浜松市北区引佐町井伊谷に鎮座される、建武中興十五社の一社「井伊谷宮(いいのやぐう)」。
御祭神は『後醍醐天皇』の第四皇子で南北朝時代に征東将軍として転戦した『宗良(むねよし)親王』。 二条派の代表的歌人で、南朝歌壇の中心であり、准勅撰和歌集『新葉和歌集』の撰者となるなど、非常に優れた歌道家であった人物です。
由緒に「明治維新の際、建武中興に尽力した人々を祀る神社が次々に作られた、当社はその中の一つである。はじめ「宗良親王御社」と称したが、明治5年(1872)に「井伊谷宮」と改称される。」
御神紋は「十六弁菊」と『宗良親王』の家集の題名にちなんだ「李花紋」。 皇室とのゆかりも深く、昭和58年には『昭和天皇・皇后両陛下』もご親拝なされました。
ここ井伊谷の地は「井伊氏発祥の地」としても知られ、近年の某ドラマにも取り上げられました。御祭神である『宗良親王』は今より約650余年前、朝廷が二つに分かれた南北朝時代に一品中務卿征東将軍(いっぽんなかつかさきょうせいとうしょうぐん)として、この地を本拠に50余年の間、吉野朝(南朝)のためにご活躍になられました。(御祭神絵馬はイラストレーター『大野舞』氏の奉納。)
御幼少の頃より和歌に秀で、終生和歌の道の聖と仰がれた『宗良親王』は、晩年に再びこの地を訪ねられ、元中二年(1385)八月十日、御歳七十三才を以ってこの地で薨去されたと伝えられています。深い緑に包まれた社殿の背後、『宗良親王』の墳墓は京都に向かって静かに・・ただ静かに。
井伊谷宮本殿横に鎮座される「摂社:井伊社」。ご祭神は『井伊道政公・高顕公』。
境内の一画に立つ岩は「竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)」の地主であった『戸田貞雄氏』より奉納。竜ヶ岩洞近くの小川に橋の替りに置かれていました。岩表に、慈母の胸に抱かれた赤子の姿がうかがえる事から「慈母観音石」として信仰されています。
本殿近くに建立されていた『水原秋櫻子』の句碑
【水無月の 落ち葉とどめず 神います】
境内に掲示されていた『宗良親王』御製。
【なげかじな しのぶばかりの思ひ出は 身の昔にも 有りしものなり】
参拝日:2016年12月17日
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