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『大英博物館の至宝展』~世界一周1万年の旅~

2003-12-04 19:33:00 | 徒然なるままに
12月3日(水)

『大英博物館の至宝展』に行ってきた。

午前中、久々のお日様がお目見えしたので、のんきに山のような洗濯物を片付けてから出発したので、会場に着いたのが、1:30pm.をまわってしまっていた。
そしたら、入り口付近で、いきなり、
「70分待ちです」
といわれ、それでも入るしかないので、チケット(キャー!学割よ~!!!)を買ったところ、
入り口からずら~っと長蛇の列列列!建物の中もぎっちりと人の波波波!
でも、今日しか見る日がなかったので、かまわず並んでみたら、待つこと90分。
もう、それだけで、背中が痛くなってきた。
音声ガイダンスをレンタルして、いざ、「大英博物館」へ。

以前、イギリスの大英博物館に行ったことがある人が、
「本気で見るつもりだったら、博物館の近くに宿を取ったほうがいいよ。1週間ぐらいかけてみるぐらいの展示の量と価値があるよ」
と言っていた。
その何十分の一の量が今回展示されていただろうか。
それにしても見ごたえがあった。

その中で、私が一番印象に残ったのは、仏陀立像(パキスタン/紀元1世紀)だ。
この像は、小さいながらも、仏陀の青年期を表現してあり、精悍で凛々しく、衣のひだの表現も繊細だ。髪の毛の表現もリアルで、ちょっとウエーブした長い髪を頭上でまとめている。
いわゆる、良く見る「仏像」という感じではなく、彫刻作品のようだ。
萩尾望都の漫画「百億の昼と千億の夜」に出てくるシッタールダを髣髴とさせる美男子だ。
右手が欠けていたりして、完全体ではないが、私はいっぺんで、この像の虜になってしまった。
ちなみに私の好きな仏像は、
1.広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像
   2.興福寺阿修羅像
   3.東寺講堂の帝釈天
あと、仏像名も、安置されている寺の名前もわからないのだけど、貴の花関の気合いの入った顔によく似た仏像が好き。(これも東寺だったと思うんだけど・・。)

そうそう、大英博物館の話だったけ。
大英博物館には、マヤ、インカ、アステカの発掘品もたくさんあるのだとか。
古代文明ファンにはたまらない魅力いっぱいの博物館なんだわぁ・・・!!
それにしても、エジプトや、ギリシャ、オリエント文明の、神殿やら、王墓などから「持ってきた」品物の多いこと・・・。
大英帝国時代に、美術的価値のあるものはみんな持ってきちゃったんだろうけど、それって・・・?!
でも、そのおかげで、墓荒らしや、内紛などの災いから「未来への文化遺産」を守ったことにもなるのだが・・・。
ミイラボードなどにしても、「呪いの文字」とかあって、実際、祟りのような事故が続いたとか言う曰く付の展示もあったが、その「呪い」のおかげで、何千年の時を越えて、数奇の運命を経て私達の目の前に存在しているのだ。

ところが、私ときたら、出品物を見る目が、どうも、普通の人と違うらしい。
素材や手法、完成度などをチェックしていたりする。
例えば、ミケランジェロの聖母子像の素描にしても、
「こんな筋肉質の幼児(キリスト)なんてありえない!」
なんていう風にしか見れなくなってしまっている。
もっと、時代背景や、宗教観、文化的背景について学ばねば、そのものの持つ「価値」を理解することは出来ないと、反省反省。

それにしても、これだけの世界中の文化遺産を所有している博物館があるなんて、イギリス人って羨ましい!
まさに、「世界一周1万年の旅」だ。
いつか、世界の古代遺跡めぐりの旅に出るときは、まず、「大英博物館」で予習をしてから旅立つことにしよう!

