車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 千葉県旧白浜町(南房総市) 

2019年05月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旧安房郡白浜町(しらはままち)は房総半島の最南端に位置した町です。館山市、千倉町に隣接。海岸段丘が続く沿岸部には明治2年に設置された「野島埼灯台」が町のシンボル的存在として聳えます。また 露地栽培されるキンセンカは、2002年に全国シェア40%で日本一の産地となり、正月用などに出荷されています。白浜町滝口地区には発掘調査で遺構が確認された「長尾藩陣屋跡」など、名所旧跡を多く擁しています。

また海女の素もぐりによる「アワビ・天草」漁でも知られ、海女の町としても有名。海の安全と豊漁を祈願する「白浜海女まつり」では、松明を持つ海女の夜泳や、海女に扮したコンテストなどで賑わいを見せます。「町の木:ヤブツバキ」「町の花:ハマユウ」「町の鳥:ウミウ」「町の魚:イシダイ」を制定。

旧キャッチフレーズは「海・山・花の彩の中で人々の健康を育む公園の町 白浜」

明治22年(1889)、町村制の施行により、朝夷郡白浜村・長尾村が発足。

1897年、郡制の施行により、平郡・朝夷郡・長狭郡の区域をもって安房郡が発足。

1933年、白浜村が町制を施行、安房郡白浜町(初代)となる。

1954年、安房郡長尾村と合併、改めて白浜町が発足。

2006年、富山町、富浦町・三芳村・丸山町・和田町・千倉町と合併し、南房総市が発足。

昭和55年12月18日制定の町章は「全体で「白ハマ」を意匠化したもの。」

生憎マンホールは上水道関連ですが、ほぼ90%の割合で町章がつけられています。 さらに新制:南房総市のマンホール類は、殆どがこの白浜地区に設置されています。

野島埼近くにあった「ウミウ」のモニュメント。白浜町の町の鳥に制定されていました。

撮影日:2014年5月24日&2019年3月6日

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千倉鹿嶋神社 in 千葉県南房総市(旧千倉町)

2019年05月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

南房総市千倉町川口に鎮座される「鹿嶋神社」。御祭神は『武甕槌命(たけみかづちのみこと)』

境内に由緒の類はなく、また神社庁HPにも詳細が見つけられず、創建等は不明。

小さな区画に、鳥居・社殿が配されているため、こちらの狛犬さんはちょっと変わった位置においでです。

独特の渦巻く長い鬣が、まさしく麗しい江戸流れの一対は、嘉永7年(1854)甲寅9月吉禎日の建立

一時期、一世を風靡した「ワンレンのロングヘアー」のお嬢さんが、町中にあふれていましたが・・ きれいに化粧をしたお嬢さんたちでも、この狛犬さんのここまでの麗しさにはきっと勝てないでしょう(笑)

もう一つ、狛犬さん以外にとっても見事な彫刻を見つけました。それがこの石灯籠の台座。 この当時はブログを書くなんて考えていなかった頃で、それがとてもよく分かる画像の数。この石灯籠も一方のみです。

でも彫刻の部分はちゃんと一対揃っていて、それがいかにも私らしいというか😊  きっとすごく心惹かれたんだと思います。 小さな枠の中一杯に大きく浮き上がる獅子の姿は、とても平面のものとは思えない迫力。

より細かい細工が求められる龍は、今にも雲を呼び雨を降らせ天に昇ろうと身構えています。 名も知らぬ石工が残した一対の神獣は、はるばると訪ねてきた私たちを優しく迎えてくれました。

参拝日:2014年5月24日

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道の駅:ちくら潮風王国 in 千葉県南房総市(旧千倉町)

2019年05月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

南房総市千倉町千田、海を背景に、千倉地区ならではの船のモニュメントが目印の「道の駅:ちくら潮風王国」

後の白い漁船は、サバ・サンマ漁に使われていた70トンクラスの「第一千倉丸」レプリカ。昭和30〜40年代にかけて、このクラスの漁船が100隻近く活躍し、サンマや鯖をとっていたそうで、実に勇壮な景色だっただろうと想像します。 こちらでは船内が見学できるとあって、二人とも大はしゃぎ😍 陸の上なので船酔いの心配もいりません。

