6/3-4で行ってきた、かつての「リアス・シーライナー」を辿る旅の後編です。
6/4の朝は大船渡からスタート。朝は時間に余裕を持っていたので、BRTの起点となる隣の盛まで戻ってから、気仙沼まで向かいます。
2011年3月の東日本大震災による津波で、気仙沼線と大船渡線、山田線の沿岸部は非常に大きな被害を受けました。このうち、山田線だけは地元自治体がBRTでの復旧を拒否し続け、ついに三陸鉄道移管による復旧にこじつけましたが、気仙沼線と大船渡線の沿岸部はBRTが本復旧扱いとなり、今後鉄路での復旧は見込めなくなりました。
BRTはBus Rappid Transit(バス高速輸送システム)の略です。ブラジルが最初に構築したそうですが、バスを優先した交通システムを構築することで、高速かつ定時性の確保と大量輸送を目的としたシステムです。
日本では鉄道の廃線跡を専用道路転換して開業したと言う例(鹿島鉄道の廃線跡を利用したかしてつバスや、日立電鉄の廃線跡を利用したひたちBRT等)が多く、最初からバスで作ったというのは名古屋のガイドウェイバスくらいでしょうか。
気仙沼線、大船渡線のBRTも鉄道線の線路跡を利用して専用道を構築しており、この構築作業は年々進んでいますが、一方で地元利便性を考慮して一般道で観光・商業拠点を通る部分もあります。
ホテルの客室から見たBRT大船渡駅
BRT大船渡駅。専用道自体はバス1台分の幅でしか無く、バス停(駅)は進行方向に合わせて乗り場が設けられ、2台分の幅が確保さていれる
グッドデザイン賞を受賞したBRT。下の方の運転手募集のところを見ると、大船渡線は岩手県交通、気仙沼線はミヤコーバスが運転士を提供して運行させていることがわかる
一旦盛まで移動する。大船渡線の始点が盛なので、その方がBRTの座席を確実に確保できるので
BRT専用道から見えた津波被害を受けた廃墟
三陸鉄道南リアス線の車庫が見えたら、盛駅
盛駅到着
こちらがJR盛駅
三陸鉄道盛駅。実際には2駅は構内でつながっているし、BRTの乗り場と三陸鉄道のホームは一緒である
三陸鉄道南リアス線の車両。真ん中の36-105以外は新造の36-700形である
こちらは、石灰石輸送を行っている岩手開発鉄道の車両。1992年までは旅客輸送もあったそうだが、その後は大船渡鉱山から産出される石灰石を輸送する貨物専業となっている
BRTに乗って、気仙沼へ向かう
大船渡付近は更地と立て直された建築物、津波被災から撤去中の建築物などまだまだ復興途上である
大船渡魚市場の辺り
やがて海沿いを走ることが多くなり、専用道から一般道へ移る
一般道を走っているところ
更地と建築中の堤防という風景は、三陸鉄道北リアス線の風景と共通する
BRTのバス停(駅)は一般道にも設けられているところがある
陸前高田に近づくと、嵩上げした場所が多くなり、なんだか土に囲まれているような感じになります
更地の多い中に明らかに最近整備されたというところへ
今年4月27日に開業した商業施設「アバッセたかた」でした
BRTのバス停(駅)としては最も大きめに作られている陸前高田駅
一部に新しい建物が増えてきた物の、大半は更地です
バス車内から望遠で捉えた奇跡の一本松。7万本の松があったという高田松原が津波で流された中、唯一残った一本松。ただ、海水による根腐れで結局一旦伐採され、モニュメント的に復元されました
一本松の後にもありましたが、津浪による廃墟はまだまだ残っています
もうちょっと天気が良ければよかったのですが、大船渡線BRT乗車中は雨のところが多かった
そしてまた専用道へ
