車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 岐阜県旧白鳥町(郡上市)

2020年05月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧郡上郡白鳥町(しろとりちょう)は岐阜県の中部、美濃地方の北部に位置した町です。郡上郡高鷲村、明宝村、大和町、大野郡荘川村に。さらに県を跨いで福井県大野郡和泉村、大野市に隣接。町域は飛騨高地の一部で、町の中央を北から南に長良川が通り、この川沿いの盆地(白鳥盆地)が町の中心をなしています。北部は、九頭竜川水系に属する石徹白(いとしろ)川に沿う地区で、もとは福井県に属した大野郡石徹白村が、越県合併で白鳥町の一部となったものです。郡上地域(北濃)では八幡町に次ぐ第2の町であり、福井県への玄関口の役割を果たし、また白山信仰の地、交通の要所として栄えてきました。「町の木:杉」「町の花:エゾリンドウ」を制定。

旧キャッチフレーズは「白山文化の里」

明治22年(1889)、町村制の施行により、郡上郡白鳥村・為真村・大島村・中津屋村・越佐村・ 野添村・六ノ里村・西多村・陰地村・那留村・前谷村・歩岐島村・長滝村・二日町村・向小駄良村が発足。

1897年、白鳥村、為真村、大島村、中津屋村、越佐村が合併、郡上郡上保村が発足。野添村、六ノ里村、西多村、陰地村、那留村が合併、郡上郡牛道村が発足。郡上郡前谷村、歩岐島村、長滝村、二日町村、向小駄良村が合併、郡上郡北濃村が発足。

1928年、上保村が町制を施行、改称して郡上郡白鳥町(初代)となる。

1956年、白鳥町、牛道村、北濃村が合併、郡上郡白鳥町(2代)が発足。大和村日枝洞・向七反田・七反田地区を編入。

1958年、福井県大野郡石徹白村の大部分を越境編入。

1960年、大和村大間見の一部を編入。

2004年、八幡町、大和町、高鷲村、美並村、明宝村、和良村と合併、郡上市白鳥町となりました。

マンホールには「中央に白鳥をデフォルメした町のシンボルマーク」。周囲は「スキー場のまち白鳥町」にちなんで、 「雪の結晶」と「白鳥・しあ・わ・せ フィールド」の文字が書かれています。

旧庁舎近くに取り付けられていた側溝蓋のデザインは、「町の花:エゾリンドウ」。

 規格タイプの蓋ですが、いずれにも町章は無く、シンボルマークのみ。シンボルマークがダメとは思いませんが、町の目印ともいえる知章はやっぱり残して欲しい。

昭和40年(1965)12月15日制定の町章は「飛鳥の雄姿に和と躍進。白鳥の 頭文字「しろ」の二文字を組み合わせ、飛鳥の姿に図案化したもので、町の和と団結を現し、将来の飛躍的発展を端的に象徴しています。」合併協議会資料より

白鳥町の銚子ヶ峰で生まれた白い鳥『しろろん』。白鳥のことをよ~く知っているので、頭にはキリコ灯籠の博士帽子をかぶっています。いつものように、高い所から白鳥の町を見ていると、たまたま飛んできた鷲のお母さんとぶつかってしまい、白鳥神社に舞い落ちてしまいました。そんな「しろろん」を看病し助けてくれた、やさしい白鳥の皆さんに恩返しするため、白鳥のゆるキャラ「しろろん」となって、白鳥のいいところや美味しいものをみなさんに紹介します。・・・プロフィール長すぎ😅

撮影日:2012年5月20日&2018年10月13日

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小野八幡神社 in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

郡上市八幡町小野に鎮座される「八幡神社」。「郡上八幡」の地名の由来となった神社で、地名より「小野八幡神社」と称され、また天満宮も祀っていることから「小野天満宮」とも呼ばれています。