干潮時の千田海岸は、瀬戸内海の海しか知らない私には全くの別物。しばし見とれてしまいます。

打ち寄せ、白く砕ける波も5月の晴れた空の下で見る分には、珍しい、美しい風景。

物産センターで見た箱一杯のお魚の値段に唖然・・・近くだったら絶対に買って煮付けにしたい!! 漁師の娘に生まれたおかげで、お魚の新鮮さとか美味しさだけは、一応目利きできます😊

でも、何故か生魚は苦手で・・たとえ高級かつ新鮮な鯛でも伊勢海老でも生では食べられません😭 そしてそれを聞いた人たちは一様に気の毒そうな顔をします 。

潮風王国から道をはさんで山側は「千田の花畑」、一面に広がる花の絨毯は、圧倒的な色の渦です。 1月から3月にかけての早春の花シーズンには、好みの花摘み体験(有料)も出来るそうです。

眼下にこんなにも大きく広がる花畑は、特定の花の公園以外では滅多にお目にかかれません。 あれがストック、こっちは金魚草、あのオレンジは金盞花、指差す彼方は太平洋。

ここは2014年の訪問では全然気がつかなかった場所で、2019年に偶然通りかかって見つけました。 海側は車泊地としては私には不向きですが、こちらなら車泊も可能だったかもしれませんね。

訪問日:2014年5月24日&2019年3月7日

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下立松原神社と頼朝と由布津主命 in 千葉県南房総市

2019年05月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

野島崎に程近い一角にちょっとしたポケットパークがあり、そこに沢山の海鵜が並んでいます。・・といっても、もちろん作り物で、その並びに白浜の歴史が描かれたモニュメントが展示されています。 絵屏風風のモニュメントには「天白 由布津主命(ゆふつぬしのみこと)上陸の地」と刻まれており、海鵜とは全然関係ないお話。

朝廷の命により『天富命(あまのとみのみこと)』は、孫である『由布津主命(ゆふつぬしのみこと)』や他の神々と共に、安房地方の開拓のためにこの浜辺に上陸しました。当時、野山には鹿が多く住民は被害に苦しんでいた為、神々は狩りを行い住民を安堵させました。 この神話に基づいた「下立松原神社の御狩神事」は、市の無形民俗文化財として今も継承されています。

領土が整備された事で住民は安堵してそこに定着し、やがて稲作が始められ集落が築かれてゆきます。

『由布津主命』は、『天太玉命』の娘である『飯長姫』と結婚し、「忌部氏(いんべうじ)」の祖となります。「忌部氏」は、古代よりヤマト王権の宮廷祭祀・祭具製作・宮殿造営を掌(つかさど)った一族です。

最期の絵は『源頼朝』一行が、源氏再興祈願の為に牧田の「下立松原神社」に参拝したときの様子。 石橋山の合戦に破れ安房の国に上陸した頼朝は、丸山町の土豪・『丸五郎信俊(まるごろう・のぶとし)』等とともに、源氏再興の祈願に行き、神社の裏の丘(岡)の上に登り、海上から上る朝日を礼拝しました。それ以後、この丘を旭ヶ岡というようになったと伝えています。

訪問日:2019年3月6日

という事で4年まえに遡って、千倉町牧田に鎮座される「下立松原神社」は、2014年5月の参拝。 御祭神は『天日鷲命(あめのひわしのみこと)・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)・月夜見命(つくよみのみこと)』

後に鎌倉に幕府を開いた頼朝は、「末社・御霊白幡神社」に『源頼義・義家』の木像と『薬師如来』像。それに頼朝自らが書写した大般若経600巻を奉納しました。その後、大般若経は明和九年(1772)に経塚に納められたこと等々の説明が境内にある・・・・とのこと。

長い石段を幾つも幾つも登らなければ辿り着けない拝殿・・ご亭主殿はともかく私にはNGで、残念ながら参拝は此処まで😓

入り口の狛犬さんだけを画像に収めて、あとは参道の入り口で拝礼をして回れ右。 体力的に無理だと分かっていて断念した事でも、こんな風に後からわかる事実が興味深いと、はやっぱり気持ちが折れそうです。

でもね、嘉永4年(1851)9月吉日建立の狛犬さん、中々ユニークなお顔で素敵だと思うでしょう。 『石工・善八』と刻銘があるのも、狛犬好きのご亭主殿には嬉しい事、今回はそれで良しとしましょう。

参拝日:2014年5月24日

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高家(たかべ)神社 in 千葉県南房総市(旧千倉町)

