みやしたの気まぐれblog

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春の田切駅掃除旅行 その2

2010-03-29 22:14:09 | 旅行その他
大糸線の撮影後、松本まで南下してきました。
ここで、どこに行くかを相談したところ、K谷さんの提案で松本城へ。私自身は6年前に1度外から見てはいますが、中には確か入っていなかったような。そういうわけで松本城の中を見学することになりました。

松本城は戦国時代に造られた深志城が始まりで、信濃の守護小笠原氏が林城という城を構えていたところの、前面を固める城として作られた物の、甲斐の武田晴信(後の信玄)の侵攻にあって武田氏の城となり、本能寺の変の動乱に乗じて小笠原氏が再度深志城を得て、名を松本城と改めました。
その後、徳川家康が関東へ移されると、小笠原氏はそれに従って下総へ。替わって石川数正が入場し、その子康長の代に天守閣が造られました。現在の国宝、松本城はこの石川氏の代に作られた物が、改築と修復を重ねて四百年以上にわたって残ってきた物です。ちなみに、その四百年に間に石川氏から小笠原氏、戸田氏、松平氏(松平直政)、堀田氏、水野氏、再度の戸田氏と六家二十三代の藩主が誕生しています。


朱色の橋と松本城

加藤清正が当時の城主(だれだかメモするの忘れた)から貰った馬2頭をつないだという桜。松本はまだ寒く、桜は咲いてない

乾小天守の城内。松本城は不思議と撮影禁止の看板が全くない。このため、どの観光客も喜び勇んで撮影している

展示物も多い。こちらは過去の修理で取り外されたシャチホコの1つ

松本城はとにかく火縄銃の展示が充実している

こちらは短銃

鉄砲頭用?の具足

鉄砲用の鉛玉。K谷さん曰くえげつない。そりゃ戦に人道とか無い時代だもんねえ・・・

長篠の戦いの合戦図

船艦砲。日本では大砲はあまり発展しなかった。これは中世期のガレー船に積まれていたものだとか

天守の最上階よりの風景

天守閣の最上階。外観では五層の松本城だが、実際には最上階は六階である。このため三階は窓がない

どこの階でも非常に階段が急。これは五階と六階の間の階段だが、最も急な階段は四階と五階の間のもので、小学生以下の子供や老人にはかなり辛い

最上階の天井にあった守護神二十六夜社勧請。松本城を守護してきた二十六夜神を祭っているが、後でどういう神様なのか調べても良くわからなかった・・・

御座所

松平氏の代に、将軍家光を迎えるために増築された月見櫓

本丸御殿跡

大手口から乾小天守、大天守、月見櫓と回って外に出ました。行きは太鼓門から入ったので、帰りは黒門から出たところ、ちょうど目の前に松本市立博物館が。松本城の入場券でこちらにも入れるので、せっかくですから見学してきました。地下は土器などの縄文、弥生時代などのもの。1階は主に江戸期から昭和までのもの。2階は特別展で雛まつり展示でした。

松本市立博物館

戸田氏の代の采配。「采配をとる」とは本来これを持って軍を指揮することである

戸田氏の陣羽織と甲冑

弓矢と刀

籠。保存されているのは案外珍しいのでは

鉄砲で穴の空いた鉄砲兵用の甲冑

大八車

大正期の蒸気ポンプ車。この間、ヤマサ醤油工場で見た物と似ている

懐かしき昭和レトロのものなど

2階に展示されていたひな人形。松本には「押絵びな」というひな人形があるが、こちらは普通のもの

市立博物館も小規模ながらなかなか展示物が多彩で面白かったですね。この後は城の裏の駐車場へ戻り、車に乗って伊那市の「みはらしファーム」に立ち寄った後、宿泊先の駒ヶ根市内のペンションへ向かいました。

まだ梅も咲きそろっていない、松本城

伊那市のみはらしファーム

次回は田切駅の大掃除で最終回です。
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