御祭神は『誉田別命・菅原道真公』。昨日のブログでちょっと触れた「日本で一番多い「八幡様」と三番目に多い「天神様」」がご祭神です。

社伝に「鎌倉時代初期、『順徳天皇』の初夢に「都から北東の地で、人畜に危害をもたらす鷲がいる。これを退治しなさい。」との霊夢があり、直ちに『藤原(鷲見)頼保』を派遣。美濃国厚見郡の長良川にたどり着いた頼保が、川上より「八幡」の文字が浮かび上がった鷲の羽を見つけ、この羽を持って上流へ向かい、鷲ヶ岳にてその鷲を退治し、長良川で見つけた「八幡」の羽を頼保が岩の間に差し込み、村人に祀るように伝えたのが始まりという。また承久2年(1220)に「八幡大神」を勧請したものとも伝える。創建時の社殿は、現在の郡上八幡城の位置であったが、永禄2年(1559)、『遠藤盛数』が郡上八幡城を築城の際、現在地に遷座し、以後同氏や歴代郡上藩主の崇敬を受けた。」

八幡神社拝殿前より神域を守護されるのは、昭和7年生まれの狛犬さん一対。このタイプは滋賀県の神社などでよく見かけますが、石工さんはそちらの出自の方でしょうか?

「小野天満宮」の御神体は、約1mの白石の中に、黒い『菅原道真』の姿がある御神岩。郡上藩領であった越前国小山荘の真名川(九頭竜川水系)で発見され、『金森頼錦』により祀られたと云われています。

天満宮の拝殿前で神域を守護されるのは、立派な角を持った神牛さん、左の角の鈴は誰がかけたのでしょう?黒く大きな牛なのに、なんだかとても愛くるしく見えますね😊

参拝日:2018年10月13日

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郡上八幡の神仏たち in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

限られた一画だけの町歩きですが、古くより開けた郡上八幡では、様々な神仏と出会う事ができます。八幡町左京町に鎮座される「左京稲荷神社」もその一つ。名前の由来となった『金森左京』は、元郡上藩主『金森頼錦』の分家で、本家が宝暦の百姓一揆で断絶した時にも、ただ一人だけ特に存続を許され、明治維新まで栄えたと言います。この稲荷神社は、その『金森左京』の守護神として、今日も一家の繁栄を願う多くの人々に崇敬されています。

この「左京稲荷神社」に伝えられている「三不思議」なるもの、一体どんなものかと興味深々で内容を読んだのですが、一つは「鳥居」の建立に関して、二つは鳥居額を書いた人物に関して、三つは奉納された手水や灯篭の寄進者は?といった類。歴史的に紐解けば不思議なのかもしれませんが、ちょっと拍子抜けの内容😅

一瞬「ご当地マンホール」か?!と・・ぬか喜びさせた、稲荷町二丁目のモニュメント。道路にこういう形状のものを設置するって・・・マンホール大好き人間への挑戦ですか?😅

「やなか水のこみち」から程近く、八幡町稲成町には、その名の通り「谷中稲荷神社」が鎮座しています。ちなみに日本で一番多い神社は「八幡神社」で、以下「伊勢」「天神」と続き、四位が「稲荷神社」だそうです。

実は私、個人宅や工場などの屋敷神としても信仰を集める「稲荷神社」が一番多いと思っていたので、この結果には些か驚いています。が、もしかして個人で祀る社はカウントされていないのかもしれませんね。それはともかく、続いてはは八幡町肴町に鎮座される「白龍稲荷神社」

当時人々を苦しめた疫病を鎮めるために創建されたそうで、この岩山そのものが、神の使いであった「白蛇」の修行場と云われています。白蛇と稲荷神・・その関連性は何処に?? 疑問はさて置き、拝殿へ詣でるにはかなり急な石段を上らねばならず、残念ですが参拝は諦めました。

八幡町島谷に門を構える真宗大谷派寺院寺院「竹林山:願蓮寺」『阿弥陀如来』を本尊とします。

 明応3年(1494)、山田庄の地頭で東氏の家臣であった『石神兵庫』が、越前吉崎に滞在していた『蓮如上人』の弟子となり「願蓮寺」を創立。天正13年(1585)に、八幡城主『遠藤慶隆』により今の地に移転されました。

大田川に架かる新橋を渡った先に、山肌をくりぬいて作られた祠があります。内には「馬頭観音」「神農薬師」が安置され、祠の前には一対の狛犬が奉納されています。同じように奉納された幟の清潔な白さが、地域の方たちに大切に信仰されている事を伺わせています。

