7/15に行ってきた常磐線沿線への日帰り旅行シリーズ。2回目の記事は福島臨海鉄道です。
昨日の朝早くから、上野で「スーパーひたち」に乗車し、泉駅で下車した後、駅前にいたタクシーに乗車して福島臨海鉄道の宮下駅まで行って貰うようお願いしました。
私のハンドルネームになっている「みやした」はそのまま名字の「宮下」です。今時実名を使っている人も珍しいんでしょうけど、15年前くらいにインターネット始めた頃は、まだ実名利用が多かったですからね。どのみち、今のネットの人達の調査力はすさまじいので、ちょっと調べればすぐ実名も、住所もさらされてしまうでしょうから、ネットの匿名性というのはあってないような物だと思ってます。
さて、話を戻しまして、宮下駅です。普通の時刻表を見ても、「宮下」と名の付く駅は福島県にある只見線の「会津宮下駅」くらいしかありません。なので、私もずーっと、宮下駅なんて無いんだろうと思っていたのですけど、ネットで何気なく検索してみたら・・・・・あった。貨物時刻表を手に入れて確認すると、ちゃんとあるわけですよ。同じ福島県の福島臨海鉄道という貨物専用の路線に。しかも貨物撮影の人には有名な「安中貨物」と呼ばれる鉱石輸送列車の始点だったんです。
と言うことで、この駅の存在を知ってから、いつかは行こうと思っていた物の、なかなか行く機会もなかったので、今回思い立って行ってきたわけです。
宮下駅は泉駅から3kmあまり離れた場所にあり、日本化成の工場の前にあります。昭和47(1972)年までは福島臨海鉄道は旅客営業も行っていたそうで、貨物駅にもかかわらず、現在も駅舎が存在します。東邦亜鉛の鉱石輸送貨物は当駅発着になっているので、昨日はその宮下駅発の時間(10:34発)に合わせて駅に行ったのですけど、その姿を見ることは出来ませんでした。どうも家に帰ってから構内配線図を確認したら、宮下駅の駅舎近くまではいること無く、駅の北側の構内から発着できるようになっていたので、事前の調査不足だったようです。その代わり、駅に停車していた貨車の写真はたくさん撮りました。
福島臨海鉄道宮下駅。ロープが張られていて、構内への立ち入りは関係者以外禁止されている
かつては旅客営業を行っていたというだけあって、ちゃんと駅名標も掲載されている。40年前に旅客廃止した割りにはきれいなので、現在も事務所として使っているのではないかと思われる
駅の所に馬頭観音の碑?らしきものが
駅から泉寄りの場所はトラックの駐車場になっている。このトラックも福島臨海鉄道のもの
亜鉛輸送用の貨車が見える
現在では旧式となっているタキ15600形貨車。台車が板バネで旧型客車を思い起こさせる形状
こちらは一昨年から昨年にかけて登場したタキ1200形。
駅の小名浜寄りの敷地は立ち入り禁止とは書いておらず(地元の犬の散歩している人も入っていたし)、敷地に入れた
タキ1200形は20両製造されているが、そのうち7両が留置されていた
こちらは無蓋貨車のトキ25000形。JR貨物化後に製造されたのだそうで、国鉄時代の物と仕様が異なるのだとか
こんな形でおかれていました
タキ1200形の6両。他に1両だけ少し離れて留置されていた
タキ1200形は製造が新しいだけあって、他の貨車よりもきれいな姿をしています
これは現在は使われていないであろうと思われる貨車たち
タ2000形10トン積みアルコール専用車。鉄道ホビダスの記事によると個人が所有しているようだが・・・
型式番号が良くわからない無蓋貨車
ホキ3500形30トン積セメント専用有蓋ホッパ車
倉庫になっているらしい、元有蓋車
駅近くの踏切
名称も宮下踏切である
踏切から駅構内を撮影
角度を変えてもう1枚