一次方程式

2003-12-04 19:23:00 | 徒然なるままに
12月2日(火)

今日、長女と数学の勉強をやった。

昼頃、やっと起き出してきた娘に、声をかけたときは、乗り気じゃなかった娘が、放課後ぐらいに登校した。
夕べ、職場訪問でいっしょだったグループの子から電話があって、作業を手伝いにいったらしい。
だが、ちょうど、避難訓練をやっていて、作業はなしということになり、その代わり、部活動(吹奏楽)に出てきたと言う。

鼻歌を歌いながら帰宅した娘に、昨日提出用に書いた進研ゼミの数学のプリント(半分白紙状態)のことを持ち出したところ、
「わからないところを教えてほしい」
と言ってきた。

夕飯の支度をしながら、やり方を説明して、やらせてみると、そこそこは出来るが、基本的なことがあちこち抜け落ちていて、式は立てられるが、答えに至らない。途中の計算のルールが、全く分かっていないのだ。
ちょっと途方にくれながら、根気良く教えていくと、途中でねをあげながらも、何とか、全問解くことが出来た。

「一次方程式って、χが出てくるだけで難しく思っちゃうけど、小学校の□の式のことなんだよ。3χ=9は、3×□=9のこと。この方程式を覚えておくと、料理の時に、4人前の分量を何人前に増やしても、分量の計算が簡単に解けるし、いろいろ便利なんだよ。「数学」だとと思うから苦手に思えちゃうけど、これも、知っていると便利な生活の知恵と思って問題を解いてみてごらん。」

「あなたには『学力』がないのではなく、やり方が分からないだけ。分からないところを今からちゃんと埋めていけば、きっとみんなに追いついていけるから。」
それを始めるのは早ければ早いほどいいのだが・・・。
昨日の話と、今日学校に行けたことが、ちょっとでも彼女のやる気の起爆剤になってくれればいいのだが・・・。

「学校の民営化」と「先生のフリーエージェント制度化」について思うこと

2003-12-04 13:51:00 | 徒然なるままに
11月24日(月)

今日は流石に晩秋という感じで、肌寒い1日だった。

夕べ眠る時から、今回の講義のことを思い出していた。

夏のスクーリングの最後の授業でも問題提起されていたのが、『教育の民営化』と『チャータースクール』。

これだけ多様化した不登校児問題。
学校に行くということが、どれほど重要なことなのか。
学校に行けないということが、どれだけ重大な問題なのか。
義務教育と言うのは、本来、子どもにとっては、教育を受ける権利を保障するものであり、親や学校はそれを保障する義務があると言うことではないのか。
いじめなり、体調不良、その他の事情などで通常の授業を受けることが困難な状況にある生徒に対しての保障が、あまりにも手薄でおざなりになってはいないか。
親が動いて、カウンセリングを受けたり、塾や家庭教師などで学力をつけさせることや、フリースクールに通わせることは不可能ではない。が、担任だけでなく、学校ぐるみ、地域ぐるみ、教育委員会、果ては文科省に至るまで、対応が後手後手のような感じを受ける。
確かに、不登校・引きこもりに関しては本人の意思や性格、状態、状況と言うのが一人一人まちまちで、マニュアル化もどこかに集めて一斉指導もできない。
でも、確実に彼ら彼女らの時間は矢のように過ぎて行き、授業はそれにもまして進んでいるので、途中から行く気になって教室に戻ったところで、長期休めば休むほど、どの程度みんなに追いついていけるのか・・・・。
子どもは学校に行かない自分を嫌い、
    学校に行けない自分を責める・・・。

アメリカでは不登校と言う言葉はないそうだ。
学校に行けないのではなく、その学校には、その子どもの居場所、学ぶべきことがないのなら、その子の居場所であり、個性や学ぶ意欲を伸ばせる別の『場』が必要なのだ。
学校教育がその子には適応できないと言うのなら、ホームスクーリングのマニュアルを送りましょう。と言う教育委員会の指導の下、親が子どもに教育をすると言う形態を取っているのだそうだ。
また、そう言う親たちが集まって、自分たちで公民館などを借りて学校を開き、自分達で『先生』(教職免許を持っていなくてもOK)を探し授業をやってもらう。
そう言う形態の学校を『チャータースクール』といい、5年間の審査期間があり、それなりの実績を認められた場合、教育委員会から補助金が下りるというのだ。
クリントン大統領の時代にたった1州1校しかなかったそのチャータースクールも、今や全米に広がっていると聞く。

