車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

円空のふるさと in 岐阜県郡上市美並町

2020年05月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

江戸時代前期の修験僧・仏師・歌人として知られた『円空(えんくう)』。寛永9年(1632)に瓢ヶ岳山麓の木地師の子に生まれたと云われています。(別説に美濃の国(現:羽島市竹鼻町)の生まれ説も有り)。各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られ、64年の生涯に約12万体の仏像を彫ったと伝えられています。彼の残した円空仏は全国各地にその所在が確認されており、現在までに約5,300体以上の像が発見されています。

「円空のふるさと」として有名な郡上市美並町。円空仏との出会いは2010年に立ち寄った「道の駅:美並」のお土産コーナー、一段高く目立つ棚の上に並べられた、いわゆるレプリカの木彫りの仏たちでした。

「円空仏」と言うのか・・何だろう?とても不思議な雰囲気の仏像だな・・記憶の片隅に留まったそれは、意外な場所に現れ、折々にその存在を思い出させてくれたものです。それもあって、2012年の岐阜県の旅では、目的地に円空仏との出会いを盛り込んでみました。おだやかに優しく・・・円空仏たちは、旧知の老いた知り合いのような、あるいは、はるか昔に出会った幼子のような笑みを浮かべて出迎えてくれました。

私達の旅の目的は沢山あるのですが、まず第一に車中泊を楽しむ!その為に旅をするといっても過言ではありません😄 もちろん、名所旧跡巡りは必須。その上で ①ご当地マンホールを捜す。 ②神社仏閣でお気に入りの狛犬さんと対面する。 ③各自治体の一押しの色々に触れる。 2017年から④マンホールカードの収集が新たに加わり、忙しい事この上なし😅

美並町に鎮座される「星宮神社」に隣接する「円空ふるさと館」。ここでは初期から晩年期にかけて彫られた円空仏約95体が展示されており、言葉にし難い本物の迫力に魅入られて、つい時間を忘れてしまいます。

館内は撮影禁止なので紹介できませんが、建物の前に置かれていた「合掌仏:護法神」を。

「円空仏」が見られると言う事で、長良川鉄道越美南線の幾つかの駅舎も立ち寄りました。もちろん本物ではなく、円空仏をこよなく愛する人たちによって生み出された仏像たちですが・・まずは郡上市美並町三戸にある「深戸駅」。並んだ三体の仏像は、いずれも不思議な魅力に満ちています。

郡上市美並町白山の「美並狩安駅」に並べられていた円空仏、こちらはいかにも仏像らしい姿をされており、多分それぞれのお名前は私でも知っているんじゃないかと思います。

 郡上市美並町大原にある「大矢駅」に、小豆色の一両電車が入って来ました。緑の山々を背景に遠ざかる電車は、無意識の内に時を止め甘酸っぱい郷愁を誘います。そしてもちろん、ここにも三体の円空仏が、駅を利用する全ての人たちを見守っています。

町の随所に、円空仏を愛する人たちによって奉納された円空仏たち。長良川に架かる郡南歩道橋には、円空水飲み場と題された「円空仏:竜王」。少し先には、お念仏姿の「安全を祈る円空仏」が、ゆるやかな笑みを湛えています。

「円空街道を歩こう」と題された案内板。これでみると結構広範囲に広がっているようですが、とりあえず道々に出会えればラッキーという感じで先に進みます。

「円空街道」と刻まれた碑の傍らには【ひたすらに 日本修行歩きつぐ 円空のたび 此処に始まる】の歌碑。

「円空旅立」の像。

鹿島神社への参拝途中に見かけた円空仏さん。足元に刻まれているのは三猿のようですが、とすればこの仏様は「青面金剛像」でしょうか?なんと穏やかなお顔。

「川千谷:高光橋」。欄干の上の貴人は「猿蛇虎」を退治したと言う『藤原高光』? それともいわゆる「神像」と呼ばれる円空仏?さて、どっち?😅

行く先々に出迎えてくれる「円空仏」、その何ともいえない優しい笑みが、見知らぬ土地にいる楽しさを更に増してくれるようで、郡上市美並町の車散策はもう少し続きます。

訪問日:2012年5月21日

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星宮(ほしのみや)神社 in 岐阜県郡上市美並町

2020年05月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

郡上市美並町高砂に鎮座される「星宮(ほしのみや)神社」。御祭神は『明星天子(虚空蔵菩薩)』
『明星天子』は金星を指し、「明けの明星」とも呼ばれ、『虚空蔵菩薩』の化身・象徴とされています。まさに「星宮」に相応しい御祭神といえます。

