車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

青玉(あおたま)神社 in 兵庫県多可町加美

2023年11月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

多可町加美区鳥羽に鎮座される「青玉(あおたま)神社」。延喜式の「天目一神社」に比定される式内社(小社)の論社。御祭神は『天戸間見命(あまのとまみのみこと)別名:天目一箇命』。『大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)』を合祀。

参道両脇に立ち並ぶ杉の巨木群

「創祀年代は不詳。初め、三国嶽の山頂に鎮座。後、山麓に近い現在地に遷座す。明応2年(1493)、社殿焼失。宝暦11年(1761)、社殿造営。安政3年(1856)、社殿焼失。再度再建。明治7年(1874)、村社に列せられる。」兵庫神社庁HPより

覆い屋の下に鎮まられる本殿。脇障子の彫刻をかろうじて捉える事が出来ました。

この獅子の面構え、中々の迫力でしょう(⌒∇⌒)

うっそうと茂る木々を背景に静かにそこに在る拝殿。拝殿前左右に神域を守護される狛犬さん一対。 

境内の一画、木立の深い緑と、わずかに見える空の青を映し出す神池。

その一画の岩の上に「青玉」が安置されています。「青玉」の名は、天戸間見命が神木に触れたところ、片眼を失明して青色になったことから、青玉と呼ばれるようになったとの伝承があるのですが・・・何だろう、その空間だけが一種不思議な雰囲気に包まれているような・・。

「乳の木」と呼ばれる樹齢500年の銀杏の大木。高さ25m・幹回り4m、太い枝に大きな乳房に似た変形枝があり、乳の出がよくない母親や乳房の悩みにご利益があると伝えられています。

本殿へと至る参道の両脇に群生する杉の木。

拝殿近くの7本の大杉は、推定樹齢600~1000年といわれ、兵庫県指定の天然記念物として登録されています。

樹齢千年と伝えられる最も大きな杉は、高さ45m、幹回り11m。地上8mから二又に分かれており、その寄り添うような樹形から「夫婦杉」と呼ばれています。

夫婦円満・縁結びのご利益があると言われる「夫婦杉」。傍らには夫婦円満の秘訣が・・・「20代は愛で」「30代は努力で」「40代は我慢で」「50代は諦めで」「60代は信頼で」「70代は感謝で」「80代は一心同体で」そしてそれからは「空気のようなふれ愛で・・・」。我慢と諦めは・・できれば御免こうむりたいかな(-_-;)

参拝日:2014年11月20日

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御神名一口メモ

『天戸間見命(あまのとまみのみこと)別名:天目一箇神(あめのまひとつのかみ)』、日本神話に登場する製鉄・鍛冶の神。「目一箇」は「一つ目」を意味し、鍛冶が鉄の色でその温度をみるのに片目をつぶっていた。または片目を失明する鍛冶の職業病があった事からと伝える。

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ご当地マンホール in 兵庫県旧加美町(多可町)

2023年11月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧多可郡加美町(かみちょう)は兵庫県中部、加古川水系の杉原川河谷に沿う、静かな山間に位置した町です。丹波市、朝来市、中町、八千代町、神崎町に隣接。ミツマタを用いた高級和紙「杉原紙発祥の地」として知られており昭和58年(1983)に兵庫県無形文化財に、1993年には兵庫県伝統的工芸品と指定されました。「町の木:杉」「町の花:春蘭」を制定。

1300年の歴史と伝統を持つ杉原和紙。残念ながら大正14年(1925)に杉原谷での紙すきの永い歴史は幕を閉じましたが、新たに設立された町立杉原紙研究所の前には、約半世紀ぶりに杉原紙の紙漉き再現に成功した事を記念した「杉原紙 復元の碑」が建立されました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、多可郡杉原谷村・松井庄村が発足。