先ほどの祠からさほど遠くない通りの、山際に建立されていた祠。内には四体の石仏が安置されています。祠の前には「南無観世音菩薩」と刻まれた碑が建立されていますが、生憎と側の案内の画像を残していなかった為、詳細は不明。

 訪問日:2012年5月20日&2018年10月13日

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サンプルの町:郡上八幡 in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

郡上八幡の町歩き、今回は見て楽しんで、作って楽しめる、もちろんお土産にもピッタリの郡上八幡の名物の紹介。

レストランやカフェなどのショーウインドウに並んでいる、いかにも美味しそうな料理にドリンク。作り物だとわかっていてもそのリアリティさが、記憶の中の味や香りを引き出させ、思わずフラフラっと吸いよせられてしまいますよね。

ここ郡上八幡は、日本屈指の食品サンプルの町として全国的にも知られています。この食品サンプルの産みの親と言われるのが、昭和7年(1932)に大阪で食品サンプルの事業化に成功した『岩崎瀧三』。食品サンプルの第一人者として一躍有名になった彼は、昭和30年(1955)に生まれ故郷であるこの地に岐阜工場を設立し、多くの後継者を育てました。新橋を渡った先には彼の生家でもある「岩崎サンプル工房」があります。

【本物よりも“ホンモノらしい”食品サンプル】を目指して研鑽を重ねた成果は、日本は勿論、海外でも高く評価されています。

八幡町殿町、市街地で最大の売り場面積を誇る「流響の里」では、地元食文化の発信を掲げて、様々なものが展示&販売されています。その多彩さは、店内を見て周るだけでも充分に楽しめるほど。実際に二度の郡上八幡訪問では、二度とも立ち寄っています。

ここには「サンプルビレッジ・いわさき」のサンプルが沢山展示されており、どれもこれも本物以上に本物っぽく、ガラス越しでない分、より美味しそうに見えます。甘辛い煮汁を何度も何度もかけて煮る・・出汁のしみた煮魚の味が口中に蘇って、思わず生唾が・・・「ゴクリ!」

郡上八幡にある食品サンプルの店として有名なのが、築百五十年の町家を改造した体験型ショップ「さんぷる工房」。ここも2012年と2018年の二度に渡っての訪問。

店内に並んだ小物は、どれもこれもリアルなのに可愛く、ついつい目移りし、気がつけば、こんなに買ってどうするの?状態、・・仕方なく減らしましたが、却下の品を選ぶのにまた一苦労😅

お店から奥に進むと「土間」と呼ばれる通り庭があり、そこが「さんぷる工房」の体験コーナーになっています。この日も希望者が「レタス」つくりに挑戦中。さらに奥に進んだ工房内では数人の方がサンプルの製造中。見学も出来ますと書かれていたので、息をひそめて・・しばしその技に見とれて来ました。

本物より本物らしいサンプル、店内では二つの同じ商品を見比べてどっちが本物かを当てる「本物当てクイズ」のコーナーもあります。見分けるコツなんてもちろんある訳もなく、それでも一生懸命凝視して・・結果、意見が分かれ、軍配はご亭主殿に😣

あれもこれも、思わず手が出そうなサンプルの数々ですが、どうもこの「黄金の伊勢海老と海老フライ」は流石に・・・😅 、他に「黄金のいくらの軍艦巻き」や「黄金のアナゴの握り」などが展示されていましたが、見た瞬間に「秀吉の黄金の茶室」を連想して、思わず苦笑😓。

郡上八幡の町歩きのそこかしこで目にする「食品サンプル」。どれを見ても興をそそられるものばかりで、サンプル巡りだけで優に一日を費やしてしまいそう。某新聞販売店のディスプレイの魚たち、手掴みした瞬間にピチピチと跳ねそうですよね。

この「剥きかけのりんご」と、「雑誌に掲載されたラーメン」にしか見えないサンプルは、旧庁舎記念館の中に展示されていたものですが、手法の面白さもさることながら、完成度の高さが半端ないです。

 本当はまだまだ紹介したいサンプルが一杯なのですが、もうどれだけ書いてもキリが無いので、最後に・・見た瞬間に目が点になった面白サンプルを・・山盛りの千切りキャベツの上に乗せられた「ゴジラの丸ごとフライ」。お味はきっと火を噴く激辛😡ですね。

