11月19日(水)
今日、教習所時代の友人が訪ねてきてくれた。
彼女の息子さんはもう独立されている方なのだが、その方が、大学時代に家庭教師をしたときのことを聞かせていただいた。
その頃はまだ、「不登校」という言葉がなかった時代、「学校嫌い」とか「登校拒否」といわれる生徒を受け持った。
友人の息子さんは、明るく、おおらかな性格で、生徒は、生真面目に端から端まできちんとやれないと、そして出来ないと気がすまないタイプ。
でも、その生徒にとっては、息子さんのその大雑把でいながらも、ポイントははずさない教え方がぴったりだったらしく、遅れていた勉強も、ぐんぐん出来るようになり、息子さんに心を開いて何でも話せる信頼関係を築いていった。
結果、高校には行けなかったが、大検を合格し、国立大に進学、卒業後は、外国の方との交流会でも積極的に活動できるまでになったというのである。
今はかつての対人恐怖症も、神経質で、自分に自信がなく、引きこもって暗い毎日を送っていたなんて思えないほど、明るく活動的な毎日を送っていらっしゃるそうだ。
一期一会。
人との出会いが、人の運命を変えてしまう時がある。
息子さんにとっても、生徒さんにとっても、とても素晴らしい出会いだったのだろう。
長女にも、そんな素敵な出会いが訪れる日が来ることを願わずにいられない。
友人は、また、
「神様はね、試練を与える存在ではなくて、共にその重荷を背負ってくださる方なんだよ。試練を与える存在は別にいるんだって。」
と言っていた。
「試練」という言葉は、なんだか、過酷な運命って言うイメージがある。
かつて、私がピンチに立った時、父(彼は無神論者である)に、
「人は、試練とともに生まれてくるが、同時に、それに打ち勝つだけの力も備わって生まれてくるのだ。苦しみや、悲しみに打ち勝てた分だけ、人は強くなれる。自分の力を信じなさい。」
と言われ、その言葉を励みに今まで頑張ってきた。
私の苦しみや、悲しみを誰よりわかってくれ、励ましてくれたのは、両親と、弟、妹である。
心配をかけまいとしていても、母にはすぐに分かられてしまう。
娘の苦しみは、私の苦しみでもある。
でも、それに立ち向かい、乗り越えるのは、娘自身であり、私自身なのだ。
今の娘には、自分自身のことはもちろん、、周りのことなど見えていないのだろう。
娘が苦しい時、共に、その苦しみを背負って上げられる母でありたいと思う。
彼女が自分で乗り越えられることを、信じて待てる親でいなければと思う。
頭ではそれがわかっているつもりなのだが、時々、弱音を吐きたくなったり、投げ出したくなる・・・。まだまだ未熟な母親です・・・。
妹が、相田みつをさんのカードを冷蔵庫に貼ってくれた。
肥料
あのときのあの苦しみも
あのときのあの悲しみも
みんな肥料になったんだなあ
自分が自分になるための
みつを
「試練」というと、厳しい感じがするが、「肥料」と言うとなんだか柔らかい感じがする。
肥料になるためには、「時間」と「微生物の力」が必要だ。
「苦しみ」や「悲しみ」も、乗り越えるには「時間」が必要なんだ。
きっと、いつか、この経験が「肥料」になって、
「あの時があったから、今、こうして笑っていられる」
娘と、お互いにそう言い合える日が、必ず訪れることを信じて・・・。
今日、教習所時代の友人が訪ねてきてくれた。
彼女の息子さんはもう独立されている方なのだが、その方が、大学時代に家庭教師をしたときのことを聞かせていただいた。
その頃はまだ、「不登校」という言葉がなかった時代、「学校嫌い」とか「登校拒否」といわれる生徒を受け持った。
友人の息子さんは、明るく、おおらかな性格で、生徒は、生真面目に端から端まできちんとやれないと、そして出来ないと気がすまないタイプ。
でも、その生徒にとっては、息子さんのその大雑把でいながらも、ポイントははずさない教え方がぴったりだったらしく、遅れていた勉強も、ぐんぐん出来るようになり、息子さんに心を開いて何でも話せる信頼関係を築いていった。
結果、高校には行けなかったが、大検を合格し、国立大に進学、卒業後は、外国の方との交流会でも積極的に活動できるまでになったというのである。
今はかつての対人恐怖症も、神経質で、自分に自信がなく、引きこもって暗い毎日を送っていたなんて思えないほど、明るく活動的な毎日を送っていらっしゃるそうだ。
一期一会。
人との出会いが、人の運命を変えてしまう時がある。
息子さんにとっても、生徒さんにとっても、とても素晴らしい出会いだったのだろう。
長女にも、そんな素敵な出会いが訪れる日が来ることを願わずにいられない。
友人は、また、
「神様はね、試練を与える存在ではなくて、共にその重荷を背負ってくださる方なんだよ。試練を与える存在は別にいるんだって。」
と言っていた。
「試練」という言葉は、なんだか、過酷な運命って言うイメージがある。
かつて、私がピンチに立った時、父(彼は無神論者である)に、
「人は、試練とともに生まれてくるが、同時に、それに打ち勝つだけの力も備わって生まれてくるのだ。苦しみや、悲しみに打ち勝てた分だけ、人は強くなれる。自分の力を信じなさい。」
と言われ、その言葉を励みに今まで頑張ってきた。
私の苦しみや、悲しみを誰よりわかってくれ、励ましてくれたのは、両親と、弟、妹である。
心配をかけまいとしていても、母にはすぐに分かられてしまう。
娘の苦しみは、私の苦しみでもある。
でも、それに立ち向かい、乗り越えるのは、娘自身であり、私自身なのだ。
今の娘には、自分自身のことはもちろん、、周りのことなど見えていないのだろう。
娘が苦しい時、共に、その苦しみを背負って上げられる母でありたいと思う。
彼女が自分で乗り越えられることを、信じて待てる親でいなければと思う。
頭ではそれがわかっているつもりなのだが、時々、弱音を吐きたくなったり、投げ出したくなる・・・。まだまだ未熟な母親です・・・。
妹が、相田みつをさんのカードを冷蔵庫に貼ってくれた。
肥料
あのときのあの苦しみも
あのときのあの悲しみも
みんな肥料になったんだなあ
自分が自分になるための
みつを
「試練」というと、厳しい感じがするが、「肥料」と言うとなんだか柔らかい感じがする。
肥料になるためには、「時間」と「微生物の力」が必要だ。
「苦しみ」や「悲しみ」も、乗り越えるには「時間」が必要なんだ。
きっと、いつか、この経験が「肥料」になって、
「あの時があったから、今、こうして笑っていられる」
娘と、お互いにそう言い合える日が、必ず訪れることを信じて・・・。