8月9日(日)
今日、近年にない大き目の地震があった。
私の住む千葉北西部は震度4だった。
最初は微弱な振動がだんだん強い横揺れになっていった。
二階の娘たちに、
「窓とドアを開けて!」
と声をかけ、倒れたり、落ちてきそうなものをカバーしたりしているうちに、だんだん揺れも収まってきて・・・。
それにしても長い地震だった。
揺れが収まるのを待っている間、いろんなことを考えた。
電気が消えたら、懐中電灯は?ろうそくは?
お風呂に水張ってある?
飲み水の確保は?
非常袋に食料入ってたっけ?
ここら辺はどこが広域避難場所だっけ?
幸い揺れは収まり、倒れるものも、壊れたものもなかったけれど、私の脳裏には31年前の宮城県沖地震の恐怖が蘇っていた。
あの時、私は高校の放送室で、一人原稿を書いていた。
そこに最初は微震、だんだん横揺れ、最後は下から突き上げられるような直下型地震が襲ってきた。
すぐに窓を開け、机の下にもぐりこんだが、マイクは倒れ、レコードやカセットは棚から手裏剣のように飛び出してきて、放送室は足の踏み場もない状態に。
窓の外を見れば、ナイター用の電球のたくさんついた電信柱は千切れた電線を振り回しながらメトロノームのように揺れていた。
池の鯉は投げ出されたように、池の周りで飛び跳ねている。
校内のあちらこちらから悲鳴と物の壊れる音が響き渡っていた。
本当に生きた心地がしなかった。
生物室の棚にあったホルマリン漬けの生物の死骸はすべて棚から飛び出し、床に散乱していた。
美術室にあった23体の石膏像は全部首がもげた。
図書室を再び利用できるようになるには40日間もかかった。
家に帰れば、床も壁も盛り上がって、庭と物置の床は液状化状態だった。
活断層のように道路や庭に亀裂が入り、それに沿ってブロック塀が倒れたり、崩れていた。
その夜の心細さと断続的な余震の恐怖は30年以上経った今でも覚えている。
あんな思いをしたにも関わらず、喉もと過ぎれば暑さを忘れるように、危機感のない毎日を送っているなあと、今回の地震を通して反省した。
天災は、忘れた頃にやってくる。
備えあれば憂い無し。
地震対策を見直さなければと、大いに反省した。
『シャングリ・ラ』と言うアニメを見ているのだが、設定は、第二次関東大震災後の未来。http://anime.biglobe.ne.jp/title/index?id=1507
お馴染みの地名の街の震災後の様子が、結構リアルに描かれている。
それほど遠くない未来に、あの状況が現実のものになるかもしれない。
とにかく、どんなことが起きてもどんな状況にあっても、生き延びなければ!
そして、子どもたちを守らなければ!
地震は揺れが収まってから先も大変。
ライフラインが復旧するまでの避難所生活や、怪我をしたり、壊れた家やなど、元の生活に戻るまで、気力と体力とお金が必要。
先ずは、大地震未経験者の子どもたちと、いざと言う時の避難場所や連絡のとり方を打ち合わせしておかないと。
私は、仕事柄、仕事中に地震が起きたら、全員の無事を確認し、保護者に引き渡すまでは現場を離れるわけには行かない。
長男、長女は都内にいることが多いから、日中に大地震に見舞われたら、家族全員の無事を確認することは難しいだろう。
皆が全員家いるときに地震が来るとは限らないのだから。
今日、近年にない大き目の地震があった。
私の住む千葉北西部は震度4だった。
最初は微弱な振動がだんだん強い横揺れになっていった。
二階の娘たちに、
「窓とドアを開けて!」
と声をかけ、倒れたり、落ちてきそうなものをカバーしたりしているうちに、だんだん揺れも収まってきて・・・。
それにしても長い地震だった。
揺れが収まるのを待っている間、いろんなことを考えた。
電気が消えたら、懐中電灯は?ろうそくは?
お風呂に水張ってある?
飲み水の確保は?
非常袋に食料入ってたっけ?
ここら辺はどこが広域避難場所だっけ?
幸い揺れは収まり、倒れるものも、壊れたものもなかったけれど、私の脳裏には31年前の宮城県沖地震の恐怖が蘇っていた。
あの時、私は高校の放送室で、一人原稿を書いていた。
そこに最初は微震、だんだん横揺れ、最後は下から突き上げられるような直下型地震が襲ってきた。
すぐに窓を開け、机の下にもぐりこんだが、マイクは倒れ、レコードやカセットは棚から手裏剣のように飛び出してきて、放送室は足の踏み場もない状態に。
窓の外を見れば、ナイター用の電球のたくさんついた電信柱は千切れた電線を振り回しながらメトロノームのように揺れていた。
池の鯉は投げ出されたように、池の周りで飛び跳ねている。
校内のあちらこちらから悲鳴と物の壊れる音が響き渡っていた。
本当に生きた心地がしなかった。
生物室の棚にあったホルマリン漬けの生物の死骸はすべて棚から飛び出し、床に散乱していた。
美術室にあった23体の石膏像は全部首がもげた。
図書室を再び利用できるようになるには40日間もかかった。
家に帰れば、床も壁も盛り上がって、庭と物置の床は液状化状態だった。
活断層のように道路や庭に亀裂が入り、それに沿ってブロック塀が倒れたり、崩れていた。
その夜の心細さと断続的な余震の恐怖は30年以上経った今でも覚えている。
あんな思いをしたにも関わらず、喉もと過ぎれば暑さを忘れるように、危機感のない毎日を送っているなあと、今回の地震を通して反省した。
天災は、忘れた頃にやってくる。
備えあれば憂い無し。
地震対策を見直さなければと、大いに反省した。
『シャングリ・ラ』と言うアニメを見ているのだが、設定は、第二次関東大震災後の未来。http://anime.biglobe.ne.jp/title/index?id=1507
お馴染みの地名の街の震災後の様子が、結構リアルに描かれている。
それほど遠くない未来に、あの状況が現実のものになるかもしれない。
とにかく、どんなことが起きてもどんな状況にあっても、生き延びなければ!
そして、子どもたちを守らなければ!
地震は揺れが収まってから先も大変。
ライフラインが復旧するまでの避難所生活や、怪我をしたり、壊れた家やなど、元の生活に戻るまで、気力と体力とお金が必要。
先ずは、大地震未経験者の子どもたちと、いざと言う時の避難場所や連絡のとり方を打ち合わせしておかないと。
私は、仕事柄、仕事中に地震が起きたら、全員の無事を確認し、保護者に引き渡すまでは現場を離れるわけには行かない。
長男、長女は都内にいることが多いから、日中に大地震に見舞われたら、家族全員の無事を確認することは難しいだろう。
皆が全員家いるときに地震が来るとは限らないのだから。