もう少しで気仙沼です。最初に大船渡線BRTに乗った時は、専用道区間はほとんど無かった(当初は1.9kmのみ)のですけど、現在は3割くらいは専用道になったと思います。なお、時刻表の路線図では1路線のように見えますが、大船渡線BRTは道路の都合や人口分布の都合上、元々の鉄道線に沿って走っていない部分が多く、運行系統も3路線(気仙沼ー盛、気仙沼ー上鹿折、陸前矢作ー盛)に別れています
気仙沼駅に到着後、しばらく待ち時間の後に気仙沼線BRTへ乗り換えます。
大船渡線が元々一ノ関ー気仙沼の山間部区間と、気仙沼ー盛の沿岸部区間に別れていて、山間部区間はそのまま鉄道営業しているのに対して、気仙沼線は大半が沿岸部なため、鉄道として運行しているのは前谷地ー柳津の19.2kmのみ。柳津ー気仙沼の60.8kmはBRTで、実際には前谷地発着のBRTも設定されていて(ただしBRTは前谷地ー柳津の中間駅は全て通過)、実質的に全線BRTとなっています。
気仙沼線BRTの観光型「旅」BRT車両
気仙沼駅改札の発車案内
気仙沼駅にあるピカチュウの像
気仙沼駅にあったツバメの巣。もうけっこう雛が育ってますね
気仙沼駅時刻表。2路線3方向なのだが、2方向はBRTである(気仙沼ー上鹿折はミヤコーバスの一般路線が代行するため、この時刻表に入っていない)
乗車するバスはさきほどの観光型「旅」BRT車両でした
車内は後方がロングシート的になっていて、前方がクロスシート的になっている。なお、ロング部分はなぜか曲線設置されていて、窓に隣接していない
BRT専用道をある程度走ると、一時的に一般道に出る。その際に線路跡の築堤が見られる場所も
大船渡線BRTに比べると、気仙沼線BRTは駅の跡が残っている場所も多く、ほぼ線路跡に沿って走っている。写真は陸前階上駅
本吉駅は線路が無くなった以外ほとんど残っていて、ここから気仙沼側はBRT専用道だが、ここからほとんど一般道となる
気仙沼線の線路跡の橋梁。橋の真ん中が無くなっている
一方で新しい橋が作られようとしているところも。BRT専用道を新しく作るのだろう
海際の景色が良い一般道走行区間。しかし、陸上はまだまだ更地が多い
志津川を過ぎてまた専用道を走るが、初期に整備した区間のためか一般道より凸凹酷くて乗り心地が悪かった
柳津駅に到着。BRTは前谷地行きだが、ここで下車する
柳津駅では30分少々待って、小牛田行きの列車に乗り換えます。
一応、BRTで前谷地まで行って、石巻線列車に乗り換えた方が時間は早いんですけど、そこまで急いでもいないので。
ついでに言うと、BRTが中間駅に止まらないと言っても、前谷地ー柳津は列車の方がさすがに速いです。
柳津駅
こちらは一般のミヤコーバス
気仙沼線/石巻線直通のキハ110形がやってきました
水田風景を見ながら、小牛田へ
小牛田に到着すると、石巻線への貨物列車が待機していました
小牛田駅の石巻線/東北本線ホームにあったKIOSKが閉店していました・・・小牛田に来る度に利用していただけに残念
小牛田から仙台までは廃車の進む719系電車でした
集団見合い式の珍しいセミクロスシート
小牛田は気動車の運転所が有り、そこには各地へ出張しているキハ48形ビューコースター風っこの姿も
小牛田からは東北本線を進んで仙台へ。
仙台に到着して、これで八戸から乗り継いできた、かつてのリアス・シーライナーを辿る旅は終了しました。
2015年以降、毎年どこかの区間を乗ってきたのですけど、今回はそれを通しで乗ることで、山田線沿岸部復旧前の現在の状態を再認識してきました。
山田線沿岸部が三陸鉄道として復旧したら、またこの区間を訪れてみたいと思います。
おまけ
仙台からの帰りの新幹線の1本前の「はやぶさ」がH5系でした。そういや、H5系を間近で見たのは初めてでした
H5系の「はやぶさ」