1955年、杉原谷村・松井庄村が合併、多可郡加美村が発足。

1960年、加美村が町制を施行、多可郡加美町となる。

2005年、多可郡中町・八千代町と合併して多可町が発足。多可町加美区となりました。

マンホールは自治体章のある規格蓋のみで、デザインマンホールは無い様です。

昭和31年4月1日制定の町章は「加美町の「カ」をデフォルメし、町勢の伸展と町民の団結和合を象徴しています。」合併協議会資料より

復元された杉原紙は、杉原谷にある「道の駅:R427 かみ」に隣接する「杉原紙研究所」で作られています。

撮影日:2014年11月20日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧八千代町(多可町)

2023年11月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧多可郡八千代町(やちよちょう)は兵庫県中部に位置した町です。西脇市、加西市、中町、加美町、神神崎町、市川町に隣接。かっては播州織の一大産地として昭和の半ばまで活況を呈し、高野豆腐を日本で初めて量産化させ、また「お年寄りを大切にして村の発展のための知恵を借りよう」と提唱し、敬老会を開催したことから「敬老の日:発祥の地」として知られています。画像は旧八千代町仕出原ヶ谷に所在する「四季酒造KK」の工場風景。「町の木:桧」「町の花:笹百合」「町の鳥:雉」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により多可郡野間谷村・加西郡大和村が発足。

1954年、多可郡野間谷村・加西郡大和村が合併、多可郡八千代村が発足。

1960年、八千代村が町制を施行、多可郡八千代町となる。

2005年、多可郡中町・加美町と合併して多可町が発足。多可町八千代区となりました。

マンホールには「町の花:ささゆり」「町の鳥 :キジ」がデザインされています。

昭和38年3月26日制定の町章は「八千代町の頭文字「八」は野間川と大和川の両流域を表し、かつ円満性を示し、翼を大きく開き、雄飛する姿を象徴す。」合併協議会資料より

撮影日:2014年11月20日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県多可町&旧中町

2023年11月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

多可郡多可町(たかちょう)は兵庫県東播磨地域の内陸部に位置する町です。2005年11月1日に多可郡の中町・加美町・八千代町の3町が合併して新設されました。北は丹波市、朝来市、東は丹波市、南は西脇市、 加西市、西は神河町、市川町に隣接。周囲を中国山地(三国岳、千ヶ峰、笠形山、竜ヶ岳、篠ヶ峰) の山々に囲まれ、三国岳を源とする杉原川が加美区、中区の中央部を貫流し、笠形山を源とする野間川が八千代区の中央部を南流 し、県下最長の加古川と合流して瀬戸内海に流れています。町では生産量の8割を兵庫県産が占める酒米「「山田錦」の発祥の地」を標榜。「町の木:欅・杉・桧」「町の花:野菊・春蘭・笹百合」「町の鳥:雉」を制定。

キャッチフレーズは「天たかく 元気ひろがる 美しいまち」

2005年11月1日制定の町章は「緑色:みどり広がる。大地赤丸:想像・発見を表し、豊かな自然との共生、躍動する人の姿を織り込み、新しい時代への飛翔・新生「多可町」の飛躍と発展をイメージしています。」公式HPより

多可町に伝承される民話「播磨国風土記」に登場する大男「多可のあまんじゃこ」がモチーフの、多可町観光PRマスコット『たか坊』。チャームポイントは2本(しか無い)歯と赤いほっぺだそうです。

多可町内の見所、美味しいものをみんなに知ってもらう為、町内のどこにでも出現しますよ(⌒∇⌒)

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旧多可郡中町(なかちょう)は兵庫県の中部、播磨地区の北東側に位置した町です。西脇市、丹波市、加美町、八千代町に隣接。妙見山の麓を流れる杉原川の流域沿いに町域が広がり、播磨の奥座敷とも呼ばれ、また「山田錦」発祥の地としても知られています。旧町内には約300年前に始まった「高室芝居」をルーツとする地歌舞伎「播州歌舞伎」の伝統を、唯一伝えてきた「嵐獅山一座」の本拠地があります。「町の木:ケヤキ」「町の花:野菊」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により多可郡中村が発足。