「高賀山を囲む高賀六社の一社。粥川谷(長良川支流)にある。社伝によると、天暦年間(947年 - 957年)、この地に妖怪さるとらへびが住み付き、村人に危害を加えているのを聞いた朝廷は、藤原高光をこの地に遣わせ、妖怪を退治した。この時、高賀山大本神宮大行事神社(現・高賀神社)を再建し、七昼夜妖怪退治の祈願をした。その後、高賀山麓の六ヶ所に神社を建立、星宮神社はこの高賀六社の一つとして創建された。藤原高光に善貴星という神が粥を施した地とされる。高賀六社とは、高賀山を主峰とした山(瓢ケ岳、今渕ケ岳、片知山など)の山麓にあり、高賀山を囲む六つの神社をさす。」境内案内

「虚空蔵菩薩は、幸福や知恵を授け、人々の願いをかなえてくれる菩薩である。この信仰は白山を開いた泰澄大師が虚空蔵菩薩求聞持法を修したことによるもので、石微白(いとしろ)・中居(ちゅうきょ)神社の信仰が広がり、平安時代末期に虚空蔵菩薩を本地仏としてまつるようになった。そして虚空蔵菩薩を明星天子としてまつることから星宮と称するようになり、その別当寺が粥川寺であった」。境内由緒書

 木の香りも新しい拝殿は2001年の造営。拝殿正面には『虚空蔵菩薩』の御真言が貼られていたので、いつものニ拝二拍手一拝ではなく、御真言を唱えての仏式参拝としました🙏🙏。

参道から神域を守護されるのは、昭和2年(1928)1月建立の狛犬さん一対。 近江地方に良く見られるお顔立ちで、阿は鞠を、吽は仔狛を手に遊ばせています。

境内には『不動明王』を本尊として祀る「不動堂」があり、また「星宮神社」の御神体そのものが『虚空蔵菩薩像』である事、社宝として平安時代 ~鎌倉時代の懸仏を有するなど、廃仏毀釈以前の神仏習合の形が見事に残されています。

「不動堂」の前に建立されている「宝篋印塔」。二段に作られた「塔身(とうしん)」の上部には「仏坐像」が、下段には「種子(しゅじ)」が刻まれています。(「種子」は、密教において仏尊を象徴する一音節の真言で、種子真言とも言います)

境内に奉納されている祈願絵馬には「星宮神社」「虚空蔵菩薩」の文字が並び、中央に「左鎌」が打ち付けられています。案内によれば、双生児が生まれた時、一方が左遣いとされており、双生児の大碓命と小碓命のうち大碓命が左遣いであったことに由来する。その為、所願の成就を祈る時に左鎌を奉納していた。」・・・という事ですが、説明文の真意が今一つ理解できない😔❓

境内の何処かにあった筈の「亀の背に乗った円空仏」の湧き水。近くを流れる「粥川谷」の水は、岐阜県の名水50選に指定され、ほんのりと口中に優しい冷たさです。

参拝日:2012年5月21日

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御神名一口メモ

『大碓命(おおうすのみこと)』、第12代景行天皇の皇子で「小碓尊(おうすのみこと)=日本武尊」の双子の兄で左利き。東征を嫌がり隠れた為、美濃国に封じられ「身毛津君」「守君」の祖となった。

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ご当地マンホール in 岐阜県旧美並村(郡上市)

2020年05月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧郡上郡美並村(みなみむら)は岐阜県北部、飛騨高地の南に位置した村です。美濃市、郡上郡八幡町、武儀郡武儀町・上之保村・洞戸村に隣接。古代中世にわたって星の宮神社を中心として山岳信仰が広がり、村の各地に白山神社がまつられました。村域の西には1,000メートルを越える瓢(ふくべ)が岳があり、その山麓で木地師の子として生まれ、粥川寺で得度したとされる円空の故郷としても知られています。また、「粥川(かいがわ)谷のウナギ」は、妖魔退治でこの地を訪れた『藤原高光』の道案内をした事から、神の使いとして尊崇されています。国の天然記念物に指定された粥川のウナギ。地元の方は決して食べないそうです。「村の木:ヒノキ」「村の花:川サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、郡上郡梅原村・三戸村・白山村・大原村・嵩田村が発足。

