8月5日(水)
今日は、代々木青少年オリンピックセンターで行われた『美術教育フォーラム2009』に参加してきた。
女子美術大学主催で毎年行われているこの会も、今年で10回目。
私は7回ぐらい参加していることになる。
今回のテーマは『鑑賞教育が育てる感性と知』。診療内科医の医療現場での絵画療法のお話や、教育現場での鑑賞授業の実践報告、美術館の学芸員の方の、学校では体験できない美術館探検の話など、とても興味深く、授業にも取り入れたい貴重な話をたくさん聞けた。
この夏は、国立近代美術館、国立博物館、千葉県立美術館とどこの教師のための研修会でも、『鑑賞授業』と『美術館・博物館との連携』がテーマだった。
実際、美術の授業時数が減っている中で実技や作業時間を保証すると、できた作品をお互いに鑑賞する時間を取ってあげるのが精一杯で、とても美術史や名画鑑賞の時間を取る余裕はなくなる。
ピカソの『ゲルニカ』を鑑賞させるのにも、3時間はかかる。なんと言っても多作な作家であり、彼の生涯と各時代の代表作に触れる必要がある。その上で、『ゲルニカ』を味わうのだが、ちゃんと鑑賞授業に取り組むと、生徒たちは3時間で目を見張るような成長を遂げる.
鑑賞授業は『一期一会』だと思う。
その授業を受けなくても、名画や作家のことを知らなくても十分生きて行ける。でも、それを知っている人生と知らない人生とでは豊かさが違ってくると思う。
美術は、中学卒業後は多くの人の場合、絵を描くことも、鑑賞する機会もぐっと減る。描くのは苦手だけれど、見るのは好きな方・・・。で止まってしまう人が多いだろう。
それがもったいない。
たとえ、描けなくても、作れなくても、きれいな絵を見たり、面白い彫刻を見るのは好きと言う『愛でる心』は生涯大切にしていってほしいと思う。
ピカソの授業の後で、
「先生、私はいつかスペインに言って、本物の『ゲルニカ』を見たいです!」
と言う感想を書いてくれた生徒がいた。
そうなのだ。『鑑賞授業』はきっかけ作りなのだ。
後は、生徒自身が本物を見たいと思うかどうか。それを実行するかどうか。
5月の修学旅行に向けて『仏像を100倍楽しむ見方』の授業をやったとき、なんと、対象の3年生以上に、実際は教えていない1年生にも反響があった。
中には、阿修羅の三面の頭部をモチーフにした土器を作ったり、阿修羅展を見に行ったり、3年生のテスト用に使用した資料を私から借りて読んだり。
あまりにハマってしまったわが子の本気に、阿修羅の写真集を買ってくださったご家庭もあり、その生徒に、
「良かったね~、今度は奈良の興福寺に連れて行ってもらえるといいね」
と言ったら、
「夏休みに連れてってもらう事になっています!」
と言われ、ビックリするやら微笑ましいやら・・・。
将来、どこかのお寺でお経を唱えていたりして・・・?
