3/23-24で行ってきた三陸鉄道リアス線目的の旅行の後編です。
3/24の朝に大船渡を出て、盛から久慈行きの三陸鉄道リアス線列車に乗りました。ちなみに、一般乗車可能な貫通列車(久慈行)としては最初の列車でした。
盛から釜石まではこれまでも開通していた三陸鉄道南リアス線区間でしたが、釜石から宮古までは今回開通した元山田線区間となります。
東日本大震災で不通となって8年ぶりの開通。最後に乗車したのは2005年5月だったので、この区間を列車で通るのは14年ぶりとなりました。
盛出発時は空席もありましたが、釜石から乗り込んだ人で車内は一杯になりました。
釜石駅にある転車台。SL銀河用のものです
釜石の市街地を過ぎるとまだ整備中の姿が多くなります
港が見えました
両石駅にあった大漁旗
鵜住居駅ではこの列車乗車中で最大の地元からの歓迎が。この駅はラグビーワールドカップの会場になっている、釜石鵜住居復興スタジアムの最寄り駅です
新しく立てられている平屋建ての住宅群
海沿いを走りますが、やはり堤防建築中のところもまだ多いです。人の姿は少なく、更地が多く見えます
珍しい駅名の吉里吉里。同じ2文字を繰り返す駅は全国的にも珍しいのです
駅でお見送りの方がいることもありますが、やはり人影は少ないです
団臨の36-100形と行き違いになりました
鯨と海の科学館。1992年に開業したものだそうです。震災で長期休業でしたが、2年前に再開したのだとか
やはりまだまだ、更地だけが広がっています。はたして、これらの土地が使われるのかどうか
織笠駅ではたくさんの大漁旗が吊されていました
陸中山田駅。この駅はかなりしっかりした作りになっていました
建設中の民家。しかし周りは更地ばかり。たまに家を見てもこんな風景が続きます
時には山の中も走ります
津軽石駅でレトロ車両と行き違いに
もうすぐ宮古です
宮古駅に到着。列車は久慈へ向かいますが、私はここで下車しました
宮古駅の駅名標
山田線の盛岡方面からの列車がやってきました
宮古駅。これまではJR東日本の管轄でしたが、三陸鉄道管轄になりました。旧三陸鉄道宮古駅舎は使用されなくなっています
旧三陸鉄道宮古駅舎前でイベントがあるようだったので覗いてみました
ミニSLが動いていました
新・鉄子の旅のメンバーによるトークショーが行われていました。SUPER BELL"Zの野月氏もいました
ここまで三陸鉄道リアス線に乗ってきましたが、時間の都合でここからは106急行バスと新幹線で帰ることに。
山田線も乗りたかったんですけどね。
岩手県北交通の106急行バス
運行中、盛岡市内以外はおおむね山田線の線路に沿って走ります
盛岡駅に到着
乗車する「やまびこ」は、E5系が東京からの折り返しで、E6系をここで増結するため、連結器を開きました
E6系を連結
ステップが出て、乗車します
E6系の「やまびこ」に乗って帰りました
震災で大きな被害を受け、8年ぶりに復旧した旧山田線の釜石〜宮古。
ようやっと鉄道で通ることが出来るようになりました。
今回は時間の都合で北リアス線へ行けませんでしたが、八戸線もキハ40系時代しか乗っていないので、またいずれ訪問したいと思います。
3/24の朝に大船渡を出て、盛から久慈行きの三陸鉄道リアス線列車に乗りました。ちなみに、一般乗車可能な貫通列車(久慈行)としては最初の列車でした。
盛から釜石まではこれまでも開通していた三陸鉄道南リアス線区間でしたが、釜石から宮古までは今回開通した元山田線区間となります。
東日本大震災で不通となって8年ぶりの開通。最後に乗車したのは2005年5月だったので、この区間を列車で通るのは14年ぶりとなりました。
盛出発時は空席もありましたが、釜石から乗り込んだ人で車内は一杯になりました。
釜石駅にある転車台。SL銀河用のものです
釜石の市街地を過ぎるとまだ整備中の姿が多くなります