ポイント切り替え機が旧式なので、ふと上を見上げると・・・
そこには現役の腕木式信号機が!現役ですよ、現役
そしてさらに踏切から泉側を見ると、2段式の腕木式信号機。今時なかなか見られる物ではありません
宮下駅を見た後は、どうせ近くだし、せっかくだから小名浜駅まで行こうと、道を歩いて小名浜駅へ向かいました。距離にして1.5km程ですので、たいした距離じゃありませんし、ちょうど日も陰ってきたので。ほぼ線路に沿って歩いて行くと、小名浜駅へ到着しました。小名浜駅は、東日本大震災で津波被害を受けた区域であり、Wikipediaの記事にある駅舎はすでに無くなっていました(砂利が敷かれて整備されていました)。一応、昼過ぎにコンテナ貨物の運用があったはずで、コンテナの整理作業をされていました。
小名浜駅に向かう途中の踏切
これもまた別の踏切
踏切上から、宮下駅方向の線路を見る
小名浜駅近くの踏切。妙に車が多くて混んでいたが、この理由は後で分かった(それはまた次回)
踏切から見た小名浜駅構内。コンテナ取扱駅
車庫には福島臨海鉄道のDD55形ディーゼル機関車の姿が
駅構内は側面から撮影可能。撮影位置は、かつて小名浜駅の駅舎があった場所。Googleのストリートビューでは昨年10月の駅舎解体前の姿も見られる
駅舎があった場所は整備されて、小さな建物が1つあるのみ
福島臨海鉄道本社。ここもストリートビューで見る姿よりきれいに整備されていた
多分、古い機関車の台車だと思うのだが、本社前に保存されていた
ここが現在のレールの終点である
福島臨海鉄道の撮影はこれで一応終了。そろそろ11:00を過ぎて、お腹も減ってきたし、ずっと歩いてトイレも行きたくなってきたしと思ったところに、ちょうど近くに大きな施設がありまして、そこに行くことにしました。以下、次回。
昨日の朝早くから、上野で「スーパーひたち」に乗車し、泉駅で下車した後、駅前にいたタクシーに乗車して福島臨海鉄道の宮下駅まで行って貰うようお願いしました。
私のハンドルネームになっている「みやした」はそのまま名字の「宮下」です。今時実名を使っている人も珍しいんでしょうけど、15年前くらいにインターネット始めた頃は、まだ実名利用が多かったですからね。どのみち、今のネットの人達の調査力はすさまじいので、ちょっと調べればすぐ実名も、住所もさらされてしまうでしょうから、ネットの匿名性というのはあってないような物だと思ってます。
さて、話を戻しまして、宮下駅です。普通の時刻表を見ても、「宮下」と名の付く駅は福島県にある只見線の「会津宮下駅」くらいしかありません。なので、私もずーっと、宮下駅なんて無いんだろうと思っていたのですけど、ネットで何気なく検索してみたら・・・・・あった。貨物時刻表を手に入れて確認すると、ちゃんとあるわけですよ。同じ福島県の福島臨海鉄道という貨物専用の路線に。しかも貨物撮影の人には有名な「安中貨物」と呼ばれる鉱石輸送列車の始点だったんです。
と言うことで、この駅の存在を知ってから、いつかは行こうと思っていた物の、なかなか行く機会もなかったので、今回思い立って行ってきたわけです。
宮下駅は泉駅から3kmあまり離れた場所にあり、日本化成の工場の前にあります。昭和47(1972)年までは福島臨海鉄道は旅客営業も行っていたそうで、貨物駅にもかかわらず、現在も駅舎が存在します。東邦亜鉛の鉱石輸送貨物は当駅発着になっているので、昨日はその宮下駅発の時間(10:34発)に合わせて駅に行ったのですけど、その姿を見ることは出来ませんでした。どうも家に帰ってから構内配線図を確認したら、宮下駅の駅舎近くまではいること無く、駅の北側の構内から発着できるようになっていたので、事前の調査不足だったようです。その代わり、駅に停車していた貨車の写真はたくさん撮りました。