2019年05月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

南房総市千倉町南朝夷に鎮座される「高家(たかべ)神社」。御祭神は『磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)』『天照皇大神、稲荷大神』を合祀。

「高家神社」に例え、別名を『高倍神(たかべのかみ)』とも称し、「料理の祖神」として知られます。

由緒に【延喜式神名帳に記載される小社の一つ。現在の所に祀られたのは江戸時代の初頭にさかのぼる元和6年(1620年)。現在の宮司の祖先となる『高木吉右衛門』が桜の木の下から、木像と2面の御神鏡を発見し、それを神体として「神明社」として神社を創建した。その約200年後、この鏡に「御食津神、磐鹿六雁命」と書かれていることがわかり、これは所在が不明であった「高家神社」の神体であろうということで、文政2年(1819)、京都の吉田御所に届け出て証を願い、「神明社」から「高家神社」に改称した。】
拝殿内正面の御神号額はこの時のもので、『神紙道官領:ト部朝臣良長』の銘が刻まれています。

平安時代の宮中行事として有名な「庖丁式」が執り行われる事でも知られ、境内には、それに縁の碑も建立されています。また、二つある包丁塚には、それぞれの流派の料理人の包丁が大切に供養され、納められています。
「庖丁式」を主催する流派に関しての詳細は知りませんが、この塚は「四條眞流会」の建立。 右の画像は「四條流石井派:鈴友調理師会」の建立。

烏帽子・直垂、あるいは狩衣を身にまとい、食材に直接手を触れず魚を切り分け並べる・・ と文字で書くと簡単そうですが、実際に動画など見ると、思わず呼吸を忘れてしまいそうな迫力。 右手の庖丁と、左手のまな箸だけで、魚一匹を切り分け並べ、食膳に供する・・
絵馬には、拝殿を背景に「包丁式」の様子が描かれており、十分に雰囲気を感じる事ができます。

左の碑は「日本料理研究会初代理事長」の『三宅孤軒』。右の碑は「割烹教育者連盟理事長『安東縣』の碑。

さらに、「料理とは別の命を頂く事」という前提のもと、それらの命に感謝を籠めた供養碑もありました。「いただきます」は、「命を頂きます」・・こんな当然の事さえ、押し付けだとか騒ぐバカフェミの存在、嘆かわしいったらありゃしない 😩 ボソッ

これは帰宅後に調べてもよく分からなかった碑で、左端に「味道不尽」の四文字が刻まれています。「味の道を究め尽くす等という事は無い」といった意味であろうと思うのですが・・・

社名も何も分からない小社ですが、社殿の向かって左、本殿を見下ろせるような位置に鎮座されていました。

こちらはおそらく「神輿庫」であろうと思われるのですが、それも額の文字からの推測。

神社にはもう一種、社殿と包丁塚、包丁式が描かれた絵馬があり、個人的にはとても気に入っています。 絵馬架けには、世界を目指す料理人たちの、熱い想いを籠めた絵馬が、ぎっしりと並んでいました。 名前も顔も知らない人たちの想いを目にし、思わず小声で「ガンバレ!」

ご祭神の『磐鹿六雁命』について、「日本書紀」の第十二代景行天皇の条にこう記されています。
【『景行天皇』が安房の浮島の宮を訪れた時、御供の『磐鹿六雁命』が、弓の弦をとって海で魚を釣り、さらに砂浜ではまぐりをとった。『磐鹿六雁命』はこの魚とはまぐりをなますにして天皇に差し上げると、天皇はたいそう喜びその料理の技を褒め称え、『磐鹿六雁命』は膳大伴部を賜った。これにより若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は皇室の食事を司るようになる】
参道にあった絵には、足元に蛤、両手に立派な魚と弓を持った『磐鹿六雁命』が描かれています。

参拝日:2019年3月7日

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御神名一口メモ

『磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)』、第8代孝元天皇・皇子の大彦命の孫で、比古伊那許志別命(大稲腰命)の子。また膳臣(かしわでのおみ、膳氏:のち高橋氏)の遠祖とされる。

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荒磯魚見根(あらいそうおみね)神社 in 千葉県南房総市(旧千倉町)

