2/4-5で行ってきた旅行シリーズの最終回です。
2/5の朝に直江津から485系3000番台糸魚川快速で新潟にたどり着き、新潟からはE2系「とき」に乗って大宮まで戻ってきました。
いつもなら、ここで副部長親子と別れて帰るだけなのですけど、今回の第2目的地は烏山線。宇都宮までは新幹線を使わず、東北本線(宇都宮線)の在来線で向かいました。
宇都宮でしばらく待ってから、烏山線キハ40形1000番台に乗ります。
大宮駅にて。検査中で中間車だけの251系が見える
E231系に乗って宇都宮に到着
宇都宮駅の側線には、宇都宮ー黒磯の区間運用および日光線用の205系の姿が見えた
コンコースの乗り換え案内に烏山線の2ドアの文字。EV-E301系は3扉、205系、E231系、E233系は4扉。2扉は当然キハ40形のことである
ホームに戻るとキハ40 1001が日光線用ホームに入っていた。回送のためだったようだ
湘南色の205系。先頭車はJR化後に京葉線、武蔵野線向けに製造されたタイプである
側線には国鉄一般色と烏山線色のキハ40形1000番台がいた
到着したE231系と一緒に
さあ、乗車するキハ40形1000番台がやってくる
停止目標の「気」は気動車のこと
国鉄一般色のキハ40 1007を先頭に入線
烏山側は国鉄首都圏色のキハ40 1005。やっぱ、キハ40系は国鉄首都圏色でしょう
時間があったので、ホームを移動して撮影
発車前にもう少し撮影
キハ40 1005の車内
列車は順調に烏山に到着。
まだダイヤ改正まで1ヶ月あったことからか、我々以外の葬式鉄の姿はあまりなく、ゆったりと乗車できました。
烏山到着
ここから先はレールが無い。レールの先にあるのはACCUM用架線の変電所
ACCUMが使う剛体架線
烏山駅駅名標
時間があるので改札を出たが、雨なので駅前からは動かなかった
駅の向かいにある蕎麦屋
烏山駅駅舎
さて、乗ってきたキハ40形でそのまま戻ります
トイレを撤去した跡の小窓が残る
キハ40形運転台
元々は非冷房車だが、客室内の網棚の一部を潰して冷房装置を取り付けている。同様の改造は他地区のキハ40系でも見られる
車内には扇風機も残るが、JRマークになっていた
ロングシートの座席下には暖房装置
床を見ると、くぼみが見られる。元々キハ40形はクロスシートであり、クロスシートを撤去してロングシート化したのがキハ40形1000番台なので、このようにクロスシート撤去痕が残るのである
大金駅で行き違いのための停車
宇都宮からの列車は国鉄首都圏色と烏山線色の列車だった
宇都宮に戻る
この後は、東北本線(宇都宮線)で大宮へ戻り、副部長親子と別れて帰りました。
今年でJR化後30年。国鉄末期に作った車両でも、30、40年の車齢を数えるようになり、引退する車両が増えてきました。
JR化後の車両の方が乗り心地の良い車両が多いわけですが、旅をしているという味わいがどうも薄い感じがします。
2段窓にうるさいモーター音やエンジン音。それを懐かしむ時代は目の前に迫ってきています。
(おまけ)
昨日の記事書いた後に気が付いたのですが、いつ頃のカウントスタートかが良くわからないブログのカウンターが、通算100万IPを越えていました。一応ブログのスタートは2005年3月なんですが、最初の頃の記事は消しています。
新規記事公開には、いつも40〜50PVくらい見て頂いているので、ある程度見て頂けているんだなと思っています。
相変わらずPVベースでは8割くらいがロボット(GoogleとかBingとかの)で、閲覧の多い記事は2012年に書いた国鉄現役車の一連の記事(これも現在とはだいぶ状況が変わっていますが)だったりしますが。
毎度当ブログを見て頂き、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
2/5の朝に直江津から485系3000番台糸魚川快速で新潟にたどり着き、新潟からはE2系「とき」に乗って大宮まで戻ってきました。
いつもなら、ここで副部長親子と別れて帰るだけなのですけど、今回の第2目的地は烏山線。宇都宮までは新幹線を使わず、東北本線(宇都宮線)の在来線で向かいました。
宇都宮でしばらく待ってから、烏山線キハ40形1000番台に乗ります。
大宮駅にて。検査中で中間車だけの251系が見える
E231系に乗って宇都宮に到着
宇都宮駅の側線には、宇都宮ー黒磯の区間運用および日光線用の205系の姿が見えた
コンコースの乗り換え案内に烏山線の2ドアの文字。EV-E301系は3扉、205系、E231系、E233系は4扉。2扉は当然キハ40形のことである
ホームに戻るとキハ40 1001が日光線用ホームに入っていた。回送のためだったようだ
湘南色の205系。先頭車はJR化後に京葉線、武蔵野線向けに製造されたタイプである
側線には国鉄一般色と烏山線色のキハ40形1000番台がいた
到着したE231系と一緒に
さあ、乗車するキハ40形1000番台がやってくる
停止目標の「気」は気動車のこと
国鉄一般色のキハ40 1007を先頭に入線
烏山側は国鉄首都圏色のキハ40 1005。やっぱ、キハ40系は国鉄首都圏色でしょう
時間があったので、ホームを移動して撮影
発車前にもう少し撮影
キハ40 1005の車内
列車は順調に烏山に到着。
まだダイヤ改正まで1ヶ月あったことからか、我々以外の葬式鉄の姿はあまりなく、ゆったりと乗車できました。
烏山到着
ここから先はレールが無い。レールの先にあるのはACCUM用架線の変電所
ACCUMが使う剛体架線
烏山駅駅名標
時間があるので改札を出たが、雨なので駅前からは動かなかった
駅の向かいにある蕎麦屋
烏山駅駅舎
さて、乗ってきたキハ40形でそのまま戻ります
トイレを撤去した跡の小窓が残る
キハ40形運転台
元々は非冷房車だが、客室内の網棚の一部を潰して冷房装置を取り付けている。同様の改造は他地区のキハ40系でも見られる
車内には扇風機も残るが、JRマークになっていた
ロングシートの座席下には暖房装置
床を見ると、くぼみが見られる。元々キハ40形はクロスシートであり、クロスシートを撤去してロングシート化したのがキハ40形1000番台なので、このようにクロスシート撤去痕が残るのである
大金駅で行き違いのための停車
宇都宮からの列車は国鉄首都圏色と烏山線色の列車だった
宇都宮に戻る
この後は、東北本線(宇都宮線)で大宮へ戻り、副部長親子と別れて帰りました。
今年でJR化後30年。国鉄末期に作った車両でも、30、40年の車齢を数えるようになり、引退する車両が増えてきました。
JR化後の車両の方が乗り心地の良い車両が多いわけですが、旅をしているという味わいがどうも薄い感じがします。
2段窓にうるさいモーター音やエンジン音。それを懐かしむ時代は目の前に迫ってきています。
(おまけ)
昨日の記事書いた後に気が付いたのですが、いつ頃のカウントスタートかが良くわからないブログのカウンターが、通算100万IPを越えていました。一応ブログのスタートは2005年3月なんですが、最初の頃の記事は消しています。
新規記事公開には、いつも40〜50PVくらい見て頂いているので、ある程度見て頂けているんだなと思っています。
相変わらずPVベースでは8割くらいがロボット(GoogleとかBingとかの)で、閲覧の多い記事は2012年に書いた国鉄現役車の一連の記事(これも現在とはだいぶ状況が変わっていますが)だったりしますが。
毎度当ブログを見て頂き、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。