1897年、梅原村、三戸村、白山村、大原村が合併、郡上郡下川村が発足。

1954年、嵩田村・下川村が合併、郡上郡美並村が発足。

2004年3月1日、八幡町・大和町・白鳥町・高鷲村・和良村・明宝村と合併、郡上市美並町となりました。

 マンホールには、日本人口重心地を表すモニュメントを中心に、周囲に「桜」・「長良川に泳ぐアユ」がデザインされています。(撮影:美並中央クリーンセンター)

同じデザインですが「特定環境保全公共下水道」を表す「特環」の文字があります。

美並町三戸地区の「農業集落排水」マンホール、デザインはいずれも同じ。

昭和49年8月1日制定の村章は「美並の頭文字「み」を、国指定天然記念物「粥川のうなぎ生息地」の「うなぎ」を使って、図案化したものです。「うなぎ」のやわらかさと円を使い「和」を表現しています。」合併協議会資料より

撮影日:2010年11月28日&2012年5月21日&2018年10月12日

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ご当地マンホールとマンホールカードB in 岐阜県旧大和町(郡上市)

2020年05月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧郡上郡大和町(やまとちょう)は岐阜県の北部、福井県との県境に位置した町です。郡上郡白鳥町、明宝村、八幡町、武儀郡板取村に。さらに県を跨いで福井県大野郡和泉村に隣接。町を南北に長良川が流れ、東海北陸自動車道:ぎふ大和インターチェンジを、さらに長良川鉄道・越美南線の五つの駅を擁し、国道165号線が町域を走り交通に便利な町です。

十一代・320年余りにわたってこの地を治めた東氏。特に初代・胤行は鎌倉幕府の御家人で和歌に優れ、藤原定家の子・為家から歌道を学ぶと共にその娘を妻とし、中央歌壇にも広くその名を知られました。代々歌道に優れていた東氏は、以後も高名な歌人を輩出。その一人『東常縁』は「古今集」の研究の第一人者として知られ、都より訪ねてきた連歌師・宗祇にその奥儀を伝授したことでもよく知られ、「古今伝授」の祖といわれています。「町の木:ヒノキ」「町の花:ヤマツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「古今伝授の里 大和町」

明治22年(1889)、町村制の施行により郡上郡名皿部(なさらべ)村・有坂村・島村・落部(おちべ)村・小間見村・剣村・大間見村・万場村・徳永村・河辺村・神路村・牧村・古道村・栗巣村が発足。

1897年、名皿部村、有坂村、島村、落部村が合併、郡上郡西川村となる。
  小間見村、剣村、大間見村、万場村が合併、郡上郡弥富村となる。
  徳永村、河辺村、神路村、牧村、古道村、栗巣村が合併、郡上郡山田村となる。

1955年、西川村、弥富村、山田村が合併、郡上郡大和村が発足。

1956年、大間見稗洞地区が白鳥町に編入。

1960年、大間見地区の一部が白鳥町に編入。

1985年、大和村が町制を施行、郡上郡大和町となる。

2004年、八幡町、白鳥町、高鷲村、美並村、明宝村、和良村と合併、郡上市大和町となりました。

マンホールには町章を中心に、「町の花:ヤマツツジ」「古今伝授の里」の文字がデザインされています。(大和町中央浄化センターにて撮影)

昭和40年()4月1日制定の町章は「大和町の大の字を図案化したもので、「がん」と組んで安定し、発展する大和町を象徴するものです。」合併協議会資料より

撮影日:2018年10月12日

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マンホールカード、頂きました。

2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「郡上市B」のマンホールカードは、「古今伝授の里やまと」でいただけます。