現状の学校教育を考えた時、問題点として『学力低下』があげられているが、週5日制になって年間134時間も削減された授業の中で、その学年が学ぶべき内容を一斉授業で詰め込む授業のやり方に既には限界がきている。
中学校に至っては、テストの結果は二極化し、真ん中がいないのだ。
九九もあやふやな生徒と、中学3年の春には中3の内容が終えているような進学塾に通っている生徒が一緒の教室で授業を受けている。
評価は相対評価から絶対評価になり、その賛否も分かれている。

どこが分からないかのかも分からない、勉強のやり方自体が分からない。

基礎をちゃんと分かるようになりたい。
その学年の勉強はその学年のうちに理解できるようになりたい。

経済的理由で、塾には通えない。
学校の勉強は学校で分かるようになりたい。
教科書をちゃんと理解したい。

既に理解できているところの宿題をやるよりもっと発展的な勉強をしたい。
もっと勉強の面白さ自体を教えてほしい。

テストで点数をとっても成績に反映されない。
内申点や、所見は、先生の個人的感情や主観が入っているのか?
その点数をつけられた本人が納得し、次に頑張るきっかけになれるような評価であるのか?

これらの要望について、学校側や教師側にしてみれば、それぞれに対しての明確な答えや説明はあるのだろう。
が、しかし。それが生徒や親に正確に伝わるかどうかは疑問であるし、現状ではこれだけのニーズに今の学校教育だけで対応することは不可能だと思う。

教育とは『生きる力』を培うものでなければならないはずだ。
どこかで、切捨てられている生徒、十分な学力も技術も習得できないまま、心太式に押し上げられ、押し出されていく生徒はいないのだろうか。
孤立化している教師、指導力が低下している教師はいないと言えるのだろうか。

学校の民営化。
『公的』であるがゆえのメリットより、『民営化』することのメリットの方が多くなっていったら、学校制度自体、大きな変革期が来る。
教師のフリーエージェント制だってあるだろう。
学区制の廃止によって、特色ある学校づくりが主流になっていう一方で、対応しきれない生徒や家庭、教師、学校が必ず出てくるはずだ。
そうなった時、自分が教師として現場に立っていたら、『勝ち組み』に残れるのだろうか?

『NO.1にならなくてもいい。
 一人ひとりがonly1』

いつでもどこにでも自分の代わりはいるような教師ではなく、一期一会、生涯、脳裏に残るような一教師として、いい授業をしていきたいと思う。
そのためにも、教科指導法はもちろん、社会学や経済学、心理学、哲学、コンピューターなど、再度勉強しなおすことはもちろん、いろんなカリキュラムを企画・運用できる能力、魅力的な授業をプロデュースできるようなネットワークや情報量を常に持ち合わせられるようにならなくてはならない。
そして、何より、子どもたちに最高の教育と愛情を提供できるような教師でありたいと思う。

あまりに遠い理想と厳しい現実にギャップは感じるが、志しは高く!目標に向かって頑張るのみ!

『子どもの創造表現フェスティバル』本番。

2003-12-04 13:49:00 | 徒然なるままに
11月23日(日)

今日は子ども達の今年最後のソーラン踊り納め、『子どもの創造表現フェスティバル』本番。
この子どもネット八千代主催のお祭りに参加して4年間になる。
去年から、企画・運営まで、ずべて子ども達が中心になって行われている。
今年は、わが『元祖』たちはいよいよ受験。定期テストの関係もあり、中学生達は不参加。
でも、2歳~6年生まで、『南中ソーラン』と『よさこい島』の2つのチームに分かれ、総勢29名が出演した。(1名、お昼寝から目が覚めなくて残念ながら欠場)
昨日のリハーサルに来なかった2歳児たちや、ふだん、すぐ飽きて遊んでばかりの子の親たちは、はらはらドキドキだったようだが、イントロがなると、みんな『その気』になって踊り出し、ちゃんと最後のポーズを決め、『例』までやるんだよね~!もう、見ていてウルウルきてしまう~~~!!