港が見えました
両石駅にあった大漁旗
鵜住居駅ではこの列車乗車中で最大の地元からの歓迎が。この駅はラグビーワールドカップの会場になっている、釜石鵜住居復興スタジアムの最寄り駅です
新しく立てられている平屋建ての住宅群
海沿いを走りますが、やはり堤防建築中のところもまだ多いです。人の姿は少なく、更地が多く見えます
珍しい駅名の吉里吉里。同じ2文字を繰り返す駅は全国的にも珍しいのです
駅でお見送りの方がいることもありますが、やはり人影は少ないです
団臨の36-100形と行き違いになりました
鯨と海の科学館。1992年に開業したものだそうです。震災で長期休業でしたが、2年前に再開したのだとか
やはりまだまだ、更地だけが広がっています。はたして、これらの土地が使われるのかどうか
織笠駅ではたくさんの大漁旗が吊されていました
陸中山田駅。この駅はかなりしっかりした作りになっていました
建設中の民家。しかし周りは更地ばかり。たまに家を見てもこんな風景が続きます
時には山の中も走ります
津軽石駅でレトロ車両と行き違いに
もうすぐ宮古です
宮古駅に到着。列車は久慈へ向かいますが、私はここで下車しました
宮古駅の駅名標
山田線の盛岡方面からの列車がやってきました
宮古駅。これまではJR東日本の管轄でしたが、三陸鉄道管轄になりました。旧三陸鉄道宮古駅舎は使用されなくなっています
旧三陸鉄道宮古駅舎前でイベントがあるようだったので覗いてみました
ミニSLが動いていました
新・鉄子の旅のメンバーによるトークショーが行われていました。SUPER BELL"Zの野月氏もいました
ここまで三陸鉄道リアス線に乗ってきましたが、時間の都合でここからは106急行バスと新幹線で帰ることに。
山田線も乗りたかったんですけどね。
岩手県北交通の106急行バス
運行中、盛岡市内以外はおおむね山田線の線路に沿って走ります
盛岡駅に到着
乗車する「やまびこ」は、E5系が東京からの折り返しで、E6系をここで増結するため、連結器を開きました
E6系を連結
ステップが出て、乗車します
E6系の「やまびこ」に乗って帰りました
震災で大きな被害を受け、8年ぶりに復旧した旧山田線の釜石〜宮古。
ようやっと鉄道で通ることが出来るようになりました。
今回は時間の都合で北リアス線へ行けませんでしたが、八戸線もキハ40系時代しか乗っていないので、またいずれ訪問したいと思います。
旅の様子を拝見させて頂きました。
津波の被害の大きかった地域では、まだまだ復興は道半ば、この先何年かかるのだろうと思ってしまいます。報道にも乗ることが少なくなっている中、やはり現地を見て、感じ取ることは大切だと感じました。
宮城県が早々に鉄道での復旧を諦め、柳津から盛の区間がBRTで固定化しているのに対し、岩手県では三陸鉄道での鉄路復旧、対照的な動きになりました。鉄道ならではの魅力と共に、どうかこの先、広域の列車を走らせて、広く集客に役立ててほしいものです。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
宮城県と違い、岩手県は受け皿になる三陸鉄道があったことが大きいですね。宮城県はくりはら田園鉄道での失敗体験が大きく、新たな負担を持ちたくなかったというところでしょう。
また、岩手県と宮城県の基本方針も大きく違うからでしょうね。人が少ない割に面積の広い岩手県は、県が主導で箱物を整える傾向が強く、鉄道インフラもその傾向です。宮城県は市町村に任せる方向に有り、インフラの維持に県は積極的ではありません。
例えば岩手県は26もの県立病院がありますが、宮城県はわずかに2つです。他は地域の私立病院、市町村立病院になっています。人口は宮城県の方が100万人以上多いのですが。
こういった県の方針が、妙案を分けたなと思っています。