1993年に設置開始されたマンホールには「町の花:ヤマツツジ」と「古今伝授の里」がデザインされています。

「色鮮やかな「やまつつじ」の中に、「古今伝授の里」の文字を合わせたデザイン蓋です。 「古今伝授」とは、古今和歌集の解釈などを秘伝として師から弟子へ伝授することで、 室町時代に東常縁が連歌師宗祇(カードの漢字は(ネ))に伝えたのが始まりとされています。 郡上大和は、その東氏が320年間にわたり拠点として栄えた地域で、その名残を随所に留めています。 こうした縁を背景に、郡上大和は「古今伝授の里」として、日本人が培ってきた自然観や美意識、人々の営みの美しさを大切にしながら歩んでいます。 豊かな自然、歌の心、和歌の歴史と文化を未来永劫に語り伝えようとマンホール蓋に想いを込めました。」

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ご当地マンホール in 岐阜県旧高鷲村(郡上市)

2020年05月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧郡上郡高鷲村(たかすむら)は岐阜県北部、飛騨高地の中に位置した町です。郡上郡白鳥町、大野郡荘川村に隣接。起伏が激しい飛騨高地の中に位置し、北東の鷲ヶ岳の麓から長良川が発して南西に流れ、村の中心は、この長良川沿いにあります。山林が多く、元は林業が盛んでしたが、20世紀末に衰退。水田は少なく、ひるがの高原(蛭ヶ野)、上野高原のような傾斜の緩い所で栽培される大根や野菜は高原野菜として有名。特に「ひるがの大根」は一度食べると長くその味が忘れられないほど美味です。また「高鷲スノーパーク」や「ひるがの高原スキー場」など、スキー場のメッカとしても知られていました。「村の木:赤松」「村の花:コブシ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により郡上郡大鷲村・鮎立村・西洞村・鷲見村が発足。

1897年、大鷲村、鮎立村、西洞村、鷲見村が合併、郡上郡高鷲村が発足。

2004年3月1日、八幡町、大和町、白鳥町、美並村、明宝村、和良村と合併、郡上市高鷲町となりました。

マンホールには、中央に村章、「駒ヶ滝」と「モミジ」「アマゴ」がデザインされています。「長良川源流」は、高鷲村域に位置する「大日ヶ岳」の北東麓が長良川の始まりであることを示しています。(高鷲浄化センターにて撮影させていただきました。)

「高鷲浄化センター」

156号線沿いの「油島橋:欄干」、「渓流の女王:アマゴ」がデザインされています。

 ひるがの地区のマンホールには、ひるがの高原の「ミズバショウ」がデザインされています。

「ひるがの高原:分水嶺公園」の「蛭ヶ野高層湿原植物群落のミズバショウ」は、県天然記念物に指定されています。

大日ヶ岳の麓にある「道の駅:大日岳」の記念スタンプも、「ミズバショウ」のデザイン。

 昭和48年(1973)4月23日制定の村章は「無限の未来に向かってたくましく躍進する高鷲村の姿を村内の三山である大日ヶ岳、見当山、 鷲ヶ岳をふまえて雄飛しようとする大鷲にちなんで象徴したものです。」合併協議会資料より

 撮影日:2012年5月19日&2018年10月14日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧明宝村(郡上市)

2020年05月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧郡上郡明宝村(めいほうむら)は美濃地方の北端、飛騨高地に位置した村です。郡上郡白鳥町・大和町・八幡町・和良村、益田郡金山町・馬瀬村、大野郡清見村・荘川村に隣接。村の面積の大半は山林で、長良川の支流、吉田川の上流部に相当し、北東の烏帽子岳がある北東部から北部にかけて標高が高く、めいほうスキー場、明宝温泉はこの高地に位置します。東の四分の一は飛騨川の支流である馬瀬川の支流、弓掛川の流域で、各村域は小川峠で結ばれています。「町の木:モミジ」「町の花:ミズバショウ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「名馬 磨墨(するすみ)の里 明宝」

村内には国産豚肉を100%使用し、添加物や保存料を極力使用しないをモットーに生産される「明宝ハム」の工場があることでも知られおり、お肉大嫌い!の私が、何故かこれだけは試食できました・・もちろんお買い上げ😊