2019年05月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

南房総市千倉町忽戸に鎮座される「荒磯魚見根(あらいそうおみね)神社」。御祭神は『天兒屋根命』

境内由緒に【白雉年間忽戸村開村以来、忽戸(古くは古津度)区民の氏神「春日さま」として崇敬厚く「天下太平」「大漁万作」の守護神とされている。且っては「春日神社」と称し「奈良:春日大社」を魚見根山に勧請して氏神としましたが、江戸時代にこの地の風土に相応しい「荒磯魚見根神社」に社名を変更されました。祭神『天児屋根命』は、日本神話の「天の岩戸」開きで大神詞を立派に奏し、『天照大神』の出現を祈り其の美辞を賞せられ、天孫降臨で祭りを執り行い勅命を授かる。中臣藤原氏は其の子孫で代々朝廷の祭祀を司ったと云う。】

御本殿は覆屋の中に鎮まって折られるようで拝見は叶いません。その横にひっそりと「石祠」が祀られています。

朱塗りの社殿前より神域を守護されるのは、弘化2年(1845)乙巳6月吉日建立の江戸流れ狛犬さん。 大きく見開いた目に朱の入った口元、肩を覆う長い鬣は緩やかにウェーブして、意外とお洒落(^^;)

思わず羨ましくなるようなふさふさの尾は、後ろで鞠のように盛り上がり、足元に流れています。

次は恒例の宮彫刻ですが、境内の入り口にあった説明には「千倉の彫工 初代後藤利兵衛橘義光の彫刻」と紹介されています。
「向背龍」とは、社殿のこの「龍」でしょうか? 確かに独特の鑿目は一風変わった趣です。

さらに、説明にあった「木鼻」とは、雨の為に閉ざされた社殿の内側に、わずかに見えたこの一対の獅子の事でしょうか?「千倉地域づくり協議会」の説明の最期に、「向拝龍 木鼻 懸魚 義光作(銘ー後藤利兵衛橘恒光)」とありました。初代:後藤利兵衛橘義光は千倉の出身だそうで、早い時期の作品かなと想像します。

それとも、向背と同じ社殿の両脇の木鼻にあった「獅子と像」を指しているのでしょうか? 

最期の「懸魚」は宮彫刻大好きという理由だけで素直に良いとな思えた「老松に鷹」。 鋭い視線の向こうには、羽根を広げた小さな鳥が松の枝に遊んでおり、何とも良い構図です。

それはともかくも、「後藤義光・一門」の宮彫刻、もう少し早く知っていればと悔やまれます。 帰宅してから見つかる様々な資料や写真は、手(足)を伸ばせば届いた場所に驚くほど沢山有ったのです。
生憎の雨で決して見晴らしが良いとは言えない千倉の町並み、彼方には雨にけぶる太平洋。手前の鮮やかな紅色は河津桜・・ではなく、ここでは「頼朝桜」と呼びましょうか。雨に濡れてより鮮やかです。

参拝日:2019年3月7日

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道の駅・ローズマリー公園 in 千葉県南房総市(旧丸山町)

2019年05月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

千葉県道297号和田丸山線沿いの丸山地区にある「道の駅・ローズマリー公園」。まるでテーマパークを思わせるとてもお洒落な道の駅です。多分車泊地としても最適な所ではないかと密かにプッシュしていましたが、時間的に大きくずれ込んでしまい、実現しませんでした。

それはさて置き、何故にローズマリー公園?と思ったのですが、なんでもこの場所が、地中海と同じ緯度に位置しているのだとか。そこで「風車とローズマリーの里」づくり構想に着手し、1991年に「ローズマリー公園」として開園。1995年には 古城風の展望台も完成し、二年後には「シェイクスピア・カントリー・パーク」も開園。翌年には道の駅にも登録。 現在は、諸般の事情で「道の駅」として再出発したそうで、色々と意見もあるようですが個人的に素敵な施設です。 確かに、こうして上から見ると商業施設のほうが目立っていますが、でも施設運営にはお金が掛かります。

先ほど登場した『シェイクスピア』の生家などが再現された「シェイクスピア・カントリー・パーク」。五年の時を隔てての二度の来援ですが、微妙に寂れた感じはあるものの、それでも外観はやはり懐かしい佇まいでした。

ちなみに、「シェイクスピアの生家」を検索したら、もしや移設したの?と思う程、本当に上手に再現されています。
本来は有料の施設の一部だったそうですが、訪問当時は少しお洒落なお店になっていました。