訪問日:2012年5月20日&2018年10月13日

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水の町:郡上八幡~其の二 in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

「水の町:郡上八幡~其の二」は、町歩きの拠点とも言える「旧庁舎記念館」の向かいから。

美しい湧き水の傍らに「犬啼き水神」と呼ばれる石像が安置されています。傍らに詳しい説明がありますが、要約すると「万廷2年(1861)の猛暑の中、藩主の奥方が病床に臥した為、古田栄左衛門が、氷室に貯蔵していた犬啼谷の湧き水で作った氷を献上し、奥方の病を癒やした。そこで犬啼谷に氷田を築き天然氷の製造を奨励、その工事のさなかに一対の男女像を発見し水神として祀ったが、明治27年の豪雨で山崩れになり、水神もろとも流失。昭和30年(1955)、犬啼谷での上水道工事中に土砂の中から2体の石像が発見され、堂宇が建立された。」と・・そのまま、日本昔話から現代へと繋がる、ドラマのような顛末。

 市街地の中央を流れる「吉田川」は長良川最大の支流で、郡上八幡の景色に欠かせないものです。夏の風物詩としてすっかり有名になった、新橋の上から飛び込む少年たち・・大人の男になるための通過儀礼ともいえる行事で、決して面白半分に行われているものではありません。私の場合は高所に水と、怖いものが二つ揃った情景で・・いやもう・・言葉にならない😱

その吉田川の支流「小駄良川」には、川にせり出すように建てられた3階建て、4階建ての家々が立ち並びます。川岸に設けられた遊歩道から見る何気ない日常の景色、これもまた「水の町:郡上八幡」ならではのもの。

色々と見所がいっぱいの郡上ですが、何と言っても外せないのは、毎年7月中旬から9月上旬まで、延べ32夜に渡って開催される「郡上踊り」。日本三大盆踊りの一つで、踊りに唄われる「郡上節」は、三大民謡にも数えられています。町の中心駅である「郡上八幡駅:スタンプ」は、郡上八幡城と、郡上踊りの踊り子さん。

郡上八幡に来る途中の長良川に架かる「勝更大橋 」で見つけた、郡上踊りの振りをデザインしたレリーフ。(三枚を便宜上一枚に加工)

郡上市八幡町大手町には、力強い手振りで拍子をとる男衆、優雅な手振りで艶やかに踊る女衆の像があります。これで音楽でも流れると、一層雰囲気が出るのにね😄

色の無いブロンズ像では今一つ雰囲気が・・と言う方には、「大垣共立銀行八幡支店」の入り口シャッター😅。「郡上踊り」の艶やかな姿が町並みと並んで描かれています。

漫画チックがお好みなら、「新町通」のアーケード上で踊る踊り子さんたちは如何?

旧庁舎記念館の入り口近くには、「国重要無形民俗文化財・郡上踊り」の有名な歌詞、【郡上の八幡出て行く時は 雨も降らぬに袖しぼる】の碑。

歌碑と言えばもう一基、先日紹介した「旧林療院看護婦棟」の前に、昭和6年(1931)に郡上八幡を訪れた『野口雨情』が、郡上節の歌詞として作詞したものが建立されています。

【今夜逢いませう宮ケ瀬橋で 月の出るころ のほるころ】

八幡町島谷にある、天正8年(1580)創業の老舗「郡上本染 :渡辺染物店」。「筒描(つつがき)」と呼ばれる伝統技術は、岐阜県重要無形文化財の指定を受けています。

店の奥まった一角に並ぶ藍甕、そこから生み出される本藍の美しさは「ジャパンブルー」として海外でも高く評価され、また藍甕の上に飾られた鮮やかな鯉のぼりは、郡上の冬の風物詩「鯉のぼり寒ざらし」としても知られています。

町全体が長い歴史を有する郡上八幡、実際にどの店も、いったん足を踏み入れてしまうと、そこから立ち去るのがあまりにも惜しい・・・元祖肉桂玉本舗として明治20年の創業以来、変わらぬ味を作り続ける「桜間見屋(おうまみや)。店内に一歩入った瞬間に、ツンと鼻をつくニッキの香り・・・口中に独特のあの辛さが蘇るようです。