明治22年(1889)、町村制の施行により郡上郡大谷村・寒水(かのみず)村・気良(けら)村・小川村・畑佐村・二間手村・奥住村が発足。

1897年、大谷村、寒水村、気良村、小川村、畑佐村、二間手村、 奥住村が合併、郡上郡奥明方村が発足。

1970年、 奥明方村が改称、郡上郡明方村(みょうがたむら)となる。

1992年、明方村が郡上郡明宝村に改称。

2004年、八幡町・大和町・白鳥町・高鷲村・美並村・和良村と合併、郡上市明宝町となりました。

 マンホールには、「平家物語」に登場する「名馬:磨墨(するすみ)」と、村の花「水芭蕉」 村の木「もみじ」がデザインされています。

「道の駅:明宝」にある「名馬磨墨の像」。馬上で矢をつがえる源氏の武将『梶原景季』は、この「磨墨」に騎乗して宇治川の戦いに臨んだと伝えられています。

 

1992年11月1日制定の村章は「明宝村の頭文字「 M」を躍動感ある名馬磨墨の勇姿にイメージデザインし、左上にある円形は村民の情熱と融和を象徴したものです。」合併協議会資料より

 

昨日の和良村もそうですが、明宝村もマンホールと道の駅の銅像を見る為だけに立ち寄った為、他に紹介できる画像がありません。今から思えば「あんな山越えまでしたのに勿体無かったな」と・・まぁ、結果論です😓

 撮影日:2012年5月20日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧和良村(郡上市)

2020年05月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧郡上郡和良村(わらむら)は岐阜県のほぼ中央に位置した村です。郡上郡明宝村・八幡町、益田郡金山町に隣接。飛騨川、長良川の両河川に挟まれた山間の村で、総面積の95%が山地、5%が平地をなす和良盆地を形成しています。和良の地名が歴史に出てくるのは斉衡2年(855)が最初、本格的に開拓されたのは鎌倉時代。承久3年(1221)、東胤行が郡上郡の支配を始め、東南部の和良を支配下におさめ、江戸時代にはいると旗本領と天領に分かれて統治されました。村内には「天岩戸」伝説にちなむ名所が数多く残されており、また、和良町鹿倉の東洞岳を源とする「和良川」は、国の特別天然記念物のオオサンショウウオ生息地としても知られています。「村の木:ベニドウダン」を制定。

旧キャッチフレーズは「ようこそ!宝の村 和良村」

道の駅で見たオオサンショウウオのポスター、何と秀逸で素敵なデザインでしょう。これなら自宅に飾りたい。

明治22年(1889)、町村制の施行により、郡上郡下洞村・法師丸村・三庫村・横野村・野尻村・宮代村・鹿倉村・土京村・宮地村・方須村・沢村が発足。

1894年、下洞村、法師丸村、三庫村、横野村、野尻村、宮代村、鹿倉村、土京村、宮地村、方須村、沢村が合併、郡上郡和良村が発足。

2004年3月1日、八幡町・白鳥町・高鷲村・美並村・明宝村と合併、郡上市和良町となりました。

マンホールには 和良川の「鮎」と、「村の木:ベニドウダン」がデザインされています。

 

昭和49年(1974)10月14日制定の村章は「和良村の「ワラ」を図案化、「ラ」 は緑の山林を表し、平和、信頼、 協力、勤労、健康、明るい村勢発 展を表現したものです。」合併協議会資料より

 撮影日:2012年5月20日

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旧白鳥町あちこちウォッチ in 岐阜県郡上市白鳥町

2020年05月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

 美濃加茂市の美濃太田駅から、郡上市の北濃駅に至る長良川鉄道「越美南線(えつみなんせん)」。ワインレッドの美しい一両車両は、線路の上に存在するだけでステキに見えてしまいます😃 長滝白山神社からの帰途に出会った「ナガラ300形気動車」、各駅停車の旅なんて無理とわかっていても、時折無性に乗ってみたくなる😅

旧国鉄時代からの駅舎が今も現役の「美濃白鳥駅」。白鳥町の中心地らしく周辺には町歩きのマップをはじめ、つい足を止めてみたくなるものが点在しています。

駅前にある「白鳥おどり像」は、郡上市白鳥町で開催される伝統的な盆踊りを表したもの。中でも「白鳥の拝殿踊り」は、江戸時代の中頃からお盆の時期に神社の境内で踊られていたもので、国選択無形民俗文化財に指定されています。

夕刻、神社の拝殿には大きな切子灯籠が吊るされ、その明かりの下に踊り子たちが集まり、即興で唄を紡ぎながら踊り続ける・・・白山の自然の恵みと信仰文化に培われた美しい盆踊りの風景です。