1924年、中村が町制を施行、多可郡中町となる。

2005年、多可郡加美町・八千代町と合併、多可町が発足。多可町中区となりました。

マンホールは自治体章のある規格蓋のみで、デザイン物は存在していないようです。

昭和40年12月25日制定の町章は「円満の中に、若さと動きをたたえ、躍進する中町の姿を象徴しています。白地に明るい緑の色合いは、明るく豊かな田園都市”中町”の緑の山河と限りない発展性をアレンジしたものです。」合併協議会資料より

撮影日:2014年11月20日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧黒田庄町(西脇市)

2023年11月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧多可郡黒田庄町(くろだしょうちょう)は兵庫県のほぼ中央に位置し、東経135度の子午線が通り、田園風景が広がるのどかな町です。西脇市、丹波市、中町に隣接。播磨風土記には「黒田里」と記され、鎌倉時代以降「黒田庄」と呼ばれた荘園があった事が町名の由来と云われます。 「式内社:兵主神社」 を擁し、また黒田庄町黒田地区は「播磨:黒田氏発祥の地」としても知られています。「町の木:黒松」「町の花:菊」を制定。

旧キャッチフレーズは「人と自然が元気になる こころのふるさとづくり」

明治22年(1889)、町村制の施行により、多可郡黒田庄村が発足。

1960年、黒田庄村が町制を施行、多可郡黒田庄町となります。

2005年、西脇市と合併、西脇市黒田庄町となりました。

マンホールには、中央に大きく「町の花:菊」、周囲に「町の木:黒松」が描かれています。(黒田庄駅付近に設置)

昭和36年12月18日制定の町章は、「クロダショウ」の「クロ」を、組み合わせて図案化したものです。」

撮影日:2009年5月3日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県西脇市

2023年11月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

西脇市(にしわきし)は兵庫県の中央やや東、北播磨地区の北側に位置する市です。加西市、加東市、丹波篠山市、丹波市、多可町に隣接。市域を東経135度線、北緯35度線が交差しており、経緯度で日本列島の中心点に位置することから「日本のへそ」を標榜。中国山地の東南端が播磨平野に接する地点にあり、西光寺山(712.9m)を最高峰に、標高200~600mの山地や丘陵に囲まれています。市名の由来は、中心市街地を形成する西脇区が古来この地の呼び名であった「都麻(津万:つま)郷」の西側であること、あるいは、室町時代に当地を治めていた城の西側に位置していた事から名付けられたとの説が有力です。「市の木:桜」「市の花:芝桜」を制定。

また寛政4年(1792)に比延庄村の『宮大工:飛田安兵衛』が京都西陣から織物の技術を持ち帰ったのが起源と伝えられる「播州織」は、加古川・杉原川・野間川の3つの河川という染色に不可欠の水資源に恵まれた事で全国に名を馳せ、現在も地場産業として様々な製品が生み出されています。

「日本へそ公園」にある不思議な顔の造詣は、1992年に開館された「地球・宇宙」がテーマの「にしわき経緯度地球科学館」愛称「テラ・ドーム」。東経135度線・北緯35度線の交点にあります。

キャッチフレーズは「人輝き 未来広がる 田園協奏都市」

1889年、町村制の施行により多可郡津万村・日野村・重春村・比延庄村、加西郡芳田村が発足。

1917年、津万村が町制を施行・改称し多可郡西脇町となります。

1952年、多可郡日野村・重春村・比延庄村と合併、西脇市が発足。

1954年、加西郡芳田村を編入。

2005年、多可郡黒田庄町と合併、新たに西脇市となりました。

マンホールには「西脇市シンボルマーク」と、「市の花:芝桜」がデザインされています。

西脇市市役所下水道課展示マンホール

野間川:平野橋歩道橋の展示マンホール

昭和53年3月11日制定の旧西脇市シンボルマークは「『みなおそうふるさと』運動の中で、東経135度(日本標準時子午線)と北緯35度が交差し、日本列島の中心にあたることから、本市を「日本のへそ」と宣言。日本列島をかたどった小鳥に経緯度の交点である本市を示したシンボルマークで、豊かな自然を表現しています。」公式HPより