カフェ和雑貨の店「さいとう」。母屋は慶応年間の建築で登録有形文化財の指定。母屋に設けられた「齋藤美術館」では、『狩野深信』の龍の図や、時代絵巻の屏風、江戸時代の古今雛の御殿雛飾りなどが常設されているそうです。

 訪問日:2012年5月20日&2018年10月13日

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水の町:郡上八幡~其の一 in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

「統一された町家と水利施設が一体となって歴史的風致を伝えている」として、国の伝統的建造物保存地区の選定を受けた歴史風致地区「城下町:郡上八幡地区」。

郡上八幡城を下った先に、浄土真宗大谷派寺院「光耀山:長敬寺(ちょうきょうじ)」があります。慶長6年(1601)、八幡城主『遠藤慶隆(よしたか)』は「古今伝授(こきんでんじゅ)」の祖といわれる『東常縁(とうつねより)』の玄孫『正勧坊正欽』が、飛騨高山の「照蓮寺」にいると聞き、これを招いて「長敬寺」を創建、自らの菩提寺としました。

「長敬寺」の塀に沿って作られた「御用用水」と呼ばれる水路。寛文年間(1660年頃)に城下町の整備をすすめた「城主:遠藤常友」が、防火の目的のため四年の歳月をかけて築造したものです。

この町並みの特徴のひとつに、隣家との間に設けられた「袖壁」があります。「袖壁」は屋根の軒出しを支えるとともに、密接した家々の防犯や延焼を防ぐために設けられました。

家々が密集する郡上八幡の城下。かって2度の大火に見舞われた郡上八幡は火事にはとても神経質でした。 今でも家々の軒先に下がる消化用バケツはいわばその伝統のなごりともいえます。

国文学者として知られる『折口信夫(釈迢空)』は、大正8年(1919)の夏の終わりに郡上八幡を訪れましたが、直前に起きた北町大火により町の半分が焦土と化していました。その災事を詠んだ「釈迢空の歌碑」が新橋のたもとに建立されています。書は『釈迢空』自身によるもので、この新橋のたもとが大火の最後の鎮火地点だったそうです。

【焼け原の まち(町)の最中(もなか)を行く水の せゝらぎ澄みて 秋近づけり】

町歩きで目に付くのが、「水舟」と呼ばれる郡上八幡特有の水利用のシステム。観光用の「水舟」は、旧庁舎記念館の前を始め、町歩きの様々な場所で見る事ができます。

「水舟」とは、湧水や山水を引き込んだ二槽または三槽からなる水槽の名称で、最初の水槽は飲用や食べ物を洗うため。次の水槽は汚れた食器などの洗浄に使い、そのまま下の池に流します。流れ水の中に残った食べかすは、池で飼われている鯉や魚のエサとなり、水は自然に浄化されて川に流れこむ、この上なく自然に優しいしくみになっています。

郡上八幡の湧水として最も有名なのが、宮ヶ瀬橋近くに湧き出る「宗祇水(別名白雲水)」。江戸時代には、郡上藩主『金森頼錦』や『遠藤常友』等らによって泉の保存が図られ、また近代においては、環境省が選定した「日本名水百選」の第1号にも指定されました。

文明3年(1471)、連歌の宗匠『飯尾宗祇』が、郡上の領主『東常縁』から「古今伝授(古今和歌集を教える)」を受けて京へ戻る際に歌を詠み交わしたと言う、澄んだ泉のほとり。

【もみじ葉の  流るるたつた白雲の  花のみよし野 思ひ忘るな  常縁】【三年ごし  心をつくす思ひ川  春立つ沢に 湧き出づるかな 宗祇】

水の町・郡上八幡の中で、しっとりと落ち着いた佇まいを見せているのが、「やなか水のこみち」と呼ばれる路地。

路地全体に敷き詰められた玉石の数は、町の名前に因んだ八万個の長良川と吉田川の自然石。

玉石の通路にさり気なく置かれたモニュメント、最初はマンホールかと思って小躍りしたのですが、流石にそれは無かったようです。

玉石の道沿いに流れる水路、さやかな風の気配にも敏感に応える柳の並木、立ち並ぶ家屋敷はどっしりと落ち着いた佇まいを見せ、訪れた旅人を心地よく迎えてくれます。

訪問日:2012年5月20日&2018年10月13日

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郡上八幡の文化財「建物編」 in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