午前中の講習会の後、高速をぶっ飛ばして会場入り。何とかみんなの本番には間に合った。
末娘が、私を見るなり嬉しそうに手を振り、休憩時間には一目散に駆け寄り、飛びついてきた。
舞台でも、『ちんたら』した踊りではなく、立派に『踊り納め』をやってくれた。(感涙)

他のチームの出し物も、子どもらしくてみんな一生懸命で、楽しかった。
特に最後の高校生達のハモネプグループの歌が、本当に上手で聴き応えがあった。
最後にお芋と鑑賞券が当る抽選会があり、末娘は3年連続大当たり!(でも、今年も年齢制限で本人は使えない券だった)

終了後、主催者の方たちからも、子ども達の元気一杯のもの怖じしない踊りをほめていただき、嬉しかった。
転校した子のおばあちゃんから、
「ソーランの仲間と踊っている時の孫の明るく元気な顔を見るとほっとします。」
と言われた。
その子は『ソーラン』のリーダーをやり、バッチリ『塔』に乗ってポーズを決めた。

子どもたちそれぞれの思い、親たちの思いがいっぱいの本番を終え、みんな大満足の顔で分かれていった。
来年は、『ノーマルバージョンのよさこい島』と『オリジナルソーラン』で出演しようね!

熱く語れ!母は女子大生!

2003-12-04 13:45:00 | 徒然なるままに
11月22日(土)

明日は子ども達の踊り納め『子どもの創造表現フェスティバル』のリハーサル。
練習風景のプロモーションビデオ撮りもあり、みんな張り切って踊っていた。
ただ、我が家の末娘は、朝、寝坊して『ピチピチピッチ』が見られなかったあたりからご機嫌が悪く、一番最後の『本番通り』の踊りの時は、不機嫌のピークになって、踊らずじまいだった。明日、大丈夫かなあ・・・。。

午後からは、妹に子どもたちと留守を託し、九十九里海岸の白子町で行われる、玉川大学千葉支部主催の講師招聘講義に参加した。
九十九里方面の高速道路を運転するのは初めてで、緊張した~~~!。
一般道に入ってからはちょっと迷って、茂原まで行ってしまって失敗失敗・・・。

今回のテーマは『文化と社会』
今日初日は、参加者の自己紹介と『最近気になっていたり、心配に思っている教育問題』についてのディスカッションだった。
参加メンバーは、千葉をはじめ、関東一円のみならず、静岡や遠く広島からの参加もあった。
みな、教職を取っている人たちだけでなく、図書館司書や、発達心理士の勉強をしている人、現在の職業は、保母さんから現職の小・中学校や塾の先生、福祉士、臨時講師や、障害児のサポーターなどなど、いろいろな立場からの問題提起とディスカッションは大変参考になった。

夜は、講師の大倉先生を囲んでの親睦会。
今回は職業や選択コースだけでなく、年齢層も幅広く、政治経済から恋愛・結婚談義、子育て論に渡るまで、バラエティに富んだ話題が飛び交っていた。
女子大生とはいえ、私は『人生の先輩チーム』の方に属していたのかな?
でも、夜を徹してのディスカッションは面白い。まさに学生気分で熱く語り合ってしまった。
翌日の講義で居眠りをするわけには行かないので、朝まで語り合いたいところをぐっと我慢して、早め(?)に就寝。

夕食時に家に電話をしたら、女の子達は『元気揚げ』と『ミニハンバーグ作り』を頑張っているところだった。
末娘のご機嫌も治っていたようだし。
留守と子守りを引き受けてくれた妹と、『良い子達』に感謝、感謝!