雨水用マンホール

昭和39年4月1日制定の市章は「旧西脇市の市章を継承しています。2つの「シ」を図案化して「ニシ」を表し、市内を流れる2つの川(加古川・杉原川)の合流地にひらける西脇市の飛躍と調和を象徴しています。」公式HPより

中央に「廣」の文字がある蓋は、西脇市市役所の敷地にあったものですが、意味するものが何なのかは不明。

西脇TMOオリジナルキャラクター『にっしー』。2010年4月9日、市役所市民課窓口で、西脇市の住民として特別住民票を市長から交付されました。新しく誕生した妹の『さくら』と一緒に、西脇市の中心市街地の活性化に取り組んでいます。

『さくら』のイメージが違いすぎるとご指摘いただいたので(笑)、加東市の「伝の助」・多可町の「たか坊」との記念撮影の画像を(^^;)

寺内字天神池にある「道の駅・北はりまエコミュージアム」で来店者をお迎えしてくれるのは、北はりま田園空間博物館のマスコット『でんくる君』。

2014年11月の丹波~播磨の旅の際にはこちらの道の駅で車中泊をさせて頂きました。お土産や果物などと一緒に、特にご亭主殿の希望で購入した「新田酒店の辛口:那珂の唄」。山田錦発祥の地で生まれた生粋のお酒だそうで、もちろん帰宅するまでお預け(笑)

車で旅をする者にとってこうした道の駅は本当に有難く大切な場所です。改めて「その節は、本当にありがとうございました」

撮影日:2009年5月3日&2014年12月5日&2017年12月27日

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2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「西脇市」のマンホールカードは、「平日:西脇市役所・上下水道部」「土日祝:テラ・ドーム」でいただけます。

1990年に設置開始されたマンホールには「へそシンボル」と「市の花:芝桜」がデザインされています。

「東経135度・北緯35度が交差するまち、西脇市。本市は昭和52年、「みなおそうふるさと運動」によって、日本列島の中心に位置する「日本のへそ」を高らかに宣言いたしました。 市民投票で決まった本デザインの中心には、日本列島をかたどった小鳥に経緯度の交点である本市を示した「日本のへそシンボルマーク」が描かれています。また、周囲を市花「しばざくら」で囲うことにより、自然との調和を図る「田園協奏都市」の下水道が表現されています。西脇市で道に迷ったら、足元に注目してください。 蓋の絵柄と日本列島の向き・方角が一致するように設置されていますので、解決の糸口になるかもしれません。」

訪問日:2017年12月27日

 

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北栄山羅漢寺の五百羅漢 in 兵庫県加西市北条町

2023年11月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

加西の「五百羅漢さん」の存在を知ったのは、中国自動車道加西上下SAにあったモニュメントの説明から。いつか機会があればと思いつつも、思うだけで実現できずに三年が経過(^^;)

2014年12月、予定していた神楽見学がダメになった為に急遽予定を変更。かねてから気になっていた加西の「五百羅漢さん」に会いに行くことにしました。

加西市北条町北条にある天台宗寺院「北栄山:羅漢寺」『薬師如来』を本尊とします。

山門の内の左右に立たれるのは仁王様でしょうか?羅漢寺では仁王様も羅漢様の一員のようです。

【もとは酒見寺塔頭の一寺であったと言われるが、戦国時代の兵火に焼かれたあと、北条御旅町にあった薬師堂を移したと伝えられる。播州薬師霊場第十一番札所。境内に四百数十体の石佛を祭祀、通称五百羅漢と呼ばれているところから、昭和十七年の宗教団体法施行時に、寺名を羅漢寺とし、天台宗に復帰した。(酒見寺は、もと天台宗であったが、中途より真言宗に改宗)なお、五百羅漢石佛は加西市の文化財に指定されている。】 公式HPより

お参りを済ませ、さっそく屋根から下界を見下ろす『鬼』の顔にカメラを向けていたご亭主殿。急にこっちへと手招きされて指さす方向を見上げれば・・・留蓋の上にいるのは波に乗る天女!もしかして播磨風土記に登場する「国造許麻の娘:根日女」かな・・・