乗車したのはE5系「はやぶさ」でした
6/4の朝は大船渡からスタート。朝は時間に余裕を持っていたので、BRTの起点となる隣の盛まで戻ってから、気仙沼まで向かいます。
2011年3月の東日本大震災による津波で、気仙沼線と大船渡線、山田線の沿岸部は非常に大きな被害を受けました。このうち、山田線だけは地元自治体がBRTでの復旧を拒否し続け、ついに三陸鉄道移管による復旧にこじつけましたが、気仙沼線と大船渡線の沿岸部はBRTが本復旧扱いとなり、今後鉄路での復旧は見込めなくなりました。
BRTはBus Rappid Transit(バス高速輸送システム)の略です。ブラジルが最初に構築したそうですが、バスを優先した交通システムを構築することで、高速かつ定時性の確保と大量輸送を目的としたシステムです。
日本では鉄道の廃線跡を専用道路転換して開業したと言う例(鹿島鉄道の廃線跡を利用したかしてつバスや、日立電鉄の廃線跡を利用したひたちBRT等)が多く、最初からバスで作ったというのは名古屋のガイドウェイバスくらいでしょうか。
気仙沼線、大船渡線のBRTも鉄道線の線路跡を利用して専用道を構築しており、この構築作業は年々進んでいますが、一方で地元利便性を考慮して一般道で観光・商業拠点を通る部分もあります。
ホテルの客室から見たBRT大船渡駅
BRT大船渡駅。専用道自体はバス1台分の幅でしか無く、バス停(駅)は進行方向に合わせて乗り場が設けられ、2台分の幅が確保さていれる
グッドデザイン賞を受賞したBRT。下の方の運転手募集のところを見ると、大船渡線は岩手県交通、気仙沼線はミヤコーバスが運転士を提供して運行させていることがわかる
一旦盛まで移動する。大船渡線の始点が盛なので、その方がBRTの座席を確実に確保できるので
BRT専用道から見えた津波被害を受けた廃墟
三陸鉄道南リアス線の車庫が見えたら、盛駅
盛駅到着
こちらがJR盛駅
三陸鉄道盛駅。実際には2駅は構内でつながっているし、BRTの乗り場と三陸鉄道のホームは一緒である
三陸鉄道南リアス線の車両。真ん中の36-105以外は新造の36-700形である
こちらは、石灰石輸送を行っている岩手開発鉄道の車両。1992年までは旅客輸送もあったそうだが、その後は大船渡鉱山から産出される石灰石を輸送する貨物専業となっている
BRTに乗って、気仙沼へ向かう
大船渡付近は更地と立て直された建築物、津波被災から撤去中の建築物などまだまだ復興途上である
大船渡魚市場の辺り
やがて海沿いを走ることが多くなり、専用道から一般道へ移る
一般道を走っているところ
更地と建築中の堤防という風景は、三陸鉄道北リアス線の風景と共通する
BRTのバス停(駅)は一般道にも設けられているところがある
陸前高田に近づくと、嵩上げした場所が多くなり、なんだか土に囲まれているような感じになります
更地の多い中に明らかに最近整備されたというところへ
今年4月27日に開業した商業施設「アバッセたかた」でした
BRTのバス停(駅)としては最も大きめに作られている陸前高田駅
一部に新しい建物が増えてきた物の、大半は更地です
バス車内から望遠で捉えた奇跡の一本松。7万本の松があったという高田松原が津波で流された中、唯一残った一本松。ただ、海水による根腐れで結局一旦伐採され、モニュメント的に復元されました
一本松の後にもありましたが、津浪による廃墟はまだまだ残っています
もうちょっと天気が良ければよかったのですが、大船渡線BRT乗車中は雨のところが多かった
そしてまた専用道へ
