旧岩瀬郡長沼町(ながぬままち)は福島県の中央よりやや南に位置した町です。北は郡山市、岩瀬村、南は天栄村、西は天栄村、東は郡山市に隣接。西部の森林部と東部の平坦部からなり、森林部は会津地方と中通り地方の分水嶺をなす奥羽山脈の一部で、1000m級の山々が連なっています。また、約2500年前(縄文晩期)の塚越遺跡からは、縄文土器や竪穴建物などが見つかっており、すでにこの地に人々が住んでいたことが解明されています。
「町の木:桜」「町の花:山百合」「町の鳥:カッコウ」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により岩瀬郡長沼村・桙衝村(ほこつきむら)が発足。
1901年、長沼村が町制を施行、岩瀬郡長沼町となる。
1955年、岩瀬郡桙衝村と合併、新・長沼町が発足。
2005年、岩瀬村とともに須賀川市に編入。
マンホールには「町の鳥:カッコウ」を中心に、周囲に「町の木:桜」がデザインされています。
巴の下半分に「町の花:山百合」、上半分には「町の鳥:カッコウ」と「町の木:サクラ」がデザインされています。
江花川に架かる天神橋の親柱に、巨大なユリの花のレリーフ😅
高欄には可憐な山百合のレリーフ
昭和47年(1972)制定の町章は「「な」を円形にして図案化したもの」
「町の木:サクラ」のデザインの側溝蓋
「町の花:山百合」のデザインの側溝蓋
長沼町マスコットキャラクターは、長沼城址に住んでいる『ゆーりん姫』。町のシンボル「やまゆり」の帽子を被り、親友の『かっこう』とはいつも一緒です。
農林水産省のページに「藤沼貯水池(藤沼湖)は、長年水不足に苦しんでいた旧長沼・桙衝・稲田の1町2村の住民が、主に人力で築き上げたもので、昭和12年に着手し、 12年の歳月を経て終戦直後の昭和24年に完成しました。現在も下流の865haに及ぶ肥沃な水田に農業用水を配り、水不足のない生産性の高い営農に貢献しています。」2010年3月11日に「藤沼貯水池(藤沼湖)」の名で「ため池百選」に選定されました。
その翌年2011年3月11日 、東日本大震災により 藤沼ダムの堤体が決壊。人命を含めた多くの被害が派生しました。
農業用水の必要性から早期の復旧を望む声、用水は必要だが移転すべき、いやダムなど不要だ・・・。ダムの再建について福島県は、学識経験者で構成する「福島県藤沼ダム復旧委員会」を設置。様々な検討を重ね、2013年10月、藤沼ダム復旧工事の着工となりました。
復旧工事着工前に周辺住民らが露出した湖底を歩いた際、「山紫陽花」の群生を発見。「湖底で眠っていた株が復活したのかも知れない」と考えられたことから“奇蹟のあじさい”と呼ばれ、その後全国に株分けされました。
2017年4月24日、藤沼ダムの復旧が完了し水の供給が再開。同年6月25日、藤沼湖自然公園で「奇蹟の紫陽花」の植樹祭が行われました。
撮影日:2015年7月3日
おはようございます!
今日も仕事。
頑張って明日明後日の連休を楽しみます!
カッコウに、さくら
可愛いマンホールですね!
札幌は今10度です、もうすっかり、秋を通り越しそうです。
お仕事頑張ってください😊
でもって、連休は家族デートですか?
こちらは、現在26度
今日は少し暑いです
長沼は嫂さんのお里でした。
お父様がお医者様で立派な方でした。
奇跡の紫陽花素晴しいですね。
秋の良い季節は、今年もまた短そうです。
長沼町、嫂様のお里なんですね。
高い山々に囲まれるような、静かで優しい町でした😊
干上がったダム湖で咲いた紫陽花・・
植物の力って、本当にすごいなと思います
マンホールのデザインも立派ですが、高欄の山百合のレリーフと側溝蓋の白い山百合に引かされました。
一番驚かされたのは、地底に眠っていた奇跡の紫陽花です。生命力の凄さですね。
我が家の玄関脇に咲いている、「隅田の花火」にそっくりです。これからは、「奇跡の紫陽花」と思って眺めることにしましょう。」
おかげで元気になれました。
長い時間、それでも命を絶やすことなく眠り続けていた奇跡の紫陽花
想像するだけで、その強さに圧倒されました。
onecat様のお庭にも「墨田の花火」があるのですね。
我が家で初めて、挿し木で花を咲かせたのも「墨田の花火」です。
梅雨の季節には、onecat様の庭に咲く墨田の花火を思い出します😊。