Wikiさんによると「北条石仏(五百羅漢、兵庫県指定史跡) - 境内北面に459体が鎮座。制作者は不明だが、酒見寺の伽藍内であり当時の住職・隆辨と寺男・高瀬清右衛門などが関わり制作された。また制作年代も不明だが、慶長年間(1596年 - 1615年)ではないかといわれている。材質は流紋岩。技巧的には高度でないが、一体一体の表情に個性があり、その素朴さを好む人も多い。」

四五九体の羅漢さんを見守る釈迦三尊像。『釈迦如来』を中尊に、脇侍に『普賢菩薩』『文殊菩薩』を配しています。

その昔、「五百羅漢」さんに会いに行けば、自分が会いたいと思う人に必ず会える・・・と、まだ子供だった私に母が何度も話してくれた事・・。大人になって家族を持ち、父を亡くし・・京都愛宕の念仏寺、富山市の長慶寺、島根の大森・・その時々に会いたいと思う人は変わりましたが、物言わぬ石の像に僅かな面影を見つけ、わが身の不信心を棚に上げ、一心に亡くした身内の安らかなる事を願ったものです。

このブログを綴っている今・・母・姉・姪・親友と面影を探したい人の数は増えていきました。無常の定めとは言え・・キーを打つ手がなんども止まり、残された写真の中に無意識のうちに面影を重ね合わせる自分がいます。

お行儀よく並ぶ羅漢さんたち、どのお顔も優しさに満ちてみえるのは、きっとこの時の私がとても満ち足りて幸せだったという証でしょう。このブログを見て下さっている方の会いたい人が、もしもここにおいでになれば、私にとってこんなに嬉しい事はありません。

散り敷く紅の落ち葉の中でひっそりと佇む仏たち。その姿は宗教の枠を超えてみる者の心に優しさと温かさを伝えてくれます。

【北条の 羅漢さんこそ悲しけれ 満月の夜も ひた泣きたもう】阪本勝

加西の医師:児島尚善の母の手紙二百通が納められた「文塚」

「庚申堂」、御本尊は『青面(しょうめん)金剛龍王』

紅葉の中にひっそりと佇む鐘楼

たとえこの先何が有ろうとも、ずっとずっとこうして二人寄り添って生きていけるなら、これ以上の幸せはない・・この日から九年の歳月を経て、今二人の身に起こった様々な事を思うとき、それでも一緒に生きている幸せを心の底から有難いと思うのです。

参拝日:2014年12月5日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県加西市

2023年11月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

加西市(かさいし)は兵庫県の南部、播磨平野のほぼ中央に位置する市です。東は小野市、加東市、西は姫路市、福崎町、南は加古川市、北は西脇市、多可町、市川町に隣接。市の中心部を流れる万願寺川の東側には広大な青野ケ原台地が、西側には鶉野台地が広がり、播磨内陸地域最大の平坦地を形成しています。特に、この一帯は、ため池が数多く点在し、県下でも有数の密集地帯となっています。

加西市豊倉町飯森地区には大型の植物園「兵庫県立フラワーセンター」が有り、丸山総合公園の山頂には、ギネスブックに認定された【直径5m、総重量14t】の世界一大きな地球儀時計などもあります。「市の木:樫」「市の花:サルビア」を制定。

キャッチフレーズは「花、ゆめ、根日女(ねひめ)」

明治22年(1889)、町村制の施行により加西郡九会村・富合村・在田村・西在田村・多加野村・北条町・富田村・賀茂村・下里村が発足。

1955年、九会村・富合村が合併、加西郡加西町が発足。在田村・西在田村・多加野村が合併、加西郡泉町が発足。北条町・富田村・賀茂村・下里村が合併、加西郡北条町が発足。

1967年、加西郡加西町・泉町・北条町が合併し加西市が発足

マンホールには市章を中心に、「市の花:サルビア」がデザインされています。(加西市役所付近に設置)

