8月3日(月)
今日は朝一番に、上野の都立美術館で開催されていた『全日肖展』を見に行った。
父が出品している展覧会で、3日は表彰式と搬出があって、上京すると言うことだったので、せっかくならその日に一緒に絵を見られればと思い、年休を取って見に行った。
『フラガール』と題したその絵のモデルは、カルチャースクールで絵を教えているのだが、その後の時間に練習に来ているグループの女性だとか。
オレンジとグリーンのスカートが、南国っぽくて、笑顔が、本当にフラが好きで楽しんで踊っている雰囲気が伝わってきた。
父の各肖像画はどちらかと言うとおすまししていたり、無表情なモデルが多い中で、今回の満面の笑みのモデルさんは異色だった。
それにしても、癌の手術から7年間、幼稚園、高校、カルチャーセンターで教えながら、毎年、3つの公募展に欠かさず出品している意欲とバイタリティーには本当に頭が下がる。
父は
「大病・大手術後、毎年、今年で最後かなと思いながら、全力投球で描いて来た。また今年も応募できてみんなに見てもらえた、ラッキー!と思って、出品している。毎日、今日も生き延びることができた。ラッキー!でも、明日どうなるかは誰にも分からない。今日やることは今日やる。明日が必ず来るという保証はないのだから。今日無事に生きられたことに感謝しながら毎日を過ごしている。」
と言っていた。
私も2年前の大事故からの奇跡の生還以来、人生観が変わった。
いいことがあると、「あの時死んでいたら経験できなかったなあ・・・。」
素敵な人に出会うと、「生きているからこそ出逢えたんだなあ・・・。」
しんどい壁にぶつかると、「これを乗り越えるために生かされたのだろうか・・・。」
辛くて、苦しくて、悲しいことがあっても、「生きているから感じる心の痛みなんだなあ・・・」
と客観的に受け止められるようになった。
毎日が「おまけ」のような日々。
何か、誰かの『意図』があって生かされている様な・・・。
すべては自分自身の人生を全うするために、出会いも試練も、喜びも苦しみも悲しみも『用意』されているような錯覚に落ちるときがある。
先日、『ラピスラズリ』のコンサートのエンディングで聴いた『エンドロール』のように、私の人生と言う幕が下りるとき、エンドロールに流れる文字はなんだろう?
何部構成かのテロップには、それぞれの時代が掲げてあり、そこに登場する私と関わりのあった『キャスト』や『スタッフ』達。
舞台設定や,ロケ地、協力施設、団体・・・。
監督は?演出は?
どんな風な結末かはキャストもスタッフも知らされていないし、もしかしたら、結末なんて関係ない、知らなくてもいいのかもしれない。
結末は行き着くところは『死』でしかないのなら、どんな死に方をするかより、どう生きたかの方がずっと大切なのだと思うから。
私も父を見習って、日々感謝しながら、これが私が描いた『今年の絵』と言える作品を作り続けていこう。
今日は朝一番に、上野の都立美術館で開催されていた『全日肖展』を見に行った。
父が出品している展覧会で、3日は表彰式と搬出があって、上京すると言うことだったので、せっかくならその日に一緒に絵を見られればと思い、年休を取って見に行った。
『フラガール』と題したその絵のモデルは、カルチャースクールで絵を教えているのだが、その後の時間に練習に来ているグループの女性だとか。
オレンジとグリーンのスカートが、南国っぽくて、笑顔が、本当にフラが好きで楽しんで踊っている雰囲気が伝わってきた。
父の各肖像画はどちらかと言うとおすまししていたり、無表情なモデルが多い中で、今回の満面の笑みのモデルさんは異色だった。
それにしても、癌の手術から7年間、幼稚園、高校、カルチャーセンターで教えながら、毎年、3つの公募展に欠かさず出品している意欲とバイタリティーには本当に頭が下がる。
父は
「大病・大手術後、毎年、今年で最後かなと思いながら、全力投球で描いて来た。また今年も応募できてみんなに見てもらえた、ラッキー!と思って、出品している。毎日、今日も生き延びることができた。ラッキー!でも、明日どうなるかは誰にも分からない。今日やることは今日やる。明日が必ず来るという保証はないのだから。今日無事に生きられたことに感謝しながら毎日を過ごしている。」
と言っていた。
私も2年前の大事故からの奇跡の生還以来、人生観が変わった。
いいことがあると、「あの時死んでいたら経験できなかったなあ・・・。」
素敵な人に出会うと、「生きているからこそ出逢えたんだなあ・・・。」
しんどい壁にぶつかると、「これを乗り越えるために生かされたのだろうか・・・。」
辛くて、苦しくて、悲しいことがあっても、「生きているから感じる心の痛みなんだなあ・・・」
と客観的に受け止められるようになった。
毎日が「おまけ」のような日々。
何か、誰かの『意図』があって生かされている様な・・・。
すべては自分自身の人生を全うするために、出会いも試練も、喜びも苦しみも悲しみも『用意』されているような錯覚に落ちるときがある。
先日、『ラピスラズリ』のコンサートのエンディングで聴いた『エンドロール』のように、私の人生と言う幕が下りるとき、エンドロールに流れる文字はなんだろう?
何部構成かのテロップには、それぞれの時代が掲げてあり、そこに登場する私と関わりのあった『キャスト』や『スタッフ』達。
舞台設定や,ロケ地、協力施設、団体・・・。
監督は?演出は?
どんな風な結末かはキャストもスタッフも知らされていないし、もしかしたら、結末なんて関係ない、知らなくてもいいのかもしれない。
結末は行き着くところは『死』でしかないのなら、どんな死に方をするかより、どう生きたかの方がずっと大切なのだと思うから。
私も父を見習って、日々感謝しながら、これが私が描いた『今年の絵』と言える作品を作り続けていこう。