もう少しで気仙沼です。最初に大船渡線BRTに乗った時は、専用道区間はほとんど無かった(当初は1.9kmのみ)のですけど、現在は3割くらいは専用道になったと思います。なお、時刻表の路線図では1路線のように見えますが、大船渡線BRTは道路の都合や人口分布の都合上、元々の鉄道線に沿って走っていない部分が多く、運行系統も3路線(気仙沼ー盛、気仙沼ー上鹿折、陸前矢作ー盛)に別れています
気仙沼駅に到着後、しばらく待ち時間の後に気仙沼線BRTへ乗り換えます。
大船渡線が元々一ノ関ー気仙沼の山間部区間と、気仙沼ー盛の沿岸部区間に別れていて、山間部区間はそのまま鉄道営業しているのに対して、気仙沼線は大半が沿岸部なため、鉄道として運行しているのは前谷地ー柳津の19.2kmのみ。柳津ー気仙沼の60.8kmはBRTで、実際には前谷地発着のBRTも設定されていて(ただしBRTは前谷地ー柳津の中間駅は全て通過)、実質的に全線BRTとなっています。
気仙沼線BRTの観光型「旅」BRT車両
気仙沼駅改札の発車案内
気仙沼駅にあるピカチュウの像
気仙沼駅にあったツバメの巣。もうけっこう雛が育ってますね
気仙沼駅時刻表。2路線3方向なのだが、2方向はBRTである(気仙沼ー上鹿折はミヤコーバスの一般路線が代行するため、この時刻表に入っていない)
乗車するバスはさきほどの観光型「旅」BRT車両でした
車内は後方がロングシート的になっていて、前方がクロスシート的になっている。なお、ロング部分はなぜか曲線設置されていて、窓に隣接していない
BRT専用道をある程度走ると、一時的に一般道に出る。その際に線路跡の築堤が見られる場所も
大船渡線BRTに比べると、気仙沼線BRTは駅の跡が残っている場所も多く、ほぼ線路跡に沿って走っている。写真は陸前階上駅
本吉駅は線路が無くなった以外ほとんど残っていて、ここから気仙沼側はBRT専用道だが、ここからほとんど一般道となる
気仙沼線の線路跡の橋梁。橋の真ん中が無くなっている
一方で新しい橋が作られようとしているところも。BRT専用道を新しく作るのだろう
海際の景色が良い一般道走行区間。しかし、陸上はまだまだ更地が多い
志津川を過ぎてまた専用道を走るが、初期に整備した区間のためか一般道より凸凹酷くて乗り心地が悪かった
柳津駅に到着。BRTは前谷地行きだが、ここで下車する
柳津駅では30分少々待って、小牛田行きの列車に乗り換えます。
一応、BRTで前谷地まで行って、石巻線列車に乗り換えた方が時間は早いんですけど、そこまで急いでもいないので。
ついでに言うと、BRTが中間駅に止まらないと言っても、前谷地ー柳津は列車の方がさすがに速いです。
柳津駅
こちらは一般のミヤコーバス
気仙沼線/石巻線直通のキハ110形がやってきました
水田風景を見ながら、小牛田へ
小牛田に到着すると、石巻線への貨物列車が待機していました
小牛田駅の石巻線/東北本線ホームにあったKIOSKが閉店していました・・・小牛田に来る度に利用していただけに残念
小牛田から仙台までは廃車の進む719系電車でした
集団見合い式の珍しいセミクロスシート
小牛田は気動車の運転所が有り、そこには各地へ出張しているキハ48形ビューコースター風っこの姿も
小牛田からは東北本線を進んで仙台へ。
仙台に到着して、これで八戸から乗り継いできた、かつてのリアス・シーライナーを辿る旅は終了しました。
2015年以降、毎年どこかの区間を乗ってきたのですけど、今回はそれを通しで乗ることで、山田線沿岸部復旧前の現在の状態を再認識してきました。
山田線沿岸部が三陸鉄道として復旧したら、またこの区間を訪れてみたいと思います。
おまけ
仙台からの帰りの新幹線の1本前の「はやぶさ」がH5系でした。そういや、H5系を間近で見たのは初めてでした
H5系の「はやぶさ」
乗車したのはE5系「はやぶさ」でした