隣接するインフォメーションセンターから奥に進むと、こんな美しいミニシアターがあります。 片隅にグランドピアノがあるので、ちょっとしたコンサートなどに使われているのかもしれません。
ただ、2019年の訪問ではこの部屋には行き当たらなかったので、今も健在なのか不明。

フォーマルガーデン正面から見たインフォメーションセンターの・・ここは裏口になります。 木組みが美しい階段を登れば、是非もう一度と望んだ、二度目の『シェイクスピア』の世界。

展示されているのは『シェイクスピア』が生み出した舞台劇の世界。昔読みふけった懐かしい文学の世界。 『妖精王オーベロン』と『森の妖精パック』の掛け合い場面を再現した「真夏の夜の夢」

頭をロバに変えられた『ボトム』、パックの悪戯で『ボトム』に恋してしまう『妖精王の妻ティターニア』。 ロバにされた『ボトム』は、何故こんな美人に恋されるのか訳が分からなくてしどろもどろ😅

巧みな話術で政敵の妻たちを篭絡していく『リチャード三世』。仇である筈の男に言い寄られる女たち。 煮えきらないまま、憎しみはねじれた愛情に変わって・・・ああ!めんどくさい!😠 ほら!さっさと刺しちゃえ!

「尼寺に行け!」と冷たく恋人を突き放す『ハムレット』、無慈悲な言葉に崩れ落ちる『オフェーリア』。 見ているだけで、続きの場面が次々と頭の中に再生されて、十倍も二十倍もお得な気分(笑)

そしてこの部屋の圧巻は、紙人形作家『中西京子』氏によって再現された「16世紀のグローブ座」

つめかけた観衆は、その名場面を誰よりも近くで見ようと、一言もせりふを聞き漏らすまいと・・ 観客席から身を乗り出し、あるいは手に汗を握って舞台の役者の一挙手一投足に釘付けです。

満員の観客たちを前に演じているのは「真夏の世の夢」。これはおそらくフィナーレでしょう。

舞台の外では「テームズ川の河原」で、老若男女入り乱れてのお祭り騒ぎが演じられています。

花の塔から伸びるテープを掴み、歌い興じる若者たち、引っ張り過ぎると花の塔が倒れますよ。

素人芝居の即興劇、周りを取り囲む観客たちは舞台にかじりつきで、好き勝手に野次を飛ばしています。

お手製のパンを食べながら広場の賑わいを楽しむ家族、今日は精一杯めかしこんで来ました😊

本当はもっと微に入り細にわたって資料室の紹介をしたいところですが、これも際限ありません。 思いもかけずシェイクスピアの世界を、しかも無料で体験できて、私たちはとっても満足しました。
心が満足できると、ついついお買い物にも身が入り、いつになく大量に買い込んでしまいます。 本来、車泊しない道の駅の買い物はなるべく控えて、その分を車泊地で買うようにしているのに😓

そのお買い物の内容は、五年後の旅でわざわざ回り道をさせ、またしてもどっさりとお土産を買い込ませる程、魅力あるものでした。
他の道の駅にはない試食の充実は「美味しければ買う」と言う心情を確実に理解しています。道の駅としての実績は、素人目にも凄いと感嘆させられる内容でした。できうるなら、先に紹介した付帯施設が上手に活用され大切に扱われる事を願って止みません。

訪問日:2014年5月24日&2019年3月7日

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ご当地マンホール in 千葉県旧丸山町:旧千倉町:旧和田町(南房総市)

2019年05月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旧安房郡丸山町(まるやままち)は房総半島の南部に位置した町です。鴨川市、館山市、安房郡富山町、三芳村、千倉町、和田町に隣接。町域は南北に長く南部は太平洋に面し、気候が温暖であるため花の栽培が盛ん。 毎年春になると、町内の至る所で菜の花が咲き、春の風物詩となっています。町名は、町内を縦貫する丸山川が由来。町では、町域が地中海と同じ緯度に位置することから「風車とローズマリーの里」づくり構想に着手。それに基づいて1991年9月22日に「ローズマリー公園」が開園し、一躍、観光名所となりました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、朝夷郡豊田村・丸村が発足。