『風の舞~闇を拓く光の詩~』

2003-12-04 13:43:00 | 徒然なるままに
11月21日(金)

午後から中学校で『風の舞~闇を拓く光の詩~』というドキュメンタリー映画を見た。

『13歳で発病し、15歳で瀬戸内海にある小さな島の施設に送られた塔和子。暗く、苦しい日々の中で、彼女は生きる喜び、希望を詩に託し、力強く生きていく決意をする。やがてその詩は、施設の中という狭い世界を超え、人間の存在意義の核心に迫った作品として世の中で注目を浴びることになる。そこに書かれていることを通じ、間違ったハンセン病の認識、そして社会を覆う差別や偏見がどのように変わっていったのかが、つぶさに映し出される。
1996年、ひとつの法律が廃止された。「らい予防法」。長年この法律に苦しめられてきたハンセン病患者が国内にはたくさんいるという。この作品は、ハンセン病を発病し強制的に施設送りにされた詩人、塔和子の詩をモチーフにしたドキュメンタリーだ。
実は、ハンセン病の原因菌は非常に弱く、大人に対する影響はとても小さい。ところが患者への隔離政策により、悪いイメージだけがひとり歩きしてしまったのだ。この病気に対して、偏見や差別がなくならない現実。ハンセン病患者に対して社会全体でどのように取り組んでいけばいいのか。世の中の好奇の目にさらされながらも真摯に生き続ける人々の息遣いとともに、ハンセン病の“歴史と今”に迫る。』

『現在も海で隔てられているゆえのこの療養所の特徴がある。
かつて全国の療養所には、火葬場があり、亡くなっても、一般市民と同じ火葬場は使えなかった。いったん療養所に入れば「死んでようやく火葬場の煙になって社会に出ていく」ことができた。この火葬は患者の手でおこなわれた。

現在では、全国の療養所は一般市民と同じ火葬場を利用しているが、唯一この療養所だけが、今だに、入所者はこの島の火葬場を使わなければならない。もちろん、今では町の職員が火葬するのだが・・・

死んでもふるさとに帰れない入所者の遺骨は納骨堂に安置されているのだが、多くの残骨が残る。多くの人々の協力で「風の舞」という石造りの円錐形のモニュメントが建設され、海の向こうのふるさとを想う高台にその残骨が納められている。』

http://www.kyodo-eiga.co.jp/tokazuko1.html

吉永小百合さんが読む塔和子さんの詩は、作者自身が『詩は命綱』というくらい、聞くものの耳に真摯に響いて、心の糸に触れてくる。
望郷の念、家族への想い、自分の身の上やハンセン病患者に対しての不当な扱いに対しての憤り・怒り・慟哭・・・。それはやがて、命の尊さ、生きることへのひたむきさとなり、多くの読者が感銘を受ける芸術作品となって昇華し、世に認められて行く。
その詩にメロディがつけられ合唱曲となり、生まれ故郷でのお披露目に招待されるシーンには涙が出た。

13歳で発病。15歳で家族から強制的に完全隔離され、本名まで失うだなんて・・・。
生徒たちはこの映画をどんな思いで見たのであろうか・・・。
願わくは、事前に『ハンセン病』や塔和子さんの詩についての予備知識があった上での鑑賞会であったら良かったのだが・・・。

ちなみに、風邪気味で登校させた我が家の長男坊は、終始寝ていたのだという・・・。(溜息)

オカリナのトールペイント

2003-12-04 13:42:00 | 徒然なるままに
11月21日(金)

午前中、小学校のPTA講習会で、オカリナのトールペイントに参加してきた。
トールペイントは初体験。アクリル絵の具には慣れていたので、自己流で末娘のリクエストの『トトロ』を描いた。
『ミッドナイトブルー』の地色に、月夜に楠の枝の上でオカリナを吹く3匹のトトロと真っ黒クロスケたち、星空を駆け巡るネコバスといった感じのレイアウト。
でも、せっかく、トールペイントの講習会だったのだから、トールペイント特有の『描き方』を教えてもらえばよかった~と後悔している。

参加者は結構たくさんいて、みんな思い思いの手描きのオカリナ作りに夢中になっていた。

後半は、吹き方の練習で『ドレミの歌』を演奏した。

オカリナといったら、私にとっては『海のトリトン』のBGMのイメージ。(すぐメロディが口ずさめた人はただ者ではない!)
キットを売っていたら、今度は『海のトリトン』のイラストを描いて見ようっと!