郡上市の中でも特に旧八幡町には数多くの歴史的な建物が存在し、私たちを楽しませてくれます。

郡上八幡の玄関口は、文化財指定の「長良川鉄道郡上八幡駅」。東面して建つ本屋は、桁行一三間半梁間三間半、切妻造平入、切妻玄関付の木造駅舎で、正面及び妻面は人造石洗出し仕上げとなっています。

本屋だけでなく、プラットフォームや待合所も、同じく文化財の指定。緩やかに湾曲する木造上屋付の玉石積プラットホーム。上屋は延長四〇メートルで、傘形に組んだ古レールで支えられ、小さな待合所は、腰を下見板張とし、三面に連続窓が設けられた開放的な形式となっています。

 上下のプラットホームをつなぐ「跨線橋」も登録有形文化財、とえりあえず全体的に凄い😄

郡上八幡の町歩きは、郡上八幡城登城口からと、郡上八幡旧庁舎記念館からのコースがあります。2012年の訪問では「郡上八幡城下町八幡プラザ駐車場」に車を入れて、2018年では「旧庁舎記念館」前の駐車場に車を入れて、町歩きを楽しみました。

新橋のたもとにある「郡上八幡旧庁舎記念館」。建物は非対称型になる木造2階建の洋風の庁舎で、内部は一階が町政執務関係、2階が議会関係に使用されていました。施工は地元の大工棟梁『水谷藤兵衛』によるもので、昭和11年(1936)の建造。

外壁は軒廻りを除き下見板張として縦長の窓を配し、 正面には玄関ポーチが付けられています。もと「郡上八幡町役場」だった建物は国の登録文化財指定で観光協会もかねており、館内では特産品の展示&販売なども行われています。

どれもこれも興味深いものばかりですが、特に印象に残ったのが「GJ(ジー・ジェイ)8マン」の記念グッズ。実はこのキャラクター、郡上八幡に魅了された『さくらももこ』さんが、勝手に生み出したイメージキャラクターなんだそうです😊。

郡上八幡と言えば何と言っても有名なのは「郡上踊り」。店内には郡上踊りになくてはならない「踊りげた」や、郡上の魅力が一杯詰まった「結屋」特性の手拭が並んでいます。

吉田川に架かる新橋から見た「郡上八幡旧庁舎記念館」。横からのフォルムも素敵😄。

旧庁舎記念館の斜め向かいにある洋風外観の「郡上八幡樂藝館」は、明治37年(1904)に建造された「旧林療院本館」。木造2階建の擬洋風の外観で知られた医院で、玄関ポーチはイオニア式オーダーの円柱を立て、軸組は伝統的な和風で仕上げられています。

旧林療院の背後に建つ小規模な2階建の洋風建物は「旧レントゲン棟」。大正初期の建造で、1階は土蔵風となっていますが、全体として本館を意識した意匠にまとめられています。県下でレントゲン施設が最も早く設置されたと伝えられており、当時、最新の医療が行われていたことを伝える貴重な建造物です。

旧林療院本館の左手に位置する木造2階建の建物は「旧林療院看護婦棟」。もとの足軽長屋を改造したものといわれる簡単な佇まいの建屋で、全体に旧態を良く伝えており、本館・レントゲン棟と共に、国登録有形文化財となっています。

同じく国登録有形文化財の建物で、郡上八幡城に近接する市街地に建つ「旧堀谷医院」。道路に面した建物正面は、大正9年(1920)の建築当時の状況を残した木造二階建。外壁コンクリート洗出しで、繰形の上に2階が張り出し、屋根は鉄板葺き。

 玄関ポーチの持送りと、正面欄間に漆喰で意匠を凝らし大きなアーチ形の窓に目を奪われます。

黒漆喰による重厚な外観の「直井家住宅土蔵」。 桁行3間、梁間2間、屋根は東西棟の切妻造:鉄板葺きで、腰壁はモルタル塗の洗出しになっており、こちらも国登録有形文化財の指定。

最後は大正9年(1920)に 郡上郡八幡町に「郡上税務署庁舎」として竣工された建物で、昭和62年(1987)に八幡町指定文化財に指定されていました。1991年の改修後、博物館の「郡上八幡博覧館」として開館。郡上八幡の近代建築再生の第1号とされ、現在の外観はほぼ竣工当時のもので、館内では郡上踊りの実演もあります。