1897年、郡制の施行により、平郡・朝夷郡・長狭郡の区域をもって安房郡が発足。

1955年、豊田村、丸村、千倉町の一部が合併、安房郡丸山町が発足。

1956年、安房郡南三原村の一部を分割編入。

2006年、富山町、富浦町・三芳村・和田町・千倉町・白浜町と合併、南房総市が発足。

昭和50年7月1日制定の町章は「中の円と山で「丸山」を図案化したもの」

マンホールはありませんが「朝夷水道企業団章(千倉町・丸山町・和田町)」の上水道関連の蓋が多くありました。(「朝夷水道企業団」は、2006年3月20日に、南房総市水道事業に統合。)

排泥弁、空気弁、消火栓もありました

撮影日:2019年3月7日

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旧安房郡千倉町(ちくらまち)は房総半島の南部に位置した町です。館山市、安房郡:白浜町、丸山町に隣接。サーフィンの盛んな町として知られていますが、かつては「寒サバ」や「春サバ」などの鯖漁や、秋刀魚を中心とする漁業が盛んな町として知られていました。しかし資源枯渇と水温低下による不漁が深刻化し、並行して船の数が減り、壊滅的な減少に見舞われることになりました。町内にある千葉県水産試験場は、1990年に千倉沖にコンクリートブロックを沈めて漁礁を作り、鮑の稚貝を大量集中放流することで海中牧場化する養殖に着手。1992年に収穫して育てる漁業への転換を図り、2001年には房州ちくら漁業協同組合がアワビ養殖に正式に着手することになりました。 「町の木:ウメ」を制定。

町域にある「千田海岸」の干潮では、1千万年前の海底に積もっていたと云う千倉累層の岩礁を見ることができます。さらっと1千万年前と書いていますが、あまりにも遠大な過去すぎて、まったく実感がありません。

旧キャッチフレーズは「花と 緑と 太陽の町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、朝夷郡(あさい)曦(あさひ)村・七浦村・健田(たけだ)村・千歳村が発足。

1897年、郡制の施行により、平郡・朝夷郡・長狭郡の区域をもって安房郡が発足。

1900年、曦村が町制を施行し、安房郡曦町となります。

1920年、曦町が安房郡千倉町(初代)に改称。

1954年、七浦村、健田村、千歳村と合併、改めて安房郡千倉町が発足。

2006年、富山町、富浦町・三芳村・丸山町・和田町・白浜町と合併し、南房総市が発足。

昭和50年10月27日制定の町章は「太陽と公害のない海と山、四方に向かって発展していく姿を表す。」

町章付き防火水槽のマンホール!一枚きりですが、これだけ空振り続きの後では嬉しさも格別。

それ以外は何処にでもある規格蓋ですが、雨の中を探し歩いた自分に免じて掲載。

上水道関連の制水弁には、上のほうに小さく「朝夷水道企業団」のマークがあります。

撮影日:2019年3月7日

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旧安房郡和田町(わだまち)は房総半島の南東部に位置した町です。鴨川市、安房郡丸山町に隣接。町名は、和田浦の海岸は東側も西側も湾曲が大きいことから「曲(わた)から和田」という地名がつけられたといわれています。南房総花栽培発祥の地であり、また国内4カ所の一つで関東では唯一の捕鯨基地が町内にあり、沿岸捕鯨でツチクジラとゴンドウクジラの漁が行なわれ、6月から9月にかけ26頭の鯨が水揚げされます。「町の木:ツバキ」「町の花:菜の花」「町の鳥:ハマチドリ」を制定。

旧キャッチフレーズは「海とみどり 心ふれあう花の町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、朝夷郡和田村・北三原村が発足。

1897年、郡制の施行により、平郡・朝夷郡・長狭郡の区域をもって安房郡が発足。

1899年、和田村が町制を施行し、安房郡和田町(初代)となります。

1955年、安房郡北三原村と合併し、改めて和田町(2代目)が発足。

2006年、富山町、富浦町・三芳村・丸山町・千倉町・白浜町と合併し、南房総市が発足。

昭和56年7月20日制定の町章は「「和」で三町村合併を、芯に「田」で花形を表しています。」

唯一見つけた「朝夷水道企業団」の制水弁

撮影日:2014年5月24日

2014年5月の千葉県への車泊旅では「道の駅和田浦WA・O!」にて車中泊をさせていただきました。 大きな鯨の骨格標本や、懐かしい鯨料理に話が弾んだ事などが、今も懐かしく思い出されます。

車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

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ご当地マンホール in 千葉県旧三芳村(南房総市)