ちなみに今日のオカリナは、末娘のクリスマスプレゼントのリクエストなのでした。

外の風

2003-12-04 09:47:00 | 徒然なるままに
11月20日(木)

今日の学校カウンセリングの時に、娘の家庭教師のことを相談したところ、先生から『待った』がかかった。
教科書を中心とした予習・復習という勉強法は、まだ、学校に行くリズムができていない娘にとっては、負担になるのではないかと言うことだった。
指導料だけでなく、教材費も相当かかると言うことも、懸案事項の一つだった。

そこで、カウンセラーの先生から出された提案が、「教育相談員」を派遣してもらうと言うことだった。
まずは、対人恐怖症の改善策として、外部の人に家に来てもらう。
これは、先日、家庭教師をお願いする際に来ていただいた大学生に対して、娘が対応できたと言うことは、実践できる段階に来ているだろう。ということだった。
お姉さんのような、話を聞いてくれそうな方に来てもらって、勉強を見てもらったり、いろいろ相談に乗ってもらう。
このシステムは、申請すると、校長からの依頼で、教育委員会から委託された相談員が、無料で来てくれる上に、担任と連絡をとりながら、最終的には、学校に行けるように、サポートしてくれるのだそうだ。
不登校に限らず、怪我や病気などで、通常の授業を長期欠席している生徒などにも適応されるシステムなのだそうだ。
でも、不登校の場合、たいていは、学校カウンセリングや、相談室・保健室登校や、フリースクールに通うなど、教室には入れなくても、相談機関に自分から出かけていくという方法を勧められる。

娘の場合は、多少、対人恐怖症が入っており、学校に行くこともやっとなので、カウンセリングや、塾、フリースクールもなかなか難しい。
まず、外に気持ちが向いて、学校にも気持ちを向けられるよう、外の人に家に入ってきてもらうところから、人に慣れていこう。ということが優先なのだろう。
また、娘の場合、「学校に行きたくない」というよりは、
「行く勇気がない(クラスに自分の居場所はあるか?嫌なことをまた言われはしないか?)」
「自分に自信がない(勉強面で遅れている)」
という心配が、学校にいく足を重くさせ、朝、起きられない状態が続いているのだ。
学校に行かない自分を嫌い、学校に行けない自分を責めている娘に、
「教育を受ける場は、学校だけではない。学校に行かなくてもいいから、今しか、あなたにしか出来ない勉強をやればいい。その先のあなたの未来のために」
と言っても、本人の中で、
「クラスに戻りたい」
「お兄ちゃんと同じ中学を卒業したい」
というのがあり、一方で、
「新しい環境で、1からやり直したい」
という気持ちとの毎日の内なる葛藤が、ずっと続いているのだ。

ありがたいことには、先生始め、女子はほぼ全員、何人かの男子も、娘のことは心配してくれ、家庭訪問や、家に遊びに来てくれたり、しょっちゅうメールや届け物をしてくれたり、学校に行けたときにも優しく迎えてくれている。
それは、娘もわかってはいる。
あとは、自分に自信を持つこと。せめて、自分を好きになること。そして、きっかけ。
母親の私ではない、もっと、違う、「外の風」を運んできてくれる違う世界の人との出会い。
それが今の娘には必要なのだろう。
ただ、「教育相談員」の派遣依頼については、娘本人の同意、承諾が必要となるのだが・・・。