訪問日:2012年5月20日&2018年10月13日

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郡上八幡城 in 岐阜県郡上市八幡町

2020年05月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

郡上市八幡町柳町、八幡山の頂上に建つ「郡上八幡城」。戦国時代末期の永禄2年(1559)、『遠藤盛数』によって砦が築かれたのが「郡上八幡城」のはじまりとされています。古名を「積翠城(せきすいじょう)」「虞城(ぐじょう)」とも称しました。

寛文7年(1667)、6代城主『遠藤常友』の修復によって、幕府から城郭として格上げされ、のちに井上氏、金森氏と相次いで入部。宝暦5年(1755)の大規模な農民一揆で12代城主『金森頼錦』がお家断絶に追い込まれると、金森氏に代わって、丹後の宮津から『青山幸道』が転封。城下の殿町に居館を築き、旧二の丸は本丸、旧本丸は桜の丸、松の丸と改められました。

明治6年(1873)の「廃城令」により、郡上八幡城は石垣を残してすべて取り壊されましたが、昭和30年(1955)に城郭一帯の石垣すべてが県の史跡に指定。

現在の天守は、大垣城を参考に昭和8年(1933)に再建。全国的にも珍しい木造の模擬天守で、現存する木造再建城としては日本最古であり、昭和62年(1987)に市の有形文化財に指定されました。

城内の一画に据えられた「赤髭作兵衛の力石」。この石にまつわる伝説の内容が・・切ないと言うか・・純真素朴と言うか、気になる方はググって下さい😓

城山公園内に建立されていたのは、昭和12年(1937)の「国民文学」に掲載された『千代国一』の歌碑。

【 城の垣  苔生枯れつつ積む石の 容さながら 歳月を負ふ 】

見晴台から見下ろした城下町のたたずまいは、見る角度によって町の形が魚のように見えるとか・・でもそんな風に見るには、天守閣のような高い位置からでないとダメなのかも。

私たちに限っていうなら、お城は、展示品よりもお城そのものを眺めているほうが好き。とはいえ、全部を見るには時間も体力もかなり不足。結局後になって、あれもこれも見残した事に気がついてガッカリするのですが・・そんなガッカリにも慣れた気がする今日この頃😄

郡上八幡城案内図の横に、日中の日差しの下で無いと遠慮したい「首洗い井戸跡」なるものが残されています。慶長の合戦に際して討ち取られた敵方の首についた血や泥を洗い浄めていたと云います。「首洗い」という言葉から連想されるイメージは血なまぐさく、恐い・・ですが、きちんと洗い清める事に武士の心を感じます。

城近くの駐車場から公園まで下ると、「山内一豊 千代」の像が出迎えてくれます。傍らの説明によれば、郡上市の「慈恩寺」が所蔵する遠藤氏の系図に、『遠藤盛数』の娘が山内一豊室であるとの記載があったことから、千代が盛数の娘であるとする説が有力視されています。それをもって、郡上八幡は千代の出生の地となっています。

公園の一隅に「円空の癒しの水」と呼ばれる湧水があり、穏やかな微笑みを浮かべた「円空仏」が訪問者を見守っています。美濃路の旅の随所で出会う「円空仏」さん。いつ何時見ても、心にやさしく微笑みかけて下さいます。

訪問日:2012年5月20日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧八幡町(郡上市)

2020年05月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧郡上郡八幡町(はちまんちょう)は岐阜県のほぼ中央、郡上郡の中央南よりに位置した町です。郡上郡大和町・美並村・明宝村・和良村、益田郡金山町、武儀郡上之保村・洞戸村・板取村に隣接。町の中央で、吉田川と長良川が合流し、この合流点から吉田川沿岸に発達した城下町が現在の八幡町市街地で、古くから郡上郡の政治・商業などの中心地として栄えてきました。中心市街地には近世以来の城下町の姿が保全されており、その景観から「奥美濃の小京都」と呼ばれ、全国京都会議に加盟。周辺の集落は長良川、吉田川、小駄良川、那比川、亀尾島川、鬼谷川、小那比川などに沿って点在する狭小な農地を抱いた山村地帯です。「町の木:杉」「町の花:サツキ」を制定。