集排マンホールに描かれているのも「市の花:サルビア」ですが、形が微妙に違っています。

昭和42年5月6日制定の市章は「加西の「力」を二つ組み合わせて円形に図案化し、「西」をかたどった市章で「和と団結」および明るく豊かに躍進する「平和都市」加西を象徴しています。」公式HPより

1989.年11月28日制定のキャラクターマークは「文化・健康・人間といったヒューマニティあふれる総合的文化環境を醸成するため、市の歴史資源、人的資源、花と緑の美しい自然的資源を総合した「花、ゆめ、根日女」のキャッチフレーズに基づいて播磨国風土記による根日女の恋伝説をモチーフに、花のまち、夢のまち、はずむ未来を表現しています。」公式HPより

ふるさと加西観光大使を勤める、加西商工会議所マスコットキャラクター『ねっぴ~』。播磨国風土記に記された悲恋の物語り「根日女(ねひめ)伝説」のヒロインから生まれました。

加西市観光まちづくり協会イメージキャラクター『またべえくん』。大坂五人衆のひとり『後藤又兵衛』の生まれ変わり。加西市には又兵衛の菩提寺や末裔の方が多く存在します。義理人情に厚く槍の達人。またべえくんに槍でつかれると幸せになるとか(⌒∇⌒)

撮影日:2009年5月3日&2014年12月5日&2018年12月14日

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2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「加西市」のマンホールカードは、「平日:加西市生活環境部 上下水道課」「休日:加西市民会館」でいただけます。

1988年に設置開始されたマンホールには「市章」と「市の花:サルビア」がデザインされています。

「市民公募で選ばれたデザイン蓋です。 選考に当たっては、「水を大切に、水を美しく、活力ある加西市のために」をテーマとしました。 下水道を流れる水は浄化の命であるとともに、市の活性の源でもあります。 本デザインは、市の花「サルビア」を四方八方に咲きほこるように描き、その外周に合併以前の北条町、加西町、泉町の団結を意味する三本の線を引くことによって、未来に向けて活躍する市の姿を表現しています。 サルビアは、真紅と緑が美しく調和する花。 その群生はしばしば燃えるような情熱に例えられ、「花と緑につつまれた田園文化都市」を目指して邁進する加西市を象徴しています。」

訪問日:2018年5月1日

 

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小野住吉神社 in 兵庫県小野市垂井町

2023年11月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

小野市垂井町に鎮座される「住吉神社」。御祭神は『表筒之男命、中筒之男命、底筒之男命』

由緒「創建年代は不明。もと河内山田に鎮座していたが、市場村喜多島に奉遷鎮座し、後に現在の地に奉遷。一名「川内大明神」ともいわれる。延喜式神名帳に所載の神社で、元和元年(1615)小笠原忠政の社領を寄せられ、慶安以降徳川将軍代々の社領朱印地として十石を賜り、その後、小野藩主一柳家より氏神として厚く崇敬された。」公式HPより

神門の木鼻に施された獅子と獏の彫刻の見事なこと、惜しむらくは獏に気を取られすぎて獅子が途中で切れた事。しかも獅子のみの画像がない😱

神門からまっすぐに延びた参道の先に〆鳥居があり、その先に拝殿・幣殿・本殿と続きます。

現在の本殿は宝暦年間の再建。続いて神門・拝殿・その他の建物も再建され、その後、幾多の大改修を経て現在に至っています。

匠の技を凝らした見事な社殿彫刻は、どれほど見ても見飽きる事はありません。・・・が、いかんせん、お安いコンデジでは本殿の細部などどうしても上手く捉える事はできません。

その美しい拝殿の前より神域を守護されるのは、可愛い系の浪花型狛犬さん一対。羽団扇のような尾を一杯に開いて、ちょこんと座る姿には何とも言えない愛嬌が感じられます。

そういえばこの神社では「犬幸(けんこう)祈願」と称して、犬の七五三詣や犬のお守りを販売しています。「犬幸=健康」。何時の時代から始まったのか分かりませんが、神事として境内に犬を連れてくることが公認されているという意味では画期的かもしれません。え!?「おいらも祈願してくれっ」ですか?、さぁそれは私に言われても😅

御神木

力強い表情の鬼瓦、どこの屋根においでだったのでしょう?