鑑賞授業をやってみて、生徒が100人いたら100人がみんな興味を持つはずはないが、今はスルーしていても、いつか、どこかで、
「あれ?これって、中学のとき習ったなあ・・。」
と思い出し、改めてその作品と向き合う(再開する)時に、何か手がかりになるようなことを残してあげられたら・・・.と思う。
すぐ熱しやすい子は冷めるのも早いが、ずいぶん後になってから思い出して、それがきっかけになって道が開ける人もいるから不思議だ。
今回の研修で、とても勉強になったのはアメリカのアレナスが考案した対話型鑑賞法だ。
鑑賞授業と言うと、その作家や絵の解説や美術史的意義を一方的に教え込むやり方が多い。
対話法と言うのは、まず、生徒に、絵を見せて、何でもいいから気付いたことを言わせる。
そのときに教師は、必ず頷いたり、同じ言葉を返してあげることが大切。
次に、なぜそう思ったのかその理由を考えさせ、発表させる。
その生徒が上手く説明できないときには、それを代弁してくれそうな生徒はいないか他の生徒に呼びかける。
そうすると、教師が長々解説をするときよりも、もっと真剣にその絵を見ようとしたり、他の生徒の発表を聞いたり、自分なりの言葉で表現しようとする。
名画に限らず、お互いの作品鑑賞にもそのやり方は有効だ。
また、生徒がその作家になりきって自分の絵を解説すると言う「なりきり法」も面白い。
たとえば、自分がゴッホになって、『ひまわり』の絵を解説する。
なぜ、14本と15本の絵があるのか。
アルルの『黄色い家』に招待した13人の仲間を待ちわびて、一本一本のひまわりを描いていたゴッホ。
自分を入れて14本。
自分を支えてくれた親愛なる弟テオを入れて15本。
14と15と言う数字に込められたゴッホの気持ちを知っていて見るのと知らないで見るのとでは、『ひまわり』の印象はずいぶん違うものになるだろう。
一生懸命作家になりきって『自分の絵』をプレゼンテーションする中で、その絵の良さや、作家の描きたかったことを見つけようとする鑑賞の仕方も面白い。
この対話法は、『気付き』を大切にするので、限られた時間の中で成果をあげるにはどうしても『誘導的』になってしまいがちだ。
人は一人ひとり感じ方が違うこと、いろんな感じ方があっていいこと、今まで見えていなったものや、絵解きのようなもの、作家自身も気が付かなかったろうことを発見する喜びを知ると、本当に鑑賞することが楽しくなる。
私の授業でも対話法は今までも実践してきたが、論理的に説明を受け、自分の授業に足りないところを発見することができた。
また、自閉症やアスペルガ-のような他者とのコミュニケーションを苦手とする生徒に対しても、鑑賞授業が有効に作用すると言う実践例も参考になった。
2学期は、「ゴッホとゴーギャン」「ジャポニズム」(1年生)、「ファンタジアとウォルト・ディズニー」(2年生)、「ピカソ」「北斎と広重」「ジャポニズム」(3年生)の鑑賞授業をやる予定になっている。
今年はちょっと違った切り口で、「対話法」を取り入れた鑑賞授業に挑戦してみよう!
今日は、代々木青少年オリンピックセンターで行われた『美術教育フォーラム2009』に参加してきた。
女子美術大学主催で毎年行われているこの会も、今年で10回目。
私は7回ぐらい参加していることになる。
今回のテーマは『鑑賞教育が育てる感性と知』。診療内科医の医療現場での絵画療法のお話や、教育現場での鑑賞授業の実践報告、美術館の学芸員の方の、学校では体験できない美術館探検の話など、とても興味深く、授業にも取り入れたい貴重な話をたくさん聞けた。
この夏は、国立近代美術館、国立博物館、千葉県立美術館とどこの教師のための研修会でも、『鑑賞授業』と『美術館・博物館との連携』がテーマだった。
実際、美術の授業時数が減っている中で実技や作業時間を保証すると、できた作品をお互いに鑑賞する時間を取ってあげるのが精一杯で、とても美術史や名画鑑賞の時間を取る余裕はなくなる。
ピカソの『ゲルニカ』を鑑賞させるのにも、3時間はかかる。なんと言っても多作な作家であり、彼の生涯と各時代の代表作に触れる必要がある。その上で、『ゲルニカ』を味わうのだが、ちゃんと鑑賞授業に取り組むと、生徒たちは3時間で目を見張るような成長を遂げる.
