。
2006年、大町市に編入。大町市八坂となりました。
マンホールには「村の花:ヤマザクラ」と「金太郎」がデザインされています。(大姥山神社前宮下の国道19号線に設置)
大姥山と金太郎のレリーフ
昭和48年(1973)11月28日制定の村章は「村名「八坂村」の「八」の字をシンプルに印象的に飛 躍する二羽の鳥のイメージで表現し、輪郭でカタカナの 「サ」の文字をも表現し、輪と豊かな村づくりに向って 力強く飛躍進展する姿を印象づけている。」合併協議会資料より
「大姥様と金太郎の伝説」
「むかし、大姥(山姥)が信州八坂の一角の一番高い山に棲んでいた。大姥は有明山の八面大王と恋仲になり、大王の子を宿し産んだのが金太郎である。 金太郎が6歳のとき、源氏の大将頼光が時の天皇の命により諸国の鬼退治をしていたが、あるとき鬼の力が強く退治がむずかしくなり、大姥を訪ねてきた。大姥はそれならこの子を連れて行きなさいと金太郎を家来にしてやった。 そのおかげで頼光は鬼退治をすることができたということだ。それ以来、頼光は金太郎を家来にして坂田金時と名のらせ、後に頼光四天王の一人に加えられたという。 金太郎が熊と戯れた近くの川を金太郎と熊にちなんで金熊(かなくま)川という。また、この山は神聖な山として祀られ、大姥神社奥社へ女人が一足でも足を入れようものなら荒れると恐れられていた。」金熊温泉明日香荘公式HPより
撮影日:2016年4月17日
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