柔らかな時間が流れる心地よい境内には塵一つなく、地域の方々に大切に守られていることがよくわかります。

参拝日:2010年5月4日

 

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浄土寺・八幡神社 in 兵庫県小野市浄谷町

2023年11月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

小野市浄谷町にある高野山真言宗寺院「極楽山・浄土寺」。新西国三十三箇所客番札所、『薬師如来・阿弥陀如来』を本尊とします。

浄土寺の前身は、現在地より西側約2kmの場所にあった広渡寺で、聖武天皇の頃、行基菩薩によって創建されたと伝えられています。その後、広渡寺は兵火により荒廃しましたが、建久5年(1194)、鎌倉時代の僧で、東大寺の復興に尽力した重源上人によって現在地に移転。寺名を浄土寺へ改め、建久8年(1197)に本堂の薬師堂と浄土堂が大仏様で建立されました。(ここに言う「大仏様」とは鎌倉時代に宋から伝来し東大寺に用いられた建築の様式。天竺様とも言う)

重厚な造りの山門、その屋根の上には羽衣をまとった飛天が、それぞれに横笛・ばちを手にし裳裾を風になびかせています。耳を澄ませば妙なる楽の音が聞こえてくるような‥美しい飾瓦です。

石段参道の先に見えるのは国宝指定の「浄土堂(阿弥陀堂)」。天竺様の建築様式を持つ建物は、他に東大寺の南大門だけといわれており、天竺様の建築様式を持つ堂としては、この「浄土堂」が日本で唯一のものとなります。

何故か画像が行方不明の為、「浄土堂」の画像は義姉からの差し入れですが・・私が写した筈の画像はどこに消えたのでせう(^^;)

重要文化財で浄土寺の本堂である「薬師堂」。もとは浄土堂と同じ大仏様であったとされますが、明応7年(1498)に焼失。その後、永正14年(1517)に再建されました。

宝形造、本瓦葺。和様・唐様・大仏様の折衷形式の「薬師堂」

経蔵

漆喰壁に作られた木鼻の獅子。獅子というよりも幼い子供のような表情。

伽藍の中央正面に鎮座されるのは、浄土寺鎮守の「八幡神社」。社号標の「郷社八幡神社」の文字は、関東軍司令官であった『陸軍大将:本庄繁』によるもの。

「浄土寺縁起」によれば 八幡神社は嘉禎元年(1235)に建てられており、現在の拝殿はその遺構と思われる。幾多の改変の後 桁行七間・梁間三間・寄棟造の割拝殿となっている。ゆるやかな屋根の勾配、繊細な繁垂木、木鼻、蟇股などの意匠から、室町時代に多い和・唐・天竺様の折衷形式の原型ともいえる。」現地駒札より

「本殿は室町時代中期の代表的な檜皮葺・三間社流造である。手挟みの絵様彫刻や蟇股内の花鳥や透彫りなどのその特徴をよく表している。」現地駒札より

八幡神社の「拝殿」「本殿」は、共に国の重要文化財に指定されています。

拝殿前の左右より神域を守護されるのは、何故か切なそうな表情で口元を震わせる狛犬さん一対。〆の子の注連縄と共に掛けられた短い赤の前垂れは、まるで首元の飾りのよう。

境内は池を中心にして、西に重源上人開山当時の建築である「阿弥陀堂」。東方には室町時代の「薬師堂」が並び、この配置は東方浄瑠璃世界の教主である『薬師如来』と西方極楽浄土の教主である『阿弥陀如来』のおわす場所を意味していると言われています。

御詠歌もうずれば この世ながらの 浄土寺(じょうどてら) るり安養(あんにょう)の 極楽のさと】

参拝日:2010年5月4日

 

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