福島臨海鉄道宮下駅。ロープが張られていて、構内への立ち入りは関係者以外禁止されている
かつては旅客営業を行っていたというだけあって、ちゃんと駅名標も掲載されている。40年前に旅客廃止した割りにはきれいなので、現在も事務所として使っているのではないかと思われる
駅の所に馬頭観音の碑?らしきものが
駅から泉寄りの場所はトラックの駐車場になっている。このトラックも福島臨海鉄道のもの
亜鉛輸送用の貨車が見える
現在では旧式となっているタキ15600形貨車。台車が板バネで旧型客車を思い起こさせる形状
こちらは一昨年から昨年にかけて登場したタキ1200形。
駅の小名浜寄りの敷地は立ち入り禁止とは書いておらず(地元の犬の散歩している人も入っていたし)、敷地に入れた
タキ1200形は20両製造されているが、そのうち7両が留置されていた
こちらは無蓋貨車のトキ25000形。JR貨物化後に製造されたのだそうで、国鉄時代の物と仕様が異なるのだとか
こんな形でおかれていました
タキ1200形の6両。他に1両だけ少し離れて留置されていた
タキ1200形は製造が新しいだけあって、他の貨車よりもきれいな姿をしています
これは現在は使われていないであろうと思われる貨車たち
タ2000形10トン積みアルコール専用車。鉄道ホビダスの記事によると個人が所有しているようだが・・・
型式番号が良くわからない無蓋貨車
ホキ3500形30トン積セメント専用有蓋ホッパ車
倉庫になっているらしい、元有蓋車
駅近くの踏切
名称も宮下踏切である
踏切から駅構内を撮影
角度を変えてもう1枚
ポイント切り替え機が旧式なので、ふと上を見上げると・・・
そこには現役の腕木式信号機が!現役ですよ、現役
そしてさらに踏切から泉側を見ると、2段式の腕木式信号機。今時なかなか見られる物ではありません
宮下駅を見た後は、どうせ近くだし、せっかくだから小名浜駅まで行こうと、道を歩いて小名浜駅へ向かいました。距離にして1.5km程ですので、たいした距離じゃありませんし、ちょうど日も陰ってきたので。ほぼ線路に沿って歩いて行くと、小名浜駅へ到着しました。小名浜駅は、東日本大震災で津波被害を受けた区域であり、Wikipediaの記事にある駅舎はすでに無くなっていました(砂利が敷かれて整備されていました)。一応、昼過ぎにコンテナ貨物の運用があったはずで、コンテナの整理作業をされていました。
小名浜駅に向かう途中の踏切
これもまた別の踏切
踏切上から、宮下駅方向の線路を見る
小名浜駅近くの踏切。妙に車が多くて混んでいたが、この理由は後で分かった(それはまた次回)
踏切から見た小名浜駅構内。コンテナ取扱駅
車庫には福島臨海鉄道のDD55形ディーゼル機関車の姿が
駅構内は側面から撮影可能。撮影位置は、かつて小名浜駅の駅舎があった場所。Googleのストリートビューでは昨年10月の駅舎解体前の姿も見られる
駅舎があった場所は整備されて、小さな建物が1つあるのみ
福島臨海鉄道本社。ここもストリートビューで見る姿よりきれいに整備されていた
多分、古い機関車の台車だと思うのだが、本社前に保存されていた
ここが現在のレールの終点である
福島臨海鉄道の撮影はこれで一応終了。そろそろ11:00を過ぎて、お腹も減ってきたし、ずっと歩いてトイレも行きたくなってきたしと思ったところに、ちょうど近くに大きな施設がありまして、そこに行くことにしました。以下、次回。
駅構造上、プッシュプル運転にしなきゃいけないのが難点だけど、引き通し線通しちゃえば運転士は1人でなんとかなるだろうし。