旧キャッチフレーズは「水と おどりと 心のふるさと」

明治22年(1889)、町村制の施行により、郡上郡八幡町(初代)・川合村・口明方村・相生村・西和良村・有坂村が発足。

1954年、八幡町、川合村、口明方村、相生村、西和良村が合併、郡上郡八幡町(2代)が発足。

1957年、郡上郡大和村有坂地区を編入。

2004年、大和町、白鳥町、高鷲村、美並村、明宝村、和良村と合併、郡上市八幡町となりました。

マンホールには「吉田川を泳ぐアマゴの群れ」がデザインされています。

 

昭和45年(1970)5月1日制定の町章は「八の字を図案化したもので、円は町民の和を、円内の鋭角は 山並と鋭く躍進する町の姿を表徴したものです。」

中央に「郡上八幡」の文字。郡上八幡:重要伝統的建造物群保存地区用の設置と思われます。

 

撮影日:2012年5月20日&2018年10月13日

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ご当地マンホールとマンホールカード in 岐阜県郡上市

2020年05月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

郡上市(ぐじょうし)は岐阜県のほぼ中央、中濃地域に位置する市です。2004年3月1日に、 郡上郡八幡町・大和町・白鳥町・高鷲村・美並村・明宝村・和良村の合併によって発足。市名は郡名に由来します。東は下呂市に、北は高山市、南は関市、美濃市、また県を跨いで西は福井県大野市に隣接。岐阜県では隣接する高山市に次ぐ面積を有し、北に行くほど標高が高く、最高峰は標高1,810mの銚子ヶ峰。芦倉山、大日ヶ岳、野伏ヶ岳、鷲ヶ岳、烏帽子岳等々、1600m以上の高山を擁し、市域のほとんどは長良川の流域。東端は飛騨川の支流、北端は九頭竜川の支流の流域に属します。

市域には名水百選の第一号「宗祇水」や、模擬天守としては全国的にも珍しい木造の「郡上八幡城」、日本の滝百選「阿弥陀ケ滝」、日本の棚田百選「正ヶ洞の棚田」、国の特別天然記念物「オオサンショウウオ」、円空仏で知られる「円空ふるさと館」など、多くの観光資源を擁し、郡上踊り、白山信仰の地として知られています。「市の木:モミジ」「市の花:コブシ」「市の魚:鮎」を制定。

キャッチフレーズは「みんなでつくる郡上-人と自然が調和した交流文化のまち-」

マンホールに描かれた「吉田川を泳ぐアマゴの群れ」。マンホールカードに使われた座標軸のマンホールで、カラー蓋はこの一枚だけ。従来のデザインマンホールが色付けされて鮮やかに蘇るのは、マンホール好きには嬉しい結果です。

2004年8月30日制定の市章は「全体の形は郡上市の「G」です。グリーンは美しい山々を、ブルーは清らかな水を、オレンジは太陽(花)を表しています。市章2は明るく元気な市民を表し、大きく広がるグリーンの輪は、豊かな自然と調和した歴史と文化を育み、明るい未来へ向かう郡上市をイメージしています。」公式HPより

撮影日:2018年10月13日

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2017年8月1日、第5弾として全国50自治体で52種類(累計191自治体222種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「郡上市」のマンホールカードは、「郡上八幡駅観光案内所」でいただけます。

1995年に設置開始されたマンホールには、「吉田川を泳ぐアマゴ」がデザインされています。

「清流吉田川を無邪気に泳ぐアマゴを描いたデザイン蓋です。 郡上八幡は長良川上流の山紫水明の城下町として知られています。 街中には、湧水や山水を引き込んだ水舟や用水路が豊富にあり、人びとの暮らしと自然が一体となった水利用文化が育まれています。 そんな街の中心部を流れる吉田川は、川底の石が数えられるほど透明で、清流を棲み処とするアマゴたちにとってかけがえのない環境となっています。 体には小判型の斑紋模様を有し、そこに特徴的な朱色の斑点が加わった美しい容姿から、「清流の女王」と称されるアマゴ。 自然豊かな郡上八幡の一面を切り取った自慢のマンホール蓋です。」

訪問日:2018年10月13日

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