昨日は森田恵子さんの番組に生出演、今朝もまだ激しく落ち込んでいる
昨日は激しく雨が降った。待ち焦がれた、待望の雨。昨日の夜は窓を開けておくと寒いくらいだった。
今日は、頑張って草抜きをしようと思う…。でも、今日はお楽しみもあり、かつ仕事も山積み。ともあれ、畑お野菜たちは大喜び。私も笑顔。
ところで、昨日は、FMおかやま・森田恵子さんのFresh Morning OKAYAMAの番組にら生出演させていただき、「備前おかやま松竹大歌舞伎」等について、お話しさせていただいた。
生出演させていただいた時には、いつも激しく落ち込む。森田恵子さんの言葉を引き出すうまさに支えられて何とか放送が終わった。が、終わってから「あれを言えばよかった」「あれを言わないといけなかった」と反省しきり。逃げ出したい気持ち。今朝もまだ激しく落ち込んでいる。
それでも、お一人で番組を聴いて、「備前おかやま松竹歌舞伎」の先行予約を申し込んでくれたら嬉しい。そのことに、一縷の望みをかけている。
そうそう、私の前のゲストは、ご縁をいただいている童画家の中山忍さん。記念ショットに私も加えていただいた。放送前だし、ステキな美女二人と一緒なのでご機嫌。
『看取りの手引き 介護の心』、誰もが「幸齢者」として過ごしたい
昨日の「読書ルーム」で読んだのは、柴田久美子著『看取りの手引き 介護の心』(佼成出版社刊)。
著者は島根県の人口700人の離島・知夫里島で、NPO法人看取りの家「なごみの里」代表。この本には幸せな看取りが書かれており、高齢者を「幸齢者」を読み替えている。
私自身、人生の最後はともあれ子どもたちに迷惑をかけないで逝きたいという思いが強くある。それ故、「看取り」という言葉には強く反応し、できる限り本を読んだの講演を聞いたりして、学びを深めている。
ただ、この著者の高齢者を「幸齢者」と読み替えるには、いささかの疑義がある。今、政治に見捨てられた高齢者が、暮らしの深刻さと向かい合い、どれほど人生の最後を苦しんでいるかを考える時、とても「幸齢者」と呼ぶ気にはなれない。でも、誰もが「幸齢者」として過ごせるようにと願う。
テレビの放送を見て、以前「郡上おどり」を楽しんだことを思い出した
昨日の夕方のテレビで、「郡上おどり」が放送されていた。踊られていたのは「春駒」。何とも懐かしい。
もうずいぶんと以前になるが、「郡上おどり」を楽しみたいと、郡上八幡に宿を予約した。
「郡上おどり」は徹夜おどりで、まさに酔いしれる。私が取った宿は人気の宿で、宿の横には清流が流れ、夕方になると灯りがともされ、いやが上にも雰囲気は盛り上がる。
友人は浴衣を用意して行ったが、何のことはない宿が貸してくれた。おどり終えると汗グッショリ。湯上がりに、闇夜を照らす灯りと清流の水音を聞きながら、飲んだビール美味しさは格別であった。
そんなことを思い出しながら、テレビでの「郡上おどり」を見続けた。