 駅の順序で言うと「美濃白鳥駅 - 白鳥高原駅 - 白山長滝駅」と続いて、郡上市白鳥町歩岐島にある長良川鉄道越美南線の終着駅「北濃駅」

駅構内の北側には、2005年3月に国登録有形文化財の指定を受けた「転車台」が残っており、ここに立ち寄ったのはこれが目当て。「転車台」とは機関車の向きを変えるための設備で、これは蒸気機関車が現役だった1960年代終わり頃まで使われていました。

こちらの転車台は明治35年(1902)にアメリカン・ブリッジで製造されたもので、当初岐阜駅に設置され、越美南線が当駅まで延伸開業した昭和9年(1934)に移設されました。直径15.4mの円形をしており、機関車の載った橋桁を2人で押して回転させる手動式。大井川鐵道にある明治30年(1897)製のものに次ぐ日本最古級のものだそうです。

郡上市白鳥町大島にある「日本土鈴館 」。館長の『遠山一男氏』が全国各地から集めた土鈴約1万6000点余りと、郷土玩具や世界のおもちゃ民芸品などが収蔵されています。2010年には、土鈴の数世界一としてギネス認定されたとかで、入り口近くにも大きく「ギネス認定 世界一」の文字があります。

一時期、土鈴を収集したこともあって興味はありましたが、かといって入館料を払ってまで見たいかというとさほどでもなく、結局外観と道路に面したケースの中を見ただけで先に進みました。

訪問日:2012年5月20日&2018年10月13日

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白山信仰の町~其の二 in 岐阜県郡上市白鳥町

2020年05月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

昨日に続いて「白山中宮長滝寺」の境内から。「長滝白山神社」拝殿近くには、天保4年(1833)に建立されたという「宝篋印塔」があります。傍らの説明に寄れば、「石工は信州在の甚内親子」「四面に描かれた梵字と経文は『豪潮律師』の筆による」とあります。

「宝篋印塔」の近くに建立されている「忠魂碑」、降り注ぐ日差しの柔らかさになぜか心を打たれます。

 境内の一角に佇む銅像の主『三島榮太郎』は、明治30年まで二日町村(現:郡上市白鳥町二日村)の村長を務め、後に岐阜県議会議員を勤めた人物。彼の著書に「白山中宮元別当天台別格長滝寺略縁起」があり、銅像はその関連で建てられたのかもしれません。

「長滝白山神社・若宮修古館」は、代々白山中宮長滝寺の社家を勤めた「若宮家」の建物。現当主は40代目の宮司を勤めておられるそうです。

若宮家住宅母屋は天明5年(1785)築の建築物で、昭和38年(1963)に県指定文化財に指定。同年に、増改築がなされ、若宮家に伝わる美術工芸資料、民俗資料が一般公開されています。

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「道の駅:白山文化の里 長滝」の直ぐ近くに、「白山文化博物館」があり、館内には、国の重要文化財を含む文化財をはじめ、郡上一揆に関する歴史的資料などを展示。建物は、登拝する禅定道(ぜんじょうどう)の一つ、「美濃馬場」と、白山をイメージした外観で、はるかに白山を望む姿は、まさに白山信仰の町ならではと言える姿。

「禅定道」とは、霊場とされる山頂に登るまでの山道の事で、その起点は修行の起点でもあり、その地を馬場(ばんば)と呼びます。白山信仰では、この美濃馬場(長滝白山神社)の他に、加賀馬場(白山比咩神社)、越前馬場(平泉寺白山神社)などがあります。

長良川の堤防近く、約13m四方の台座の上に「泰澄大師頌徳碑」が建立。高さは約10mの碑石には、市内白鳥町曽部知で産出された石が使われたそうです。

傍らの説明に「大澄大師(682~767)は、越前国麻生津の出身で、奈良時代養老年間に白山を開き長滝寺及び長滝白山神社を創建した白山開山の祖である。」といった事が記されています。

訪問日:2012年5月20日&2018年10月13日

「長滝白山神社」の例祭としてほんの少し触れた 「花奪い祭り」、その様子が「道の駅:白鳥」の記念スタンプにデザインされています。背景に描かれているのは「白山三峰」とされる「御前峰・剣ヶ峰・大汝峰」。陽と月がこのデザインに、より趣を与えています。

ところで「道の駅:白鳥」、2018年6月に「道の駅白山文化の里 長滝」に名称が変更されていました。記念スタンプのデザインは「白山のご来光」かな?