鑑賞授業は『一期一会』だと思う。
その授業を受けなくても、名画や作家のことを知らなくても十分生きて行ける。でも、それを知っている人生と知らない人生とでは豊かさが違ってくると思う。
美術は、中学卒業後は多くの人の場合、絵を描くことも、鑑賞する機会もぐっと減る。描くのは苦手だけれど、見るのは好きな方・・・。で止まってしまう人が多いだろう。
それがもったいない。
たとえ、描けなくても、作れなくても、きれいな絵を見たり、面白い彫刻を見るのは好きと言う『愛でる心』は生涯大切にしていってほしいと思う。
ピカソの授業の後で、
「先生、私はいつかスペインに言って、本物の『ゲルニカ』を見たいです!」
と言う感想を書いてくれた生徒がいた。
そうなのだ。『鑑賞授業』はきっかけ作りなのだ。
後は、生徒自身が本物を見たいと思うかどうか。それを実行するかどうか。
5月の修学旅行に向けて『仏像を100倍楽しむ見方』の授業をやったとき、なんと、対象の3年生以上に、実際は教えていない1年生にも反響があった。
中には、阿修羅の三面の頭部をモチーフにした土器を作ったり、阿修羅展を見に行ったり、3年生のテスト用に使用した資料を私から借りて読んだり。
あまりにハマってしまったわが子の本気に、阿修羅の写真集を買ってくださったご家庭もあり、その生徒に、
「良かったね~、今度は奈良の興福寺に連れて行ってもらえるといいね」
と言ったら、
「夏休みに連れてってもらう事になっています!」
と言われ、ビックリするやら微笑ましいやら・・・。
将来、どこかのお寺でお経を唱えていたりして・・・?
鑑賞授業をやってみて、生徒が100人いたら100人がみんな興味を持つはずはないが、今はスルーしていても、いつか、どこかで、
「あれ?これって、中学のとき習ったなあ・・。」
と思い出し、改めてその作品と向き合う(再開する)時に、何か手がかりになるようなことを残してあげられたら・・・.と思う。
すぐ熱しやすい子は冷めるのも早いが、ずいぶん後になってから思い出して、それがきっかけになって道が開ける人もいるから不思議だ。
今回の研修で、とても勉強になったのはアメリカのアレナスが考案した対話型鑑賞法だ。
鑑賞授業と言うと、その作家や絵の解説や美術史的意義を一方的に教え込むやり方が多い。
対話法と言うのは、まず、生徒に、絵を見せて、何でもいいから気付いたことを言わせる。
そのときに教師は、必ず頷いたり、同じ言葉を返してあげることが大切。
次に、なぜそう思ったのかその理由を考えさせ、発表させる。
その生徒が上手く説明できないときには、それを代弁してくれそうな生徒はいないか他の生徒に呼びかける。
そうすると、教師が長々解説をするときよりも、もっと真剣にその絵を見ようとしたり、他の生徒の発表を聞いたり、自分なりの言葉で表現しようとする。
名画に限らず、お互いの作品鑑賞にもそのやり方は有効だ。
また、生徒がその作家になりきって自分の絵を解説すると言う「なりきり法」も面白い。
たとえば、自分がゴッホになって、『ひまわり』の絵を解説する。
なぜ、14本と15本の絵があるのか。
アルルの『黄色い家』に招待した13人の仲間を待ちわびて、一本一本のひまわりを描いていたゴッホ。
自分を入れて14本。
自分を支えてくれた親愛なる弟テオを入れて15本。
14と15と言う数字に込められたゴッホの気持ちを知っていて見るのと知らないで見るのとでは、『ひまわり』の印象はずいぶん違うものになるだろう。
一生懸命作家になりきって『自分の絵』をプレゼンテーションする中で、その絵の良さや、作家の描きたかったことを見つけようとする鑑賞の仕方も面白い。
この対話法は、『気付き』を大切にするので、限られた時間の中で成果をあげるにはどうしても『誘導的』になってしまいがちだ。
人は一人ひとり感じ方が違うこと、いろんな感じ方があっていいこと、今まで見えていなったものや、絵解きのようなもの、作家自身も気が付かなかったろうことを発見する喜びを知ると、本当に鑑賞することが楽しくなる。
私の授業でも対話法は今までも実践してきたが、論理的に説明を受け、自分の授業に足りないところを発見することができた。
また、自閉症やアスペルガ-のような他者とのコミュニケーションを苦手とする生徒に対しても、鑑賞授業が有効に作用すると言う実践例も参考になった。
2学期は、「ゴッホとゴーギャン」「ジャポニズム」(1年生)、「ファンタジアとウォルト・ディズニー」(2年生)、「ピカソ」「北斎と広重」「ジャポニズム」(3年生)の鑑賞授業をやる予定になっている。
今年はちょっと違った切り口で、「対話法」を取り入れた鑑賞授業に挑戦してみよう!