2019年05月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旧安房郡三芳村(みよしむら)は房総半島南部の内陸に位置した町です。館山市、安房郡富浦町、富山町、丸山町に隣接。 古くは安房国の国府が置かれ、平家の落人伝説が残る増間集落では、「増間のばか話」が昔話として今に伝承されています。村域は内陸に位置するため、「南房総に雪降らずとも、三芳村には雪が降る」と言われるほど周辺の市町よりも冷涼な気候です。「日本酪農発祥の里」としても有名で、道の駅などでは、こだわり乳製品が販売されています。

また「増間(ますま)日枝神社」の弓道行事の伝統をくみ、弓道に長じた村民もおり、村営の弓道場も建設されています。「村の木:椿」「村の花:菜の花」「村の鳥:ウスアカヤマドリ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、平郡滝田村、国府村、安房郡稲都村が発足。

1897年、郡制の施行により、平郡・朝夷郡・長狭郡の区域をもって安房郡が発足。

1953年、安房郡滝田村、国府村、稲都村が合併、安房郡三芳村が発足。

2006年、富山町、富浦町・丸山町・和田町・千倉町・白浜町と合併、南房総市が発足。

昭和48年9月日1制定の町章は「「ミヨシ」を円形に意匠化したもの」

ここでも自治体章の有る蓋は無く、どれもこれも全くの規格蓋・・雨が胸の底深く・・もとえ足先まで染み込みます😭

旧庁舎の敷地内で見つけた「万葉集第十四巻3501の万葉歌碑」
【安波峯(あはを)ろの 峯(お)ろ田に生(お)はるたはみ蔓(づら) 引かばぬるぬる 吾(あれ)を言(こと)な絶(た)え】
(大意=安波の峰の山田に生える蔓草のように、引けばぬるりと近寄ってくるように、私と連絡を絶やさないで下さい。)

「道の駅:三芳村 鄙の里」には、こだわりの乳製品が沢山並んでいて、特に牛乳が美味。 基本的に牛乳は苦手なご亭主殿ですがとても美味しかったとのたまっていました。むろん、異論はありません😄

撮影日:2014年5月&2019年3月6日

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ご当地マンホール in 千葉県旧富山町(南房総市)

2019年05月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

旧安房郡富山町(とみやままち)は房総半島南部に位置した町です。鴨川市、富浦町、鋸南町、三芳村、丸山町に隣接。町のほぼ中心に南総里見八犬伝の舞台であり町名の由来でもある富山がそびえ、西は東京湾に面します。また、千葉県内一を誇った和牛の生産や酪農など牧畜も盛ん。海岸は砂浜が連続しており、ウミガメが産卵するほか、岩井海岸など良好な水質の海水浴場があり、シーズンには多くの海水浴客でにぎわいます。「町の木:梅」「町の花:水仙」「町の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、安房郡岩井村、平郡平群村が発足。

1897年、郡制の施行により、平郡・朝夷郡・長狭郡の区域をもって安房郡が発足。

1928年、岩井村が町制を施行、安房郡岩井町が発足。

1955年、安房郡岩井町と平群村が合併、安房郡富山町が発足。

2006年、富浦町・三芳村・丸山町・和田町・千倉町・白浜町と合併、南房総市が発足。

昭和50年1月15日制定の町章は「三つの「ト」で「富」・二つの「山」を丸めて表したもの」

町章も調べておいたのに、町域にも旧庁舎のどこにも自治体章のある蓋は皆無。もしかして一枚でも・・と、雨の中をせっせと捜し歩いていたら、たまたま出会った町民の方に怪訝な顔をされてしまいました😭

どれもこれも、何処にである規格蓋ばかり、行った場所の画像が無ければ見分けがつきません。 それでも房総半島も今回が最期だと思うと、折角撮ったものを没にしてしまえません😭😭

撮影日:2019年3月28日

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2014年5月と2019年3月の千葉車泊旅では「道の駅:富楽里とみやま」にて車中泊をさせていただきました。 2014年は、夕方に到着したらお弁当が半額になっていて、ついついあれもこれも美味しそうと買い過ぎて、食べきるのに一苦労😅

2019年は、お弁当屋さんがお休みだった為、当てが外れてちょっと残念な夕食に😱。 おやつに「ミカン餅」を買って食べたのですが、これが中々不思議な味わいで意外な美味。不思議な味わいのお餅の味も何もかもをひっくるめて、全てが懐かしく楽しい思い出です。

車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

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