 2012年5月と2018年10月の郡上市の車泊旅では、こちらの道の駅にて車中泊をさせていただきました。ご亭主殿がお土産に買った「特別純米酒:元文」は、帰宅後暫く楽しんでいたようです。適度に車の往来がありながら、それが途切れると聞こえてくる長良川の水音。やさしい水音を子守唄に眠った事が、今も懐かしく思い出されます。

車で旅をする私達にとって、こうした施設は本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

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白山信仰の町~其の一 in 岐阜県郡上市白鳥町

2020年05月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

白山信仰の町として知られる「白鳥町」、その 基点となる美濃馬場に鎮座される「長滝白山(ながたきはくさん)神社」。主祭神は『菊理媛神(白山比咩神・白山権現)』『伊弉諾尊・伊弉冉尊』

参道途中には石造りの太鼓橋があり、その先に濃い緑に包まれた境内が広がっています。

「長滝白山神社」は、日本各地に分布する白山神社の中心的な神社の一つで、白山信仰の美濃国側の中心とされます。明治維新以前は「白山中宮長滝寺(はくさんちゅうぐうちょうりゅうじ)」と称していましたが、神仏分離令により、「長滝白山神社」と「長瀧寺」に分離。両社寺は今も同じ境内にあり、参道から右側が長滝白山神社になります。

「本坪鈴」後方の格子から拝観させて頂いたご本殿:白山三社、中央に「天御前(あまのごぜん)社」、左右に「越南智(おなんじ)社・別山(べっさん)社」

1月6日、別名「花奪い祭り」と呼ばれる例祭では、この拝殿で「延年の舞」が古式ゆかしく奉納される中、拝殿天井に吊るされた桜、菊、牡丹、椿、芥子の五つの花笠を参拝者が奪い合います。この花を持ち帰ると家内安全・商売繁盛などの御利益があるそうで、国重要無形民俗文化財に指定されています。

拝殿前より神域を守護されるのは、いわゆる岡崎現代型と呼ばれる狛犬さん。見た感じからしてさほど古いものとも思えませんが、折角なので登場願いました。・・岡崎型には冷たい御亭主殿の所為で撮影者は私😅

参道・左側に位置する 「白山中宮 長瀧寺(ちょうりゅうじ)」『釈迦如来』を本尊とします。(本堂画像はパンフレットからの転載。)

伝承によれば、養老元年(717)、法相宗の寺院:白山中宮長滝寺として泰澄が創建。天長5年(828)に天台宗に改められ、古くから白山信仰と深いかかわりがあり、郡上郡一円に大きな宗教的勢力として君臨したと云います。参道脇の絵図には往時の坊跡が記されており、その勢力の一端を窺うことが出来ます。

それほどの規模を誇りながらも、明治32年(1889)の火災により堂宇や宝物の一部を焼失。現在の堂宇はその後に縮小して再建されたもので、阿名院、経聞坊及び宝幢坊の三つの坊院が残されただけとなりました。とは言え、これらの建物の写真・・一切ありません😱

どのような日照りの夏でも決して枯れる事がないと云う「延年水」の建屋。その水が流れ込む池の中央には「弁財天」が祀られています。後方の高台に僅かに見えている建物は「薬師堂」でしょうか?

境内の外れに建立されていた「瀧泉院:弘法堂」、弘法の名からもわかるように、真言宗の建物です。それが何故天台宗の寺院境内にあるのか・・理由は不明。

天台宗の寺社境内に真言宗のお堂・・この当時はそんな不思議などまったく考えず、美しく彩色された欄間や木鼻の象鼻に心惹かれ、デジカメを向けていました。下はその一部分ですが、あまりにも鮮やか過ぎる色合いは、もしかしたら最近手が加えられたのか・・とも思えます。

 画像が無い割には終わらない「長瀧白山神社」と「白山中宮長滝寺」。明日は2018年に散策した境内の画像を交え「白山信仰の町~其の二」を。 

